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番外編 重ねる日々
恋のムキムキ⭐︎キューピッド
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「なぁ、イェオリってどんなやつ?」
「なんだその質問は」
目を向けると、はす向かいのデスクを使っていたフレッドだった。
「だってさー、突然ジョージのご指名で上がってきたかと思ったら、あのベイカーに引っこ抜かれて行ったんだぜ? お前、あっちと仲いいだろ」
週末に予定されている会議の資料を作り終えたところだったバッシュは、それを参加メンバーの共有フォルダにアップして時間を稼ぎながら、この質問にどう答えようか思案した。
事務所内で囁かれるうわさは、九割がフレッドを経由するというのが侍従や侍女の常識だ。つまり、いまここで返した自分の答えが、また彼の口を通して広がる。
フットマン時代から付き合いのあるフレッドを、悪意でもって誰かを貶めるような人間とは考えていない。しかし一方で、エリオットが信頼を置いている側近のうわさに妙な尾ひれがつくのは避けたいところだ。
「引越しの手伝いをしたんだから、全く知らないってわけじゃないだろう」
「あぁ、まあ。何度もお辞儀してお礼言うし、いらないって言ったのにランチ代渡してくるし、そのあとでまた菓子折り持ってくるくらい丁寧な奴ってことは知ってる」
そこまでしてたのか。
日本人の律義さ恐ろしいな。
侍従や侍女たちは仕事上の秘密を共有する関係上、かなり結束が固く、家族ぐるみで付き合いがあったりする。だからフォローしあうことに遠慮したりしないのだが、特異な流れで仲間入りをしたイェオリはまだそれを知らないのだろう。
先に伝えておいてやればよかった。
「まじめで常識のある優秀な奴、って情報じゃダメなのか」
「悪くはないんだけど、そう言うのじゃないんだな」
それで、ようやくバッシュもピンときた。
「仲介を頼まれたのか? 誰に?」
ラップトップの画面から顔を覗かせると、同僚も身を乗り出してくる。いい歳した男ふたりが顔を寄せ合っているのは絵面的にむさ苦しいが、フレッドが身上調査を請け負ってくる事情に興味があった。
悪いなイェオリ。
「言っておくが、『ちょっと粉かけておこう』くらいに思ってる相手なら、おれから話すことは何もないぞ」
「そんな相手なら、おれだってそもそも情報集めてやったりしないっての」
その言葉を信じるとして、バッシュは続きを促す。
フレッドの話によると、王宮のライブラリーに勤務する若い司書が、イェオリに一目ぼれしたそうだ。
スマートにスーツを着こなした普段見かけない東洋系の青年が、植物の研究に関する本を探していることを丁寧かつ柔らかな物腰で相談したことがきっかけらしい。
紹介した書籍のうち蔵書があるものはその場で貸し出し、何冊かは別のライブラリーからの取り寄せになった。場所柄あまり話はできなかったが、そのとき彼が登録した利用者情報の名前と、連絡先としてカルバートンの事務室を指定したことから身元が割れた。
「身元が割れたって、容疑者か。秘密保持はどうした」
「それが、本人はいたってまじめで大人しい子なんだよ。話ができただけで喜んで、また会えるかなと奥ゆかしく思ってるらしい。でもほら、あそこの職員って平均年齢高いだろ? かわいい娘のために一肌脱ごうって、周りのおばさ……いや、お姉さま方が張り切っちゃってるわけよ」
「なるほど」
「たまたま、殿下が借りた本を返しに行ったときに、『侍従が来た!』って捕まってさ、どんな男だって詰め寄られた」
取って食われるかと思ったね。
ふっと視線をそらしたフレッドの、哀愁漂う表情に「お姉さま方」の気迫を感じて、バッシュも少し身を引いた。
いや、実のところ「だれそれを紹介してくれ」という話自体は少なくない。大勢の人間が働いている場所なので、職場恋愛は往々にして発生するし、そのまま順調に交際・結婚に至る場合もそれなりにあるのだ。
イェオリについても──本人は知らないだろうが──王宮で働く職員の中では若手の出世頭として人気がある、なんてこともバッシュの耳まで届いている。まさか経歴を知らない相手にまでとは、さすがに驚きだが。
「イェオリを生贄にして逃げるつもりじゃないだろうな」
「いやいや、きっかけはいいんだよ。要はイェオリに好意を持ってる子がいて、イェオリがフリーでその気があればってことで」
「イェオリにその気がなかったら?」
というか、ほぼ間違いなくイェオリにその気はないだろう。交際相手がいるとは聞いていないけれど、いまは仕事のほうに重心を置いているくらいのことなら、見ていれば分かる。
「ダメなら本人は諦めてくれるだろ。一応ちらっと仕事ぶり見てきたけど、確かに感じのいい子だったから」
「お姉さま方も諦めてくれるといいがな」
「そのときは責任もって、フットマンあたりで見繕ったのを差し出して勘弁してもらう」
こういうところがどうかと思うのだが、付け加えた「市場に流れてないやつに本気になっても気の毒だからな」というセリフには、まぁ誠意があると言える。
「先にイェオリへ意思確認してからだな。情報だけ流して周りが勝手に盛り上がったら、本人には迷惑でしかないだろう」
バッシュは椅子に座りなおしてスマートフォンを手に取った。
イェオリとの個人チャットを開いたところで、最近よくカルバートンに出入りしている人物のことを思い出し、指が止まる。
あれはまだ、イェオリを気に入っているという段階なのか、それともこれから距離を詰めるつもりなのか。後者であれば、発展しないと分かっていても仲介をするのは悪いか?
いや、別にそこまで考えてやる必要はないな。
デスクの向こうから「早く送れ!」とジェスチャーするフレッドへは適当に頷き、バッシュはイェオリに夕飯の誘いのメッセージを送信した。
「なんだその質問は」
目を向けると、はす向かいのデスクを使っていたフレッドだった。
「だってさー、突然ジョージのご指名で上がってきたかと思ったら、あのベイカーに引っこ抜かれて行ったんだぜ? お前、あっちと仲いいだろ」
週末に予定されている会議の資料を作り終えたところだったバッシュは、それを参加メンバーの共有フォルダにアップして時間を稼ぎながら、この質問にどう答えようか思案した。
事務所内で囁かれるうわさは、九割がフレッドを経由するというのが侍従や侍女の常識だ。つまり、いまここで返した自分の答えが、また彼の口を通して広がる。
フットマン時代から付き合いのあるフレッドを、悪意でもって誰かを貶めるような人間とは考えていない。しかし一方で、エリオットが信頼を置いている側近のうわさに妙な尾ひれがつくのは避けたいところだ。
「引越しの手伝いをしたんだから、全く知らないってわけじゃないだろう」
「あぁ、まあ。何度もお辞儀してお礼言うし、いらないって言ったのにランチ代渡してくるし、そのあとでまた菓子折り持ってくるくらい丁寧な奴ってことは知ってる」
そこまでしてたのか。
日本人の律義さ恐ろしいな。
侍従や侍女たちは仕事上の秘密を共有する関係上、かなり結束が固く、家族ぐるみで付き合いがあったりする。だからフォローしあうことに遠慮したりしないのだが、特異な流れで仲間入りをしたイェオリはまだそれを知らないのだろう。
先に伝えておいてやればよかった。
「まじめで常識のある優秀な奴、って情報じゃダメなのか」
「悪くはないんだけど、そう言うのじゃないんだな」
それで、ようやくバッシュもピンときた。
「仲介を頼まれたのか? 誰に?」
ラップトップの画面から顔を覗かせると、同僚も身を乗り出してくる。いい歳した男ふたりが顔を寄せ合っているのは絵面的にむさ苦しいが、フレッドが身上調査を請け負ってくる事情に興味があった。
悪いなイェオリ。
「言っておくが、『ちょっと粉かけておこう』くらいに思ってる相手なら、おれから話すことは何もないぞ」
「そんな相手なら、おれだってそもそも情報集めてやったりしないっての」
その言葉を信じるとして、バッシュは続きを促す。
フレッドの話によると、王宮のライブラリーに勤務する若い司書が、イェオリに一目ぼれしたそうだ。
スマートにスーツを着こなした普段見かけない東洋系の青年が、植物の研究に関する本を探していることを丁寧かつ柔らかな物腰で相談したことがきっかけらしい。
紹介した書籍のうち蔵書があるものはその場で貸し出し、何冊かは別のライブラリーからの取り寄せになった。場所柄あまり話はできなかったが、そのとき彼が登録した利用者情報の名前と、連絡先としてカルバートンの事務室を指定したことから身元が割れた。
「身元が割れたって、容疑者か。秘密保持はどうした」
「それが、本人はいたってまじめで大人しい子なんだよ。話ができただけで喜んで、また会えるかなと奥ゆかしく思ってるらしい。でもほら、あそこの職員って平均年齢高いだろ? かわいい娘のために一肌脱ごうって、周りのおばさ……いや、お姉さま方が張り切っちゃってるわけよ」
「なるほど」
「たまたま、殿下が借りた本を返しに行ったときに、『侍従が来た!』って捕まってさ、どんな男だって詰め寄られた」
取って食われるかと思ったね。
ふっと視線をそらしたフレッドの、哀愁漂う表情に「お姉さま方」の気迫を感じて、バッシュも少し身を引いた。
いや、実のところ「だれそれを紹介してくれ」という話自体は少なくない。大勢の人間が働いている場所なので、職場恋愛は往々にして発生するし、そのまま順調に交際・結婚に至る場合もそれなりにあるのだ。
イェオリについても──本人は知らないだろうが──王宮で働く職員の中では若手の出世頭として人気がある、なんてこともバッシュの耳まで届いている。まさか経歴を知らない相手にまでとは、さすがに驚きだが。
「イェオリを生贄にして逃げるつもりじゃないだろうな」
「いやいや、きっかけはいいんだよ。要はイェオリに好意を持ってる子がいて、イェオリがフリーでその気があればってことで」
「イェオリにその気がなかったら?」
というか、ほぼ間違いなくイェオリにその気はないだろう。交際相手がいるとは聞いていないけれど、いまは仕事のほうに重心を置いているくらいのことなら、見ていれば分かる。
「ダメなら本人は諦めてくれるだろ。一応ちらっと仕事ぶり見てきたけど、確かに感じのいい子だったから」
「お姉さま方も諦めてくれるといいがな」
「そのときは責任もって、フットマンあたりで見繕ったのを差し出して勘弁してもらう」
こういうところがどうかと思うのだが、付け加えた「市場に流れてないやつに本気になっても気の毒だからな」というセリフには、まぁ誠意があると言える。
「先にイェオリへ意思確認してからだな。情報だけ流して周りが勝手に盛り上がったら、本人には迷惑でしかないだろう」
バッシュは椅子に座りなおしてスマートフォンを手に取った。
イェオリとの個人チャットを開いたところで、最近よくカルバートンに出入りしている人物のことを思い出し、指が止まる。
あれはまだ、イェオリを気に入っているという段階なのか、それともこれから距離を詰めるつもりなのか。後者であれば、発展しないと分かっていても仲介をするのは悪いか?
いや、別にそこまで考えてやる必要はないな。
デスクの向こうから「早く送れ!」とジェスチャーするフレッドへは適当に頷き、バッシュはイェオリに夕飯の誘いのメッセージを送信した。
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