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四.覚悟
しおりを挟む入れ年で十三歳以上の者に出陣許可が下されたのは、七月二十六日のことだった。
予てより銃太郎を通して出陣を嘆願していたものが、漸く許されたのである。
本来、正式には二十歳で番入りとなる。入れ年の慣習に倣えば十八歳以上で成人として晴れて大人の仲間入りが果たせるのだ。
それが昨今の危急を受けて、藩は徐々にその番入りの歳を引き下げていたのだが、才次郎たちのように十五に届かぬ者にまでは及んでいなかった。僅かに一、二歳の差で出陣が叶わないのは、もどかしいことこの上もなかった。
不服を言うわけではないが、いつか殿様の役に立てるようにと幼少から教えられ、そのために修練を積んできたのだ。
才次郎と丈太郎は勿論、銃太郎の門下にある仲間たちも常々話題にしては銃太郎を拝み倒し、その都度若年を理由に窘められ続けていた。
師である銃太郎は、頼まれる度にその意気を評価しながらも少々渋る様子を見せてはいたが、弟子たちの声があまりに強いもので、困り笑いを浮かべながらも弟子たちの嘆願を城へ届けてくれていたのである。
門弟たちは皆、その熱意がついに城からも認められたのだと思った。
才次郎もまた、誇らしさではち切れんばかりの思いを胸に、日暮れも間近の北条谷から一ノ丁の通りに出る。
と、隣を歩く丈太郎が才次郎の腕を小突いた。
「なあ、才次郎。篤次郎のあの燥ぎ様、見たか?」
くすくすと笑いを噛み殺しているつもりのようだが、その口の端が緩んでいるのはすぐに分かった。
つい、才次郎の口許まで綻んでしまう。
「ああ、見た見た。篤次のやつ、これで一人前の武士だ! って大騒ぎだったな」
鼻息荒く、妙に気合の入った篤次郎の様子を思い出し、才次郎は言いながらくすりと笑った。
すると、丈太郎は徐に腕組みし、無理矢理きりりと表情を引き締めてみせた。
「篤次郎は、ああいうところがまだまだ子供なんだよな!」
「ふふっ、全くだよ――、って、おれも言いたいところだけどさぁ」
とうとう堪え切れずに噴き出した才次郎が丈太郎の顔を窺うと、丈太郎もまた片眉をぴくりと跳ね上げて才次郎を横目に見る。
視線が絡んだ途端、二人はどちらからともなく、互いの手と手を打ち合わせた。
「やったな丈太郎! これでおれたちも戦に出られるぞ!」
「ああ! 薩長の奴らなんておれたちで一捻りだ!」
「おれたちも篤次郎のこと笑えないなっ!」
「はははっ、やったな!!」
「出陣だ!!」
飛び跳ねて喜ぶ二人を、道行く人が目を丸くして眺めた。
武家の子が往来で燥ぐのは、みっともないことではある。が、今だけはそんな周囲の目も気にならなかった。
***
才次郎は丈太郎と別れて屋敷に駆け戻ると、すぐさま父の外記右衛門の姿を探した。
日が傾いてしまうと家屋の中は仄暗く、建具の陰には宵闇が一足先に訪れたようだった。
気持ちばかりが前のめりになり、奥にいるだろう父のもとへ急ぐ。
「父上、ただいま戻りました! 今日漸く、私たちにも漸く出陣の許可が下されました!」
真っ直ぐに父の部屋を訪ね、外記右衛門の顔を見てもまだ興奮は冷めない。
兎に角誇らしさが溢れて止まず、才次郎は胸を張って父に向き合った。
流れるように父の正面に座せば、胸は益々高鳴る。
「そうか、城はとうとうおまえたちにも出陣を許したか」
「はい、これでやっと、殿様のお役に立つことが出来ます!」
覇気が漲り、零れ出さんばかりに身体の奥から滾々と湧き上がってくるのを抑えるのに苦労した。
以前から仲間内で銃太郎に城への出陣嘆願を頼んでいたことは、父の外記右衛門も既に知るところである。
「明日もう一度、銃太郎先生のところへ集まって、ご指示を頂くことになっています」
「………」
姉のいちが嫁いで以来の慶事を喜ぶのに違いないと思っていたが、父は才次郎の予想に反して眦を吊り上げた。
才次郎の双眸をじっと見返し、外記右衛門はその居住いを正す。
父の眼差しは才次郎を捉え、それから瞑目して暫く物言わぬままであった。
出陣に浮かれていた気持ちが瞬時に圧倒されるほどにその沈黙は重苦しく、暫時あって再び才次郎の視線を捉えた父の双眸はひどく険しいものに変わっていた。
「才次郎」
「はい」
「おまえの力では、斬り付けたとて敵は斃せぬであろう」
才次郎ら幼年の者は銃太郎と共に大砲方として出陣することになる。すると当然大砲方となるわけだが、弾薬には限りがある。ただでもその不足を補うべく日々弾薬を拵えて銃後を支えてきたのである。
弾が切れた銃はものの役にも立たない。
早々に敵を退けることが適わなくば、最後には白兵戦に縺れ込むこととなるだろう。
「ゆえに、敵を見たら斬ってはならぬ。よいか、斬らずに突け。そうすれば敵は斃せる」
静かに、しかし厳かにそう告げた父の声を、才次郎はその夜床についてからも幾度も反芻していた。
その合間に、いつか良輔が語気強く言っていた、戦に出ることの意味を脳裏に浮かべる。
弾薬が尽きるまで敵を撃つ。
弾が尽きれば刀を抜き、敵を斃す。
人を撃ったことも、斬ったこともない。
(それでも、姉上をお守りできるのなら、おれはやってやる──)
***
「まさか、本当にお許しがあるとは」
銃太郎はぽつりと小さく呟いた。
普段の教練で大音声を張り上げる銃太郎のものとは思えぬほどにか細い声音は、北条谷の周囲を囲む木々のざわめきに掻き消される。
既に夜の帳が下りて、部屋の隅には闇が生まれていた。
二十七日、道場へ集めた少年たちに翌朝の集合を指示すると、皆の燥ぎ様はまったく無邪気なものであった。愈々出陣の時が来たと雀躍としてそれぞれの家に帰って行ったのである。
門弟たちにせがまれて出した嘆願書を、本当に通されてしまうとは考えてもいなかった。
門下にいるのはやっと声が変わり始めた、まだほんの子供ばかりだ。
家中の御子を預かる身として、こんな幼い少年たちを戦場に連れて出るのは気が進まなかった。
先月の下旬から、棚倉、守山、そして平と、周辺諸藩が立て続けに降伏し、隣藩三春も既に降伏し敵方に付いているという。
城下には戦線から敗走してきた兵の姿が見られ、いよいよ次は二本松城下の攻防となる。
こうしている間にも敵は進軍し続けており、この城下へ達するのに最早幾許の猶予もないだろう。
破竹の勢いで向かってくる敵軍に対し、こんな子供たちをぶつけるのかと今更ながらに逡巡を覚えた。
喜び勇んで帰路についた門弟たちは、明日には各々が戦支度を整えて集まってくるだろう。
そして、それを率いるのは他でもない、銃太郎自身である。
「銃太郎さん」
座敷の外から、遠慮がちに掛かった声に振り向くと、継母のミテが怪訝にこちらを窺っていた。
銃太郎が十二歳の時に産みの母が他界し、父の貫治がその後に迎えた後妻が彼女だ。
血縁でないだけに、世話になった継母である。
「母上。私も明日、出陣致します。支度をお願いします」
「………」
ミテは部屋の中まで入ってこようとはせず、ただその場でじっと顔色を曇らせていた。
継母の言いたいことは、何となく察しが付く。
「敵が来ます。この身を賭して精一杯戦うつもりですが、私が出た後は、母上もどうかお早く此処を離れてください」
父の貫治は既に大砲方として出陣しており、銃太郎が出てしまえば、あとは無防備なおなごと幼子だけが取り残される。
「あんな小さな御子たちを連れて、どうしようというのです」
ぽつりと声を低くしたミテの問いかけが、銃太郎の胸に深々と刺さる。
継母の視線は物憂げで、しかしすぐに逸らされた。
「母上、どうぞそれ以上、何も仰らないで下さい」
返す言葉も見つからず、銃太郎は辛うじてそれだけを言うと口を噤み、そのまま背を向けたのであった。
【五.へ続く】
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