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94話 辺境伯夫妻
しおりを挟むリヒトは祭祀が終った後も、神殿の隅で寝かされた負傷した騎士たちが、少しでも早く苦痛から解放されるようにと、祈りを捧げ続けた。
ふと…
馴染みのある気配を感じ、リヒトが視線を上げると、シルトが女神の円環の外側に立っていた。
とっさにケガは無いか? と魔力を使い、リヒトはシルトの大きな身体を確認すると…
小さなかすり傷はあるが、ほぼ無傷だと知り、ホッ… と胸を撫で下ろした。
「お帰りなさい… 無事で何よりです」
魔獣退治から無事に生還したシルトに、安堵の表情を浮かべ、リヒトは微笑んだ。
「"正式な結婚初夜" を迎える前に、妻を未亡人にする気は無いさ!」
軽口をたたくシルトに、リヒトは頬を染めて、困った人だと苦笑いを浮かべる。
「祭祀は無事に終わったようだな、良くやったリヒト! 私が手伝えることはあるか?」
これから仕事を始めなければならない領民たちは、祭祀が終るとそれぞれ名残惜し気に帰って行ったが…
興奮冷めやらぬ様子で、重臣や引退した元騎士などを中心に、まだ大勢の者たちが神殿に残り、円環を囲んでいた。
神殿内だけでなく、シュネー城塞中を漂う光の粒を、魔力を使い見ることが出来る者たちである。
残った者たちをシルトは観察し、全員がリヒトを気に入った様子なのを見て取り、誇らしい気分で胸がいっぱいになった。
「いいえ、シルト様… 後は負傷した騎士たちから、瘴気を祓えば終わりです」
疲れた顔をしているのに、手伝おうとしてくれる、シルトの優しさがリヒトは嬉しかった。
「そうか? 残念だなぁ…」
少しすねた様子で、本当に残念そうな顔をするシルトに…
リヒトは、吹き出してしまう。
「シルト様が次に行うお仕事は、しっかりと休養を取ることです! ですからお部屋に戻ってぐっすり眠って下さい」
「お前だって疲れているだろう? 一緒でなければ私は戻らないぞ? 夫を1人で寝かせるなんて、なんて薄情な妻なんだ!」
ニヤニヤと笑いリヒトをからかうシルトに、シュピーゲルが口をはさんだ。
「リヒト様、これ以上シルト様に大人げなく駄々をこねさせると、辺境伯の威厳が無くなりそうですから、一緒にお部屋へ戻られてはどうですか?」
3人のやり取りを興味津々で見ていた、円環を囲んでいた者たちが、どっと笑い声をあげた。
和気あいあいとした雰囲気で、3人が話していると、リヒトの視界にナーデルの姿が入り…
初めて会った時から、敵意を隠さず嫌悪感をあらわにするナーデルに、リヒトは緊張で顔を強張らせた。
背後に不穏な気配を感じ、シルトは無意識で腰に下げた剣の柄をにぎって振り返ると、ナーデルの顔を見て表情を消す。
「これは義兄上、アナタもいらしたのですか… 何の用ですかな?」
それまで、楽し気に魅力的な笑顔を振りまいていた者と、同一人物とは思えないほど、シルトは慇懃無礼な態度へと豹変する。
「シルト様! アナタはなんて愚かなのですか?!」
自分にだけ冷淡なシルトに、美しい顔を醜くゆがめナーデルはブルブルと怒りで身体を震わせた。
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