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番外編 重ねる日々

ブランシェールの「サー」について

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 カルバートンの数ある部屋の中でも、普段は使われることのないがらんとした一室が、その日はブランシェールの店が引っ越してきたかのようだった。

 彼自身が工房でパターンを引いたシャツから、確かな目でセレクトしてきたシューズまで、ゆっくり吟味して冬のワードローブを選ぼうという会だ。

 以前はキャロルと工房を訪ねたこともあるエリオットだが、「何度も来られるとスタッフが恐縮して大変なので」と辞退され、この外商スタイルになった。もちろん、お針子のメルがアシスタントとして同行している。

 着回しのきくものを中心に数点決めたあと、エリオットは何の気なしに話題を振った。

「サー・ブランシェール、父からはいつ叙勲を?」

 ざっくり編まれたニットをたたみながら、ブランシェールが黄色っぽいレンズの奥で瞬きする。

「まだされておりませんよ?」
「ん?」

 だって「サー」だろ?

 首をかしげるエリオットに、ブランシェールとメルが揃って微妙な表情になった。

「……待って、本名は?」
「マティアス・ブランシェールと申します」
「ブランシェールってファーストネームじゃなかったのか⁉」

 敬称がついているから、てっきり名前だと思っていた。

 侍従たちに視線をやると、ツイードのパンツを裏返してタグを確認していたロダスと、二本のベルトを見比べていたイェオリがアイコンタクトするのが見えた。

 さては知ってたな?

 エリオットの様子に顧客の勘違いを悟ったらしいブランシェールは、くいっと指先でめがねを押し上げた。

「あー、殿下。保身のために弁解させていただくと、わたしは自ら『サー』を名乗ったことはありませんよ」
「えー……」

 いや、確かにそう……だったか?

 そういえば、最初に彼を「サー」と呼んだのはナサニエルだ。エリオットを「スイート」とか「グランディディエ」とか呼ぶ、あの友人のクセを失念していた。

「ずいぶん前、コレクションの仲間入りをしたとき、友人たちが面白がって呼び始めたんです。この業界、ノリのいい人間が多いもので、いつのまにか広がってしまいまして」

 身分詐称のつもりはありませんでした、と肩をすくめる。

「なるほど。つまりあだ名なんだな」
「えぇ、ナイトなどの正式な肩書ではありません」

 椅子の肘置きで頬杖をついて、エリオットはイェオリを招いた。

「おれの記憶が正しければ、ベイカーも『サー』って呼んでたと思うんだけど?」
「はい、殿下。我々は、その方が社会的に広く認知されているお名前でお呼びするようにしております」
「それ早くいってほしかったなぁ……」
「申し訳ございません」

 いや、いいんだけど。

 タレントやSNSのインフルエンサーも、変わった名前を名乗っていたりするしな。

「今後、どのようにお呼びいただいても構いませんよ」
「でもさぁ」
「はい?」
「語感がよすぎるんだよ」

『サー・ブランシェール』の。

 深くため息をつくエリオットに、ブランシェールは苦笑した。

「わたしもそう思います」
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