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五.利宇姫
しおりを挟む警戒の眼差しは、始終源之丞に纏わりついた。
ぎっちりと万作の袖にしがみついた、小さな利宇姫のものである。
万作よりも身体つきの大きな源之丞を、利宇はびくびくと怖がっているような雰囲気だった。
ぎゅっと力を込めて、万作の着物を握り締めている。
念願叶い、長沼藩佐久間家の上屋敷に訪れた席でのことである。
無論、関小八郎の監視のもとだが、単なる御相手役が他家の屋敷にまで供をするのは異例とも言える。
小八郎の視線はいつになく険しく、源之丞は気の抜けないままに佐久間安房守勝豊への挨拶を済ませた。
四十路ほどの齢の安房守は、万作の父・佐渡守種信や、傍らに控えた小八郎よりも幾つか年若いらしい。
しかし生来の病弱さゆえにか、頬の痩せた顔色は捗々しくない。
病躯のために、勤めも思うに任せぬことも多いという。
それでも、訪ねて来た万作の挨拶を受けると、安房守は満足げな様子であった。
その後に安房守と共に儒者の講義を受け、源之丞ら付人はじっと待つこと一刻ほど。
これほど長いものはなかった。
小八郎と並んで控えていたものの、秋月の屋敷と同じようにはいかない。
おいそれと口を開くことも出来ず、少し姿勢を崩そうものなら、即座に小八郎に小突かれた。
やっとのことで講義が終わり、解放されるかと思ったその矢先。
今度は小さな姫君からの、怪訝な眼差しを喰らうことになろうとは。
「利宇姫、大丈夫だよ。源之丞は怖くないから」
屋敷の庭園に毛氈を敷き、春先の長閑な陽射しが注ぐ中での一幕である。
万作と源之丞が十六目石で競い、それを利宇とその相手役のきくという娘が眺めていた。
が、利宇は万作にぴったりと貼り付き、その背に身を隠して一向に離れようとしない。
「………」
「利宇姫、隠れていたら見えないでしょ?」
万作は幾度となく声をかけるのだが、利宇はその都度、僅かに顔を覗かせる。
ては、源之丞を見るとびくりと全身を震わせてまた隠れてしまう。
「利宇姫さまは、お父上や万作さま以外の男の方には慣れてませんから。仕方ないです」
困り笑いで間に入るきくは、万作と同い年の七つで、源之丞より一つ下であった。
しかし、四人の中では最も大人びていて、物怖じしない性格のおなごだった。
「ほら、利宇姫さま。源之丞どのに失礼ですよ」
きくに宥められて、利宇はそっと顔を覗かせるが、またすぐに万作の背中に引っ込んでしまう。
(こりゃ嫌われたな……)
男子に慣れないとは言うものの、万作だって男子である。
その万作にはべったりと甘えて引っ付いているのだから、益々複雑な心境だ。
「ねえ、きく。一応私も男なのだけど」
「万作さまは別です。男の子っぽくありませんもの」
「えぇっ……」
きっぱりと言い切るきくに、万作もやはり喜んで良いものか判じかねる顔になっていた。
しかしきくは万作の反応を寧ろ楽しむかのように、きらきらとした声で笑う。
「美男子だっていうことですよ。うちの祖父も、そう申してましたもの」
無論、褒め言葉に違いないが、万作本人にとっては然程嬉しいものでもないらしい。どう受け取っていいのか、戸惑ったような返事だ。
「きくの爺さん、そんなこと言ってたのか?」
「ええ。源之丞どののことは、ぽんこつだって言っていましたよ」
ふふ、と含み笑い、きくはほんの少し悪戯な口調で答える。
「ぽんこつ!? なんだよそれ、ひでぇな!」
「源之丞ぉ、だめだよそんな言い方。だから利宇姫が怖がるんだよ?」
「そうよ、源之丞どのはがさつだから、なーんであんなのが万作さまのお側にいるのかってお祖父様が言ってたもの」
「嫌なじじいだな……! 俺が万作さまの側にいて何が悪いんだよ」
「そういうところでしょ。口が悪いって、びっくりしてらしたもの」
「余計な世話だな! 俺は万作さまにお仕えできればそれでいいし、きくの爺さんに気に入られたいわけじゃないからな」
「それにね! 源之丞どのみたいな男は、絶対婿にはしないって言ってたもの!」
「はー!? 誰が婿になんかなるかよ!」
「そのままじゃ、きっとお嫁さんだって来ないでしょ!」
利宇には怖がられ遠巻きにされているが、きくとは初対面から互いに遠慮なく言葉を交わせるのが不思議といえば不思議だった。
ちょっとした言い合いはするものの、源之丞もきくもその瞬間だけで、言い合ってしまえばあとはけろりと笑い合う。
さっぱりとした男同士のような関係で、きくは源之丞の反応を見て楽しんでいる風でさえあった。
必要以上に口を開くなと散々釘を刺されてきたが、きくと顔を合わせていると、噤んでいることは難しい。
きくのこういう気安い態度のお陰で、新参の源之丞でも自然と受け入れられている実感が湧いた。
が。
「きくぅ……」
ぶわっと涙を浮かべ、万作の羽織の背にしがみついたまま、利宇が訴えかける。
源之丞ときくのやりとりが怖がらせてしまったらしい。
「ほらご覧なさい、源之丞どのが怖いから……!」
「利宇姫、大丈夫だってば」
「いや、そんな怖くないだろ、俺」
「顔よ、顔! 源之丞どのは目付きがよろしくないのよ!」
「おい、顔はどうしようもないだろ……」
確かに源之丞の目は細く切れ長で、眉尻が上がっており、冷たい印象を与える顔立ちをしている。
自身では目の当たりにすることもなく、気にしたこともなかった。
しかし言われてみれば、万作のように目尻のやや下がった優しげな面立ちとは程遠く、それ故に利宇も怖がるのかもしれない。
ひょっとすると、以前秋月の屋敷で十三郎に目を付けられていたのも、こういう目元が原因なのだろうか。
少なくとも、源之丞は人好きのする顔、とは言えなかった。
大人に対する口調は何とか様になってはきたものの、同年代の子供が相手となると途端にもとの口調になってしまう。
屋敷の中で品の良い人間に囲まれる利宇には、そういう源之丞の持つ気質が合わないのかもしれなかった。
あからさまに避ける利宇に無理やり接近すれば、なおのこと嫌われかねない。
十三郎などはともかく、ゆくゆく万作の正室となる利宇の心証を悪くするのは、非常にまずいだろう。
「………」
「な、なによ。急に黙らないでよ」
源之丞が難しい顔で黙り込んだので、きくも流石に気が咎めたらしかった。
「きく、言い過ぎだよ。源之丞に謝ろうよ」
「う……っ、で、でも、姫さまが怖がってるのは本当だもの……」
万作に宥められ、きくは不満気なような、しかし申し訳なさそうな煮え切らない様子で目を逸らす。
別に、きくの軽口ぐらいは痛くも痒くもない。
源之丞が逐一言い返すのが楽しくて、あえて言っているような節さえある。
しかし、万作はそれを良しとはしなかったらしい。
「だめだよ、きく。言って良いことと、いけないことがあるでしょう」
少々改まって、万作は大人の口真似をするかのように言う。
すると、これまで万作にしがみ付いていた利宇がびくりと肩を震わせて、おどおどと万作を見上げた。
「まんさくさまがおこった……!!」
愕然としたふうにそう言うと、利宇は今度はきくの袖にそそくさと身を移したのである。
枝を跳び移る野鳥のような俊敏さだ。
とにかく人の反応に敏感な子だ。
「姫さま、大丈夫ですよ。きくがいけなかったのです。万作さまは怒ってませんよ」
流石に姫君の側に上がるだけあって、きくは落ち着いた所作で利宇を受け止める。
源之丞には何故だか不調法な対応だが、きくは万作と利宇に対しては徹底的に弁えているように見えた。
利宇は結局、万作が屋敷を出るまでこんな調子であった。
帰る頃までには源之丞の存在にも慣れてくれるかと期待したのだが、なかなかに情が強い。
人見知りで臆病で、きくとは正反対の気性と言って良さそうだ。
気位が高いとか、我儘放題の気難しさとはまた別な、扱いにくさがある。
(面倒くせぇ姫さまだなぁ……)
おっとりとした万作と、内気で気弱な利宇。
似て非なる性質の二人である。
利宇姫が可愛い、という日頃の万作の話から、もっと笑顔の愛らしい姫君かと勝手に想像を膨らませていたが、どうもそうではなかった。
秋月の末子である万作にとって、消極的な利宇は、庇護すべき存在に写っているのだろう。
あくまでも、万作にとっては、可愛い姫君なのだということを理解し、源之丞は自分の安直さを些か反省したのであった。
***
「俺、利宇姫苦手かもしんない」
御殿を出た源之丞は、小八郎に溢した。
「なんだ、おまえ。あの御歳にして、奥ゆかしく万作君を立てる利宇姫さまに、一体何の不満がある」
「……小八郎さまにはそんなふうに見えてんすか」
「……いやすまん。ちょっと褒め言葉を盛った」
珍しく小八郎が詫びた。
万作と利宇をよく見ている小八郎が、利宇の気難しさを知らぬはずはなかった。
「しかし源之丞、おまえ、きくという娘とは気が合いそうではないか」
「ああ、あいつ、俺と似てますよ。口悪いもん」
「おまえと違って、礼儀作法はしっかりしとるだろうが。おまえは少し、きくを見習え」
「えっ。あんな気の強いおなご、見習いたくない──、へっぶし!!」
乾いた風が源之丞の顔を撫で、その拍子にくしゃみが出た。
「でかいくしゃみだな。大丈夫か」
「……ふぁい」
ずずっと洟を啜りながら、源之丞はむずむずと鼻にかかる声で返す。
「春だというのに近頃は冷えるからな。万一風邪でも引いて、万作君に感染してもらっては困るぞ」
「えっ、俺の心配はしないんすか」
「おまえは頑丈だろ。しかし鬼の霍乱というのもある。家に入ったら白湯でも飲んで身体を温めろ」
「……鬼の霍乱ってなんすか」
辺りは宵の入りとなり、風はひやりと肌を粟立たせる。
この春は花も遅く、寒い春であった。
長引いた冬が漸く終わっても、朝夕には厳しく冷え込む日が多い。
はるか南の日向国から佐渡守と共に参勤したばかりの、その嫡子・出羽守種恒が不意に病を発したのはこの数日後のことであった。
【六.へ続く】
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