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二.砲術指南
しおりを挟む木村銃太郎が帰藩するらしい。
年の瀬も迫った学館からの帰途、話題はそれで持ち切りだった。
昨夜のうちに降り積もった白雪が平屋ばかりの家中屋敷を覆い、路肩に掃き寄せられた往来の積雪も冬の弱い日の光を受けてちらちらと星屑のように瞬く。
木村銃太郎というのは、既に藩校で砲術を教えている木村貫治の嫡男である。
銃太郎が十八歳の時に藩命で江戸へ砲術を学びに出てから、四年ほどになる。それがもう間もなく国へ帰ってくるというのだ。
帰藩後は銃太郎が新たに門弟を募り、道場を開くらしい。
「砲術道場かぁ。おれはもう井上先生のところに入ってるから、銃太郎先生のところには行けないなぁ」
良輔は、少し詰まらなさそうにぼやく。
「才次郎も丈太郎も、砲術道場はまだだろ? 銃太郎先生に弟子入りするのか?」
才次郎は丈太郎と顔を見合わせた。
良輔は既に井上権平に師事していたが、友人に合わせるために今更他の道場へ鞍替えするのも憚られる。些かの歯痒さを感じないではなかったが、依然として世話になっている師範への信頼はそれにも増して強い。
「そうだな。どうせなら、銃太郎先生に弟子入りしたいかなぁ。……丈太郎はどう?」
「おれも。井上先生とか、朝河先生の砲術道場もいいけど、やっぱりこれから入るなら銃太郎先生のとこだな」
丈太郎もほんの少し、良輔に遠慮を見せながら才次郎に同意する。
尤も、入門にはまず家の許しを得なければならないが、反対されるような理由も見当たらない。寧ろ今や剣や槍といった武芸は廃れてきている上に、城も砲術の習得を推奨しているくらいだ。伝えればすぐにも認められるだろう。
「何だよお前ら。井上先生だってすごいぞ? こっちに入るならおれも少しは先輩風吹かせられるのに」
「それは嫌だなぁ。なあ、才次郎?」
「あはは。おれたちが後輩で入っても、井上先生からの良輔の評価はあんまり変わらないと思うけどな!」
「おいおい、二人とも言ってくれるなあ」
道場における上下関係は年齢では決まらない。
年がいくつであれ、先に師事していた者が先輩となり、後から入った者が後輩となるのは世の常だ。
もしも才次郎と丈太郎が井上道場に入れば、必然的に良輔のほうが格上となる。
僅かにそれを期待していたものが、どうやらそれは叶わぬものとなりそうだった。
城を広く囲うように巡る堀には、幾つか小さな橋が掛けられ、三人は軽い笑声をあげながらのんびりと渡る。
「でも、本音を言えばちょっと羨ましいな。最新式の砲術を教えてくれるんだろ? 銃太郎先生はさ」
「江戸で西洋流を修めて来られたそうだから、銃太郎先生の門下に入れば二本松じゃ誰も知らないようなことも学べるんじゃないか?」
「最新式の銃も持たせて貰えるかもなぁ。いいなぁ」
「殿様の御前で銃太郎先生が指揮して、おれたちが大砲を……なんてこともあるかもな!」
才次郎も丈太郎も、話せば話すほどに期待は膨らむらしく、未だ見ぬ師に率いられて活躍する自分たちの姿を夢想しては、心を沸き立たせていた。
***
間もなく年が明け、世の中は慶応も四年となった。
年明け早々に銃太郎が帰藩すると、その月のうちに一つ年下の岡山篤次郎が早々と入門したらしい。
齢が近いこともあり、学館でも毎日顔を合わせるが、気の置けない友人たちに自らの入門を得意気に触れ回っていた。
「若先生はすぅっごく背が高いんだ! おまけに物凄い力持ちで、こぉんなでっかい大砲を片手で持ち上げちゃうんだよ」
篤次郎は身振り手振りでその偉大さを喧伝し、我が事のように誇らしげに語る。その頬は、高揚のために艶々と紅色に染まっていた。
「みんなも早く若先生のところに入門しなよ! 若先生は怒るとちょっと恐いけど、いつもは凄く優しくてさ。……はぁ、おれも大人になったら若先生みたいな人になりたいなぁ」
興奮気味にその魅力を語ったかと思えば、吐息混じりにうっとり口許を緩ませる。篤次郎のそのさまは、まるで初恋でも知ったかのような口振りである。
元々入門を希望する者は多いが、篤次郎の話は更に皆の期待を煽ったようであった。
「実はおれも昨日、銃太郎先生に入門を願い出てきたんだ」
「才次郎もか? 実はおれも……」
こっそりと囁く程度の声量で打ち明けた才次郎と、それに乗っかる形で報告する丈太郎。
聞けば他の十三、四歳の子弟たちも続々と北条谷の奥にある木村銃太郎を訪ね、入門の許可を請いに行ったらしい。
「そうなのか?」
何となく疎外感のようなものが込み上げるのを感じたが、良輔はそれにはそっと蓋をした。
砲術を学ぶことは必須と城からも通達されているし、師範は違えど先んじて砲術を学び始めていた良輔にとって、二人が砲術を始めたことは素直に喜ばしいことだったのだ。
「けど、とうとう戦が始まったみたいだな」
楽しい話題とは裏腹に、正月早々、京は鳥羽伏見において薩長連合軍と幕府の間でついに戦となった。それは二本松の国許にも伝わり、城下は瞬く間に不穏な気配に包まれていたのである。
城には連日急報が齎され、諸藩からの使者も入れ代わり立ち代わり慌しい。
二本松を取り巻く情勢が徐々に厳しさを孕んでくると、それに比例して良輔の父の多忙さにも拍車が掛かってきたようで、良輔がまともに父と顔を合わせることも少なくなっていった。
渋川組代官、郡奉行、そして周旋方という三つの役目を兼務していたのである。
城では、幕府の側に付くのか薩摩や長州が戴く朝廷に恭順を示すのかで、連日激論になっていると漏れ聞いている。
「どうなるんだろうな、これから」
「どうもこうもないさ。この先どうなろうと、おれたちは殿様のお役に立つために働くだけだろ」
ぽつりと溢した良輔の声を耳聡く聞き取った丈太郎が窘めるように言った。
それは何も言い返すことなど出来ないような、明確な指針だった。
当然、良輔自身も主君の恩に報いるためにこうして日夜文武に励んでいる。番入前とはいえ、仕えるべき主君を支え守る。それは決して覆ることのない真理だ。
しかし、城から役宅へ戻った父の、眉間にきつく皺を刻んだ表情を見る度に、良輔の胸中にも言い知れぬ不安が蜷局を巻くのだった。
***
まだ二十二歳と年若い師範であったが、学館で大燥ぎしていた篤次郎の言っていたとおり、銃太郎は大柄な体躯に地声も大きく、ちょっと見は恐い印象があった。
しかし入門志願に訪ったその日のうちに、そんな印象も覆ってしまった。
銃太郎は才次郎が折り目正しく弟子入りを願うと、銃太郎は破顔して快く迎え入れてくれたのである。
大きな口をにっこりとさせ、えくぼを見せた銃太郎の目は優しげに才次郎を見ていた。
むろん、指導中には厳しく目を光らせるが、それもそのはずである。
小銃にしろ大砲にしろ、火薬を扱う。一つの間違いが大事故を起こしかねないのだ。
家中のまだ仮元服にも届かない子供たちを預かる以上、常に張り詰めてもいるのだろう。
その一方で、指導の際には子供の背丈や膂力を考慮し、一人一人の射撃姿勢を弟子と共に試行錯誤する。
才次郎などは同年の仲間内でも身体が小さいために、見た目よりも重い銃身を支えるのがやっとで、的にはなかなか当てられない。
そういう才次郎にも撃ちやすいよう、あれこれと工夫を凝らしてくれるような人だった。
篤次郎があれだけ銃太郎を自慢していたのも、すぐに納得がいった。
城の裏手に設けられた射撃場で日々調練し、少し季節が良くなってくると、時には野山へ出て皆が遊び慣れた兎追いを取り入れての射撃訓練もあった。
山の斜面を裾から頂へ追い立てながら、兎を仕留めるのである。
「丈太郎、どうだった?」
「もう少しで当てられそうだったんだけど……。駄目だったよ、一発も当たらなかった」
「おれもだよ。全く命中しそうになくて、結局一発の弾も撃たずに終わってしまった」
才次郎は吐息交じりに肩を落とし、ぼやく。
すばしこく動き回る的に当てるのには、より一層の集中を必要とする。
しかし、一斉に狙われる兎のほうも命がけである。
「当たらなかったんじゃなく、撃たなかったのか?」
「だって、おれが銃口を向けるとすぐに逃げるんだもの」
口をへの字にして呟く才次郎に、丈太郎は呵々と笑声を上げた。
「そりゃ逃げるに決まってるさ」
何を当たり前のことを、と丈太郎は笑ったが、そこに銃太郎の声が割り込んだ。
「なんだ、才次郎は撃たなかったのか?」
日頃の訓練ではしっかり的に当てられるようになっているのに、と、銃太郎は意外そうな面持ちで才次郎を見遣る。
「なぜ撃たなかったんだ?」
「だって、命中しないと分かって撃てば、弾が無駄になってしまいます」
「ふむ」
「殿様から下された弾を無駄に撃つことは出来ませんでした」
事実、そう思って引き金を引く手を止めたのであったが、指導する立場の銃太郎にはもっと果敢に挑むべきと注意を受けるかもしれないと、才次郎はやや声を落とす。
しかし嘘もつけずにありのままを話すと、予想に反して銃太郎は才次郎の肩を軽く叩いて、鷹揚な笑みで肯いた。
「そうか、それは良い心掛けだ。その精神があってこそ、真の武士と言えよう」
日頃の指導は厳しく、銃太郎が一声上げれば皆が一斉にぴしりと背筋を伸ばすような緊張感があったが、この時ばかりは穏やかながらも力強く激励され、どことなく面映ゆい気持ちがした。
北条谷の奥の射撃場や馬場での調練が連日繰り返されてゆく中で、弟子たちは見る間に腕を上げていた。
雨天で戸外の調練が行えないときには、木村家の道場で操法や修理の方法、弾薬包の作り方を教わり、藩の士卒は勿論のこと少年たちもまた砲術修練一色の毎日となっていったのだった。
夏の暑さも本格的になったその年の五月。
藩では大規模な洋式調練が実施され、木村銃太郎率いる十六名の門弟たちも大人たちに混じって参加することになったのである。
入門から僅か半年にも満たない幼年者たちの、その目覚ましい成長と実力は、家老をはじめとする重臣らの認めるところとなったのだった。
【三.へ続く】
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