晩夏の蝉

紫乃森統子

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あとがき

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 最後までお付き合い頂きまして、ありがとうございます。
 カッとなって書きました。
 
 本当は才次郎メインで書こうと思っていたものが、才次郎書くなら良輔もいなきゃ駄目だろ……! けど良輔も書くなら丈太郎も……! となって、結局良輔さん主軸で書くことにしました。
 昭和16年発行の「二本松少年隊秘話」を元に創作したものですが、いつものように作者の想像の産物ですので、ご了承下さい。
 判明している史実は極力盛り込みたいなと思っていつも書き始めるのですが、これがまあなかなか難しい。

 そして、二本松少年隊って言ったら大壇口じゃん!! 若先生じゃん!! と思われる方も多いかと思いますが、その辺めっちゃ端折ってすみません。
 や、ほら、良輔さん主軸だから……(言い訳)
 大壇口は篤次郎主役の「散華─二本松少年隊・岡山篤次郎─」でがっつり書いたので、そちらをどうぞです。
 
 堀良輔(後に通名)さんは、作中に書いたように戊辰戦争時は大壇口組ではなく、竹田門付近で銃撃戦に加わっており、その後退却、城に火を付けるとなって塩沢口から藩主一行の御国落ちを追いかけて水原へと落ち延びていきました。
 城を出てすぐ搦手を守備していた大谷鳴海隊に遭遇し、鳴海隊長に「(足手纏いだから)早く行け!」って叱られたとか、その後立派な馬を引いた別当と出くわして、「丹波さま(家老座上)の馬なんだけど、こいつ人乗ってないとちゃんと歩かないからちょっと乗ってくんない?」って頼まれて仕方なく乗ったらいつの間にか別当さんにトンズラされて結果的に無駄に立派な馬押し付けられたとか、偉い人の馬だけどまあこの際どうでもいいや! ってそのまま水原まで馬を駆る良輔さんとか、ちょっとこの辺のエピソード個人的に大好きなんですけど、外しました。シリアスを壊さずに書ける気がしない。特に馬。

 才次郎のくだりはわりと史実そのまま書いた、かな。
 真面目で優しくて素直で、且つ勇敢なイメージのある子です。
 才次郎父の外記右衛門さんははじめ「げきえもん」と読んだのを、後に藩主の一族に「外記(げき)」という人が現れたために、「ときえもん」と読みを改めたそうにございます。

 主役良輔さんで、準主役才次郎。の、つもりで書きました。
 一番困ったの丈太郎さんです。なんも詳しいこと分からん。めっちゃ創作でコテコテにしても良いかなって思ったりもしたんですが、メインでないのに脚色で塗り固めるまでもないか、と自重。
 
 良輔さん、すごく御長寿で戦後も明治10年頃に工部美術学校(日本最初の美術学校)で彫刻を学び芸術の道を進まれましたが、前述の書籍を読みながら、あちらで戦友二人と再会出来ているといいなぁって思わず願っちゃったのが、この話を書くきっかけでした。
 
 ご本人の晩年のお写真から、おおらかで明るくてあんまり細かいことに拘らなさそうで、でも繊細で周囲の変化に敏感で人一倍色んなことを感じ取っていそう……っていう勝手なイメージを抱いたために、こんな感じに。
 当たり前ですが良輔さんはじめ、皆さんのお人柄の本当のところは存じ上げませんので、良輔さんが遅刻魔だったという事実はありません(きっと)。
 
 名前しか出てない人とかも多いし、冒頭で話したとおりカッとなった勢いで書いたので、後々加筆修正の可能性大いに有りですが、ひとまずはこの辺で。
 
 
 2022年10月8日  紫乃森 統子 
 
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