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番外編 重ねる日々

ハウスで朝ごはん

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「おはようございます」
「おはようございます」

 じゅうたんの端を歩きながら、すれ違うスタッフと挨拶を交わす。朝日が昇りきらない早朝でも、ハウスのなかは既に動き始めていた。

 フットマンやメイドたちに会釈されると、イェオリはいつも面映ゆい気持ちになる。

 彼らの視線が、イェオリ個人というより、お仕着せでないベストに注がれているからだ。そこに敬意と憧れを感じるたび、ちょっと肩がこる格式の高い服装に誇らしくなる一方で、自分もあんな目で先輩の侍従たちを見ていたかもしれないと、気恥ずかしくなるのだ。

 第二王子の侍従がみっともなく慌てていたと噂されないよう、ゆっくりした足取りを心掛けつつ階段を降り、イェオリは地下にある職員用の食堂へ向かう。

 カルバートンに移る前には、ほぼ毎日お世話になった食堂は、利用する職員が王宮より少ないからやや狭いものの、地下とは思えないほど明るくて清潔だ。

 厨房が見えるなかほどまで進むと、カウンターに近いテーブルに、よく知っている顔がいた。白いプレートに積み上げたチップスと、まるでそれが未踏の山のごとく向き合っている。

「おはようございます、バッシュ」
「おはよう」

 挨拶に応じたバッシュは、つまんでいた一切れを口に入れ、紙ナプキンで指先をぬぐった。

 皿には、チップスのほかにも両面を焼いた目玉焼き二枚にマッシュルームと豆の煮込み、そこそこ大きなソーセージが二本、それからハムとチーズのサンドイッチがのっていた。

 エリオットが見たら、「食べる前から胸やけがする」と言いそうだ。

 抱いた感想はおくびにも出さず、イェオリは年季の入った丸椅子に腰を下ろした。

「おれに用だったか?」
「いえ、残念ながら。八時半からの会議に出席するんです。ベイカーに、せっかくだからこちらで朝食をと勧めていただいたので」
「企画委員のやつ?」
「それです」
「それなら、おれも出る。まぁ、だからここでのんびりしてる訳だが」

 会議のほうが通常業務より集合時間に余裕があるから、朝から油ものの攻略に挑んでいると。

 胃腸は人並みに健康だと自負しているイェオリだが、上には上がいることを肝に銘じる。実用性のなさそうな事柄ではあるけれど。

「会議は一緒に行くか?」
「えぇ、ぜひ」

 ならば、自分も早々に食事を頼まなければと思ったイェオリより先に、バッシュがカウンターにいるシェフのひとりに声をかけた。

「パウラ、イェオリにも朝食を」

 彼の世話焼きセンサーは、早朝でも感度良好らしい。

「はいはーい」

 ヒスパニック系の健康的な肌をした女性シェフが、スープカップを持ってやって来る。

「忙しい時間にすみません」

 スタッフのまかないも厨房のだいじな仕事だが、本来は王室一家の朝食を準備している頃合いのはずだ。

 カルバートンでも、のんきに顔を出そうものなら料理長から水と丸のままのリンゴを投げ渡されるくらいの時間である。

 しかしパウラは、陽気さをまとったまつげでウィンクした。

「いいのいいの、きょうは土曜だから『上』の朝食は遅めで余裕があるのよ」
「お邪魔でなければよかったです」
「メニューはバッシュと同じでいい? ベジタリアン用もあるけど」
「同じものを。チップスとソーセージは半量にしてください」
「卵は?」
「片面焼の半熟を一枚で」
「はーい。先にスープをどうぞ」

 受け取ったカップは、とろりとした薄いグリーンのポタージュ。ひと口含むと、アスパラガスの香りと甘みが広がった。裏ごしが丁寧なのか、繊維っぽさを感じない、朝の意に優しい味だ。

「どう?」
「おいしいです」

 よし! と両手を握ったパウラは小躍りしながら厨房に戻り、調理台の間を遠ざかって行った。

 バッシュが、自分のプレートの脇にある空のカップを視線で示す。

「きょうのスープ担当は彼女なんだ」
「そうでしたか」

 聞けば、ハウスのシェフのなかで、パウラは一番の新顔らしい。

 ホテルの厨房で修業したという経験が遺憾なく発揮されたスープを飲みながら、カウンターの向こうで忙しく動き回るシェフたちを眺めていると、ほどなくイェオリのプレートもやって来た。

 チップスとソーセージはバッシュの半分、目玉焼きの焼き加減もすべて注文通りだ。艶々の黄身が美しい。

 テーブルに備え付けてあるケチャップやマスタード、ソースを順に見て、ここに醤油があれば……などという、ささやかな不満を追いやってフォークを掴んだとき、カウンターからパウラがにょきっと生えた。

「あなた、これいる?」

 彼女が伸ばした手に握られていたのは、見慣れた日本語のパッケージに六角形のロゴが輝くボトル。

「もしかして醤油ですか?」
「そうそう。研究用に買ったんだけど、よかったら」
「ありがとうございます!」

 恭しく受け取って席に戻ると、サンドイッチをくわえたバッシュが翡翠の勾玉に似た瞳を愉快そうに煌めかせた。

「なにか?」
「いやいや。飯はうまいほうがいいよな」
「まったくです」

 パチンとふたを開けて、紫のしずくを落とす。

「いただきます」
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