英国紳士の溺愛

第４章 映画祭編

８５話 予兆

　言い争いをしながらも、どこか楽し気なアーサーとカルロ。
　蘇芳は2人の邪魔をしないよう、そっと離れ飲み物を取りに行く。



［ヤッ…！　ごめんなさい！　ソ…　ソーリー‥！！]

　アジア系の女性2人組にぶつかられ、蘇芳はシャンパンを掛けられてしまう。


［ど、どうしよう！　どうしよう！　この人の服、スゴク高そうなのに…］
［アンちゃん…　ほら！　このハンカチ使って、早く拭いてあげて！］
［そ、そっかぁ！］　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　
　オロオロと慌てた女性たちから聞こえた会話は、日本語だったので…
　蘇芳も日本語で答え、微笑み掛けた。

［大丈夫ですよ、そんなに慌てないで…]
　蘇芳は自分のハンカチ（アーサーに持たされてる）を出して拭いた。

＜ふふふっ…　さすがステファノが選んだ、パーティ用の衣装というだけはあるね！！＞
　拭いた…　と言っても、撥水加工がほどこされた服なので、掛けられたシャンパンは綺麗に流れて水滴がほんの少し表面で光っている程度で済んだ。



　ポカーンとする女性たち。

［あれ？　…日本人？　中国の人だと思った！］
　
　確かにチャイナマネーの影響で、英国の映画界も中国のお金で作られた作品が最近は多く…
　この会場にも、中国系かな？　と思える人が何人もいる。

　蘇芳も中国出身の俳優か？　と間違われて、中国系の偉い人に何度も声を掛けられた。

［ええ、日本人ですよ］
［何だ、よかった！　…じゃない、素敵な服にシャンパンをかけてごめんなさい！］　　　　　　　

［本当に大丈夫ですから］
　蘇芳が笑いながら手を振ると、ホッとする２人。

［あの…　さっきから、素敵だなぁとアナタを見てたのですが…　俳優さんですよね？　こちらで活躍されているのですか？］

［僕はただの留学生です…］
　日本語の気安さから、蘇芳はつい、正体をばらしてしまう。

［留学生！　だから英語が流暢なのね！］
［あなただって流暢でしょう？］
［私のはアメリカ英語だから、コチラの英語とちょっと毛色が違うのよ！！］

　2人は賑やかに言い合いをする。

［あの、よろしければ、向こうに監督とか共演者がいるので行きませんか?］
　女性たちは、日本人らしい人たちに指を差し、ニコニコと蘇芳に笑い掛けた。

［え？］

［私たちが出演した映画が海外部門でノミネートされて…　ソレで急遽駆け付けたというワケなの］

［ああ、ソレはおめでとうございます！］
　異国で偶然出会った日本人の成功が、蘇芳には自分のコトのように嬉しく思えて、心からお祝いの言葉を伝えた。

［やったね、ナンパ成功！］
［行こ！　行こ！］

［あははははっ…］
　両脇に立った女性2人に引っ張られ、笑いながら歩きだす蘇芳。




　数人の映画関係者と共に日本人の映画監督が、中年夫婦に握手を求められ嬉しそうに応対している。

　その中に、スラリと背が高くいかにも芸能人らしい、一際目立つ容貌の青年がいて、蘇芳の腕を引っ張る女性が、その青年の名前を口にした。

［ほら！　彼が主演の音埼おとさき　聖さとしさん…　知ってるよね？］


　蘇芳は茫然と＂彼＂を見た。


　蘇芳にはまだ、＂彼＂と会う覚悟も準備も出来てないのに…　
　その時は突然訪れた。





『ねぇ、彼が誰だか分かる？』
　数年前、母がテレビに映る青年を指差し蘇芳にたずねた。

『どこかで見た顔だなぁ？　誰なの？』
　アイドルグループの1人で、左耳に金のピアスを付けた派手な男だ。

『アナタのお兄さんよ…　小さい時のコトだから前に会ったのを覚えてないのね』
『…まさか？！　あの人が…　僕を犬の檻に…　檻に閉じ込めた怪物？？！』


　女性たちに連れられて、蘇芳は＂彼＂と対面した。

＜音崎聖おとさきさとし…　僕の腹違いの兄だ！！＞



　怒りと屈辱で、蘇芳の身体は密かに震えた。