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番外編 重ねる日々

家さがし

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「家を買おうと思うんだけど」
「さようですか」

 わずかなタイムラグもなく相槌をうつイェオリに、ナサニエルは肩をすくめた。欧米のドラマで俳優がよくやるあれだ。日本人からするとオーバーに見えるリアクションも、こちらでの暮らしが長くなると日常的に目にする。

 ナサニエルはイェオリがそう答えることが分かっていたかのようだが、実際それしか答えようがなかった。
 家を買おうがフェリーを買おうが、目の前でイェオリがいれたお茶を飲むこの青年の家計が、わずかでも傾くことはないのだから。

 ナサニエル・フォスターが持つ総資産額まで知っているイェオリには、「好きにしてくれ」という以外の感想を抱きようがないじゃないか。

 イェオリは心の内でため息をつく。

 知っているのは総資産だけではない。彼が由緒ある貴族で、大金持ちの御曹司であることは間違いないが、その半生が理不尽に満ちていることも、彼の身辺を調査したイェオリは承知している。イェオリが知っていることを、ナサニエルが気付いていて、プライバシーの侵害を糾弾するつもりがないことも。

 以来、ナサニエルに対する漠然とした苦手意識は、彼の生い立ちへの安易な同情と、これまで勝手なイメージを抱いていた後ろめたさが混ざり合って、言語化するにはひどく難のあるものに変化している。

 だからイェオリは、自分が彼に私的な感情を伝える立場にないことを、少しばかりありがたく思っていた。スーツに身を包み白手袋でテーブルを整えている間は、ナサニエルに対する罪悪感のようなものを職務への忠実さを盾に見ないふりができる。

 そして、主人が到着するまでゲストをもてなすのも自分の仕事だ。気まずいからといって邪険に扱うなど言語道断。プライドにかけて、そんな醜態は晒さない。

「既に、ご立派なお屋敷をお持ちのはずでは?」
「もちろん、あそこがぼくの本邸だけどね。エリオットと仕事をしようとすると、ちょっと遠いじゃない?」
「さようですね」

 エリオットの初めてのスピーチを演出したナサニエルは、その後に契約を結び正式な私設秘書に就任した。秘書とはいうものの、実際は公私にわたるプランナー兼アドバイザー。要はブレーンだ。

 彼のいうとおり、エリオットと深く関わる仕事ではある。が、イェオリのように、常にそばで控えている必要はないはず。週に一度か二度を想定しているミーティングのために家を買うとは。

 豪気というか、酔狂というか。

 この仕事に就いて、本物の上流階級というものを目の当たりにして来たイェオリは、驚きよりもただ感心してしまう。

「というわけで、おすすめの物件とかないかな」
「業務の範疇外ですので、お答え致しかねます」
「そうでもない、といったら?」

 怪訝な目を向けるイェオリに、ナサニエルは柔らかそうな唇に人差し指を当ててウィンクした。


  ◇



「きょう休みか?」
「えぇ。少しご相談がありまして」

 平服で王宮へ出向いたイェオリに、事務所で会議の議事録を作っていたバッシュが片眉を上げた。

 本当に、こちらのひとたちは非言語コミュニケーションに秀でているなと思う。肩や腕だけでなく、表情筋までよく動くのだ。

 イェオリとしては感情を殺しているつもりなどなかったが、学生のころに何度か「感情が読めない」「何を考えてるか分からない」といわれたこともあった。だから、せめて怒っていると勘違いされないよう、なるべく笑顔でいることを心がけている。エリオットの前では特に。

「上流階級向けの不動産屋?」
「ご存知でしたら、ご紹介いただけないかと」
「お前が住む……って訳じゃなさそうだな。投資でも始めるのか?」
「不動産に手を出すほど、まだ原資がありません」

 律儀に答えると、バッシュは顎で隣のデスクを指す。

 イェオリはよく整頓された事務机からキャスター付きの椅子を引き出して腰を下ろすと、床に置いたショルダーバッグからタブレットを取り出した。

「それで? 何でまた不動産屋?」
「物件を探して欲しいと依頼されまして」
「お前に?」
「はい」

 バッシュは人差し指の先で唇をこすりながらしばらく考えていたが、やがて同情めいた目でイェオリを見た。

 イェオリではまだツテのない『本物の』高級物件を探していて、それを直接頼める関係にある。さらには休みを潰して動いていることを鑑みれば、依頼人はすぐ浮上する。

「ああいう人種はひとを使うことに躊躇いがないから、線を引くのも必要だぞ」
「承知しています。これは、ある意味で業務の範疇なので、例外といいますか…」

 我ながら弁解じみているな、と思いながら、イェオリは事情を説明した。
 ナサニエルが家を探している。もちろん、自分が住むためのタウンハウスとしてだ。ただ彼はついでのようにこういった。

『あまり派手でなくていいよ。秘密基地を作りたいだけだから』

 誰の秘密基地なのか、分からないほど鈍いイェオリではない。いつも呆れるほど甘い言葉で口説く、友人のために違いなかった。

 イェオリも、ナサニエルがそう考える理由は理解できるのだ。

 カルバートンは広い敷地に庭も公園もあり、いい屋敷には違いない。けれど常にスタッフが出入りし、プライベートがない。さらに窓から外を見れば、観光客やパパラッチが柵のむこうからカメラのレンズを向けていた。

 エリオットは「中に入ってくるわけじゃないし」といっているし、彼の私生活に土足で踏み入っている自分がなにをと思われるだろうが、この暮らしは息苦しくないだろうかと心配になる。だから、気軽に出かけられる、隠れ家なような「友だちの家」が、あってもいいのではないかと。

「それで、フォスターの無茶振りを受けたのか」
「殿下がおいでになる前提であれば、こちらにとってよい条件の物件にしていただくほうが、なにかと都合がいいと判断しました」

 おそらくナサニエルも、イェオリが自分の依頼を断らないことを見越していたはずだ。

 思惑通りに動いてやるのはおもしろくないが、イェオリにとってエリオットの安心と快適はなにものにも勝る。

「──そのような経緯です。わたしは不動産関係に明るくないので、知恵を借りられたらと」


  ◇


 ミーティングとも雑談ともつかないランチタイムのあと、シッティングルームに移動したナサニエルとエリオットに、イェオリはタブレットを示した。

「なに?」

 低いテーブルに置かれたタブレットを、エリオットが覗き込む。彼の足元にいたルードも、尻尾を左右にふりつつ鼻先で画面をつついた。

「フォスターさまにご依頼いただいた、物件の候補です」
「ニール、家買うの?」
「この辺にね。近くにあった方が便利だから」
「そっか」

 エリオットは、友人の言葉を疑わない素直さで頷いた。

 本来ならエリオットの前でする話ではなく、資料もデータを送ってすむ。わざわざ彼のいるところで持ち出したのは、ナサニエルの要望だ。

 きょろりと目を動かすエリオットと、それをニコニコしながら眺めるナサニエルに、イェオリはなんちゃって不動産屋として物件の説明を始める。

 シルヴァーナの住宅事情は、日本とかなり異なるので色々と勉強になった。今回タブレットに入れた候補は三軒。ひとつ目はレミング川対岸の高級住宅街にある、ホテルのようなコンシェルジュ付きのペントハウス。ここは比較的カルバートンに近い。ふたつ目は首都の端っこに広がるバンガロー街の一軒。敷地が広く平屋のため、幼い子どもを持つ家族や老夫婦が多く治安がいい。そして最後が──。

「これ、ミューズハウスかい?」
「はい」

 ナサニエルがタブレットの画面をスワイプして、写真と間取りを見比べた。

 コンパクトな二階建て。壁紙やインテリアはやや古いが、手を入れれば問題なく住むことができる。

「王宮から一キロほどの距離で、旧ノールズ侯爵家のタウンハウスにあったミューズハウスです。三軒並ぶ長屋で、一軒分は2ベッドルーム。おひとりであれば十分かと」
「なるほど」

 そう来たか、といいたそうな表情だ。

 ミューズハウスとは、貴族のタウンハウスに馬小屋として造られた建物を、住居として改装したものだ。元馬小屋というと印象が悪いかもしれないが、現在はフラットとして貸し出されているタウンハウスの裏にあるから静かだし、快適にリノベーションされた物件は意外と人気なのだとか。

 バッシュのツテを頼って紹介してもらった不動産会社のエージェントが、変わり種として出してきたミューズハウスは、どう見ても上流階級向けではなかった。けれど、彼が指定した「秘密基地」に合致する。

 イェオリの読み通り、ハイクラスな屋敷を見慣れているナサニエルも、このドールハウスのような家に興味をひかれたらしい。

 内観の写真をじっくり見ながら「どう思う?」とエリオットに尋ね、「落ち着く家だと思う」と感想をもらった。「な?」と顔を向けられて、ルードまで「わふっ」と返事をする。

 エリオットは狭い空間が好きだから、吹き抜けのある豪邸よりも、以前住んでいたフラットのような雰囲気のあるミューズハウスが気に入るだろう。

「長屋スタイルだよね。隣人がネックかなぁ」

 三軒並んだ外観の写真を爪の先で叩いて呟くナサニエルに、イェオリはさらりと告げる。

「現在そちらの物件は、三軒とも入居者がおりません。賃貸として所有していたオーナーが、入居者が途切れたタイミングでB&Bにする計画をたてていたようですが、事情により手放さざるを得なかったそうです」

 つまり長屋として繋がっている三軒とも買ってしまえば、誰が出入りしても隣人に見咎められることはない。旧市街だからエリオットが乗る車が走っていても不思議はない反面、こんな普通の住宅街に王子がいるなんて周囲は考えもしない。裏通りだから普段の人通りも少なくてパパラッチなどの不審者がいれば目立つ。お忍びで遊びにくるには充分な条件がそろっていれば、三軒分の費用くらい、彼は喜んで支払うはずだ。

 初めから、この物件がイェオリの本命である。

「ミューズハウスとは、考えもしなかったな。ぼくの友人たちに探してもらっても、絶対に出てこない選択肢だ」

 ナサニエルも、その意図を正確に読み取った。

「いいね、三軒とも買おう」
「あとの二軒は? 計画通りホテルにする?」

 エリオットが首を傾けると、ナサニエルは伸びをしてソファの背もたれに倒れ込んだ。

「どうせハウスキーパーを家の管理人として雇うから、一軒はその管理人に提供するよ。もう一軒はまぁ、そのうち何かに使うさ。手狭になれば、壁を抜いて一軒にしてもいいし」
「あぁ、確かに。買っちゃえば好きなようにできるもんな」
「そうそう。ベッドルームはひとつきみにあげるから、遊びに来てね」

 パジャマパーティーしよう、というナサニエルに、エリオットは両手をあげて喜んだ。

「ありがとう、イオリ。きみの選んだ家なら間違いないと思うよ。楽しみだね」
「恐縮です」
「後の手続きは、うちの執事に繋いでくれるかな」
「承知いたしました」

 仕事の拠点にするなら、慣れているホテルや同じ階層が集う地域のほうがずっと勝手がいい。それなのに、イェオリが勧めた家を即決で買ってしまうとは。

 エリオットさまは傾城だな。

「あ、もちろんきみも招待するよ、イオリ」
「エリオットさまがおいでのときには、ぜひお伴させていただきます」

 タブレットを回収して、イェオリはナサニエルの執事への連絡をメモする。

「よしエリオット、毎日おいで」
「それもう同居」

 けらけら笑うエリオットに、ナサニエルは真面目な顔で頷いた。

「最終目標はそれにしよう」
「旦那さまにご報告いたします」
「ぼくの命に関わるからやめてくれると嬉しいな」

 それでも満足げなナサニエルの菫色の瞳に、求められた仕事をこなせたと解釈する。

 エージェントに電話をするといってシッティングルームを辞したイェオリは、誰もいない廊下で小さく拳を握って──いやいやと頭を振る。

 ナサニエルに予想外の提案をしてみせたことは、ひとを手のひらで転がしている気になっている彼に一矢報いたようで気分がよかった。しかし考えてみれば、結局うまいこと丸め込まれて自分の仕事をしただけだ。

「あれでエリオットさまと同い年だとか、詐欺じゃないのか……」

 あの曇りのない素直さを見習ってほしい。

 線を引くのも大事だ、というバッシュの忠告を思い出す。

 望もうが望まなかろうが、これからナサニエルとの接点は増える。きっと今回のような、半分仕事で半分私的な頼みごともされるに違いない。

 これは貸しにしておこうと決める。いつか、こちらに便宜を図ってもらうときのための貸し一だ。
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