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七.惣領
しおりを挟む「おいこら源之丞。おまえ今度は何をしでかした」
「は? なんもしてませんよ」
「何もしていなかったら、何故おまえまで若さまに呼び出されるんだ」
「本当ですって。そんなこと言ったら、なんで次右衛門どのまで若さまのお部屋に行かなきゃなんないんですか」
「馬鹿か、兵部さまがゆかれるからに決まっているだろう」
「んじゃ、なんで兵部さままで呼び出し食らってんですか」
御殿の縁廊下を行く兵部と万作の後に続き、源之丞と次右衛門はひそひそと言い合う。
突っ掛かってくるのは次右衛門のほうで、源之丞が何か問題を起こしたものと信じて疑わない問いかけであった。
実に心外だが、事実、この日は万作と共に源之丞にまで名指しで居室を訪れるよう下知があったのである。
先日のなべ姫と十三郎の一件は、当然兵部や次右衛門の許にも届いたはずだ。
此度、病臥中にも関わらず種恒が皆を呼び付けたのも、恐らくその件だとは容易に想像がついた。
しかし直接的に関係がない兵部まで、呼び出される側にあったのは意外なことだった。
「おまえを秋月に抱えて下さったのは、事実上兵部さまなのだぞ。おまえの失態に無関係でいられるはずがなかろうが」
「だから俺、何もしてないですって」
「ほぉん? おまえのことだから、万作君可愛さに十三郎さまをぶん殴ったりしたんだろう」
「殴ってませんよ!?」
十三郎を殴った、というか平手打ちしたのはなべ姫本人である。
「次右衛門どのは一体、どういう目で俺のこと見てんですか」
「躾のなっとらん生意気な洟垂れ小僧だが」
「うっわ……ちょっと言い過ぎっすよ」
***
種恒は幾分身体が良いのか、それとも呼び出した手前の矜持からか、単衣に羽織を掛けた姿で床を起き出していた。
時折ひどい咳をして苦しげではあるが、それでも座した姿勢は崩さない。
「呼び出してすまんな、兵部。万作もよく来てくれた」
そう言って迎えた種恒の居室には、世話役の小姓のほか、やや不貞腐れた十三郎と、冷たく澄ましたなべ姫の姿があった。
すでに種恒から諭されたあとなのか、二人は種恒の前で互いに向き合い、気まずい雰囲気を醸している。
「兄上、起き出して宜しいのか。ご無理はお身体に障りますぞ」
「兵部は心配症だな。大事ない、案ずるな」
兵部が賺さず気遣ったのに対し、種恒は鷹揚に言い、手振りで席を促した。
「万作もそこへ座ってくれ。次右衛門と源之丞もよく来てくれた。礼を言う」
力無さげな微笑で皆の着座を見届けると、種恒は各々の前に茶を一卓振る舞った。
小姓らの手で差し出されたのは、淹れたての煎茶だ。
湯気の立つ鮮やかな緑は美しく、香りも良い。
種恒は何を語るでもなくその茶を勧めると、続けざまに数々の漆器や焼きものを並べるよう命じたのである。
続々と運ばれてくる工芸品の数々に、一同は訳もわからず、ただその様を眺める。
「万作さま、これ、もしかして……」
こそりと声を潜めた源之丞に、万作も首を巡らしてから一つ頷く。
「そうだね、姉上の──」
なべ姫の婚礼の品である。
十三郎の憤慨ぶりに気を取られ、あの時満足に観察できてもいなかったが、すぐにぴんときた。
美しい碧の釉薬がかかった、割れた皿が並べられたのである。
「兄上、これは」
兵部が困惑のままに訊ねたが、種恒はやはり穏やかに笑った。
「高鍋の国許で造られた焼きものだ。そちらの漆器も、国許で栽培した漆が使われている」
遠く離れた日向高鍋から運ばれてきた品物であったらしい。
「今振る舞ったその茶も、国許で採れた茶葉だ」
「左様でしたか。……しかし兄上、なにゆえ我らにこのようなものを」
まあまあ、と兵部を宥め、種恒は目を伏せる。
十三郎も自ら割った皿を前に、さすがに居心地が悪いらしく、その視線がすっと泳ぐのが見えた。
「十三郎もよいか、こうして並べ立てたことに、おまえの所業を責める意図はない」
内心を見透かされたと思ったのだろう、十三郎はぎくりとした顔で目線を上げる。
「ここに並べた品は、すべて高鍋の民が丹精込めて作り上げたものばかりだ。その汗の一滴でも欠ければ、これらの品はこの場に並んでおらぬ」
高鍋は江戸からはるか遠く、種恒も元服し叙爵してから初めて国入りした。
その父種信の代になってから大掛かりな城の改修を行い、同時にそれまで「財部」と呼んだその地を「高鍋」に改めた。
高鍋の統治に心血を注ぐ種信の後継として、種恒もまた父に倣い政に参画し始めた矢先だったのである。
「近年は米の不作が続く。米が減ればそれに代わるもので活路を開くことも考えねばならぬ」
そのために、国許では杉や檜の植栽を行い、茶や漆の栽培にも力を入れ始めていたのである。
ここに揃えた品々は、いわば種信種恒父子の尽力の賜物とも言えた。
窶れて蒼白い種恒の言葉に、居合わせた全員が聞き入っていた。
「なべ」
「はい」
「花房に嫁しても、おまえは秋月の姫だ。秋月を、そして高鍋を忘れずにいて貰いたい。これらの品は、そうした願いを込めてのものだ」
「当然ではございませんか。高鍋も兄上も、わたくしの生涯の誇りです」
つんと澄ましたなべは、どことなく照れ臭そうに言い、その直後にしゅんと項垂れた。
「……ですから、十三郎の行いに我慢がならなかったのです」
「っしかし! 姉上は御祈祷もされず、楽しげに婚礼の支度に浮かれていたではありませんか! 兄上が心配ではないのか!?」
「浮かれてなどいません。そもそも、その兄上のお心を蹴散らしたおまえに言われたくはありません!」
またぞろ口論に発展するかに思われた矢先、種恒が苦笑混じりに二人の間に割って入る。
「なべ、おまえの言い分はよくわかる。私の意を汲んでくれたことも嬉しい。しかしな、人を打つのは良くないぞ」
「それは、そうかもしれませんけど……」
「十三郎。おまえの気遣いは嬉しく思う。だがそれはおまえが思うことであって、周囲に押し付けるものではない。まして、我が民の作り上げた品に八つ当たりしてよいはずがない。賢いおまえなら、解るであろう」
「……はい」
恐らく双方とも気が強いらしい十三郎となべは、種恒に諭されると途端にしおらしくなる。
さすが長兄といったところか。
兄弟たちの特性を掌握し、同時にそれぞれをしっかりと見ている。
そんなふうであった。
「割れたものは致し方ない。別なものを用意させよう。なべ、それで良いな? 十三郎も、私を思うてくれるなら、もう物には当たるでないぞ」
種恒の終始温和な諭しに、十三郎もなべもそれ以上の文句は出てこないらしかった。
すると、種恒の視線は万作へと注がれ、次いで源之丞にまで移ろう。
「すまなかったな。おまえたちも居合わせたと聞いて、この機に話しておきたかったのだ」
よく来てくれた、と満足げに頷き、種恒は兵部へも声を投げ掛ける。
「兵部。私の代わりに今一度、なべの道具を手配して貰えるか」
「承った。兄上は一日も早くお身体をおいといくだされ」
いつもならば笑みを絶やさぬ兵部の顔は、言葉とは裏腹に心なしか曇ったままだ。
「本当なら自ら動きたいところだが、何分身体がまともに動かなくてな。手間をかけてすまんな、兵部」
と、種恒はそこで初めて憂いを滲ませたのだった。
***
「凄かったなぁ、若さま!」
退室の後に、万作について部屋へ下がった源之丞は、思わず声を弾ませた。
兄弟が皆挙って種恒を慕う理由がわかった気がしたからだ。
「あんな兄上なら、俺も羨ましいなァ」
源之丞にも兄のような身近な存在が、いるにはいる。
但し、いつも割と冷たく、執拗にちくちく釘を刺してくる次右衛門がそれなのだが。
種恒や兵部のように、とまではいかずとも、もう少し温和だったらと、思わなくもない。
「さすがの十三郎さまも、若さまのことは好きなんですね」
万作や源之丞に対しては横柄さが目立つものの、種恒を前にした十三郎は殊勝なものだった。
「十三郎兄上って、いっつも怒ってるでしょう?」
「ん? まあ、そうですね」
「私を見るとすぐ嫌なことを言うから、実はあまり好きじゃなかったんだ」
実はも何も、それはそうだろうと思う。
源之丞としても、十三郎に好感は持てない。
十三郎の気配があると、万作は明らかに身を硬くしていたし、敵意のようなものを向けられて良い気はしないのが普通だ。
「でも、十三郎兄上も、あんなふうに誰かを心配することがあるんだな、って。ちょっと意外だった」
「やっぱり、若さまは偉大だなァ。俺も、十三郎さまがあんな大人しいの、初めて見ましたよ」
だからといって、急に好感を持てるわけでもないが、十三郎を見る目が少し変化したことは間違いない。
顔を合わせるたび、一貫して見下げるような態度を取るのは十三郎だけである。
種恒や兵部、万作と同じ父母を持つ、全くの実兄弟なのだが、そうとは思えぬ振舞いが目立つ。
しかし十三郎もまた、ふとした拍子に鷹揚な人柄に変貌することもあるのかもしれない。
と、思いかけて、さすがにそれは難しいかと思い直す。
「若さま、早く元気になるといいですね」
「そうだね、兵部兄上もそればかり心配してるから……」
「今日は調子が良さそうだったし、きっと大丈夫すよ」
どこか不安げな万作を励ましたが、それが払拭出来た手応えは感じられなかった。
***
激しく咳き込み、喉の奥から遠雷に似た喘鳴が漏れる。
弟妹を前に渾身で奮い立っていたものの、皆を下がらせた途端に、種恒は前のめりに伏した。
気分も悪く、吐き気を催したかと思うとすぐに焼けるような波が喉に込み上げた。
「無理をなさるからです」
一度は下がった兵部が、やはり見抜いていたのだろう。
断りもなく部屋へ入ると、兵部は咄嗟に漆器を差し出したのである。
危なくなべの婚礼の品に吐瀉するところだったが、種恒は瞬時に撥ね付け、縁台まで這ったのだった。
吐いてもなお、自らの意志によらず、腹の底から胸へと蠢くものが蟠るのが気持ち悪い。
全身に、じっとりと嫌な汗が滲んでいた。
「ばかもの。おまえは私の話を聞いていたのか」
高鍋の民の汗を軽んずるな、と喘ぐ息の下で咎めると、兵部は眉根を寄せた。
「兄上のお身体には替えられませぬ」
憮然とした兵部は、それでも兄の肩を支え、背を擦る。
「兄上に一日も早く元気になって頂かねば、高鍋の民も安堵出来ませぬぞ」
「甘えたことを申すでないわ。私に代わりおまえが跡を引き継ぐことも考えよ」
「滅多なことを……! 当家は兄上でなくば治まりませぬ!」
兵部は声を荒らげた。
弱気なことを幾度となく繰り返す種恒を見るのは辛く、兄のいない秋月家を想像することなど到底出来なかったのである。
「……十三郎以上に、おまえが心配でならぬわ」
胃の腑の酸に喉を焼かれた種恒の声は、庭木を強かに打ち始めた雨音に掻き消されていった。
【八.へ続く】
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