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番外編 重ねる日々
宝箱
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小さな主人がかんしゃくを起こしていると聞いたベイカーは、彼の家庭教師との定期ミーティングを早めに切り上げた。
王子のそばには慣れた侍従がついているから、自分が呼ばれるのは彼らでは手に負えない事態が発生しているということで、早足で駆け付けた子ども部屋は、なかなかの惨状を呈していた。
マットレスから引き抜かれたシーツはぐしゃぐしゃにベッドから垂れ下がり、チェストは物取りが物色したあとのようにすべての引き出しが口を開けている。そしておもちゃ箱の中身が散乱した床の真ん中に、ベイカーの主人がうずくまっていた。
猫の子のように背中を丸めて、ひくひくとしゃくりあげる声が聞こえる。
これは予想外だ。
「何ごとです」
ベイカーは半ば呆然と尋ねた。
エリオットは赤ん坊のころから人見知りで、すぐふさぎ込むところのある子どもだが、ひとに八つ当たりしたことはない。まして部屋を荒らすなどということは。
「キャンディの包み紙をお探しのようです」
現れたベイカーにホッとしたようすで、フランツがいう。
「キャンディ?」
「本日、王妃陛下と街の駄菓子屋へおいでの折に、キャンディをお求めになったかと」
「えぇ」
それはベイカーも同行していたので知っている。
買い物の体験だ。普通の子どもが小遣いを持って通うようなカラフルなショップで、初めて握らせてもらったユーロ硬貨と駄菓子を交換してご機嫌だった。
「中でも鳥の絵のついた包み紙をお気に召して、わざわざ枕元に置いておられたのですが……」
「それが見当たらないと?」
「はい。ご昼食の前までそこにあったのは、わたくしも確かに見ておりますが」
ランチを終えて帰ってきたら、飾っておいた包み紙がなくなっていたと。
「それでこの状態ですか」
「とてもショックだったようで」
部屋をひっくり返して探したのに見つからず、長椅子の後ろの秘密基地にこもることすらできないほど打ちひしがれているわけだ。
泣きわめくでもなく、ただ静かに丸まってしゃくりあげている姿は悲哀に満ちている。
「あなたも探したのでしょう?」
「はい。しかし見つかりませんでした。ご昼食のあいだに清掃が入っております。ロダスをやって確認中ですが、おそらく……」
フランツが声を落としたとき、そのロダスが足音を殺して走ってきた。
「どうでしたか?」
ロダスは渋い顔で首を振り、握っていた手を開いて見せる。
「ゴミとしてメイドに回収されていました。見つけはしたのですが……」
ふたりは同僚の手のひらを覗き込み、暗澹たる気持ちになった。
エリオットがだいじに取っておいた包み紙は無残に破れ、デフォルメされた青い鳥の絵は真っ二つになっていた。
メイドを責めることはできない。エリオットにとってはかけがえのない宝物でも、大人の目には菓子を食べたあとのゴミが放置されているとしか映らないだろう。
しかしこの場合、解決方法は明快だ。
ベイカーはエリオットに届かないくらいの小声で指示を出した。
「ロダス、すぐにこのキャンディと同じものを購入し、包み紙だけを届けさせてください。フランツは厨房へ」
◇
準備が整ったのは、二十分後。例の駄菓子屋だけではなく。最寄りの商店でも取り扱いのあるポピュラーなメーカーのキャンディだったことも幸運だった。
ロダスとフランツが持ってきたものを手に、ベイカーはエリオットのもとへ歩み寄った。
「殿下」
小さくなっていたエリオットが、ぴくりと動く。
そっと背中をなでると、シャツ越しにいつもより高い体温が伝わってきた。泣きつかれて眠くなっているのだろう。
「見つかりましたよ」
緩慢な動きで体を起こし、エリオットは真っ赤な目でベイカーを見上げた。
「お探しのものは、こちらですね?」
セロファンの包み紙を差し出すと、小さな口が息をのんだ。
震える手でそれを受け取り、確かめるように何度も青い鳥のしわを伸ばす。
「これぇ……これね、いおの……」
「えぇ、殿下のものですよ」
かすれた声にうなずけば、エリオットは泣きはらした頬をふにゃふにゃにして笑った。
見守っていたフランとロダスが胸をなでおろすのを感じながら、ベイカーはもうひとつのものをエリオットの膝にのせた。フランツにいって厨房で手に入れてもらった、クッキーの空き缶だ。
上品な白地に絵本のようなタッチで動物が描かれた円形の缶を、エリオットはきょとんと見下ろす。
「殿下のだいじなものは、なくならないようにここへ入れましょう。大きいですから、たくさん入りますよ」
「たくさん……」
「まず最初は、こちらです」
ベイカーが包み紙を示す。エリオットは不器用な手つきでふたを開け、最初のひとつを底に置いた。そして、またゆっくりとふたをする。
両手で持った缶をそっと振ると、カサカサと音が鳴った。宝物が入っている音だ。
王子のそばには慣れた侍従がついているから、自分が呼ばれるのは彼らでは手に負えない事態が発生しているということで、早足で駆け付けた子ども部屋は、なかなかの惨状を呈していた。
マットレスから引き抜かれたシーツはぐしゃぐしゃにベッドから垂れ下がり、チェストは物取りが物色したあとのようにすべての引き出しが口を開けている。そしておもちゃ箱の中身が散乱した床の真ん中に、ベイカーの主人がうずくまっていた。
猫の子のように背中を丸めて、ひくひくとしゃくりあげる声が聞こえる。
これは予想外だ。
「何ごとです」
ベイカーは半ば呆然と尋ねた。
エリオットは赤ん坊のころから人見知りで、すぐふさぎ込むところのある子どもだが、ひとに八つ当たりしたことはない。まして部屋を荒らすなどということは。
「キャンディの包み紙をお探しのようです」
現れたベイカーにホッとしたようすで、フランツがいう。
「キャンディ?」
「本日、王妃陛下と街の駄菓子屋へおいでの折に、キャンディをお求めになったかと」
「えぇ」
それはベイカーも同行していたので知っている。
買い物の体験だ。普通の子どもが小遣いを持って通うようなカラフルなショップで、初めて握らせてもらったユーロ硬貨と駄菓子を交換してご機嫌だった。
「中でも鳥の絵のついた包み紙をお気に召して、わざわざ枕元に置いておられたのですが……」
「それが見当たらないと?」
「はい。ご昼食の前までそこにあったのは、わたくしも確かに見ておりますが」
ランチを終えて帰ってきたら、飾っておいた包み紙がなくなっていたと。
「それでこの状態ですか」
「とてもショックだったようで」
部屋をひっくり返して探したのに見つからず、長椅子の後ろの秘密基地にこもることすらできないほど打ちひしがれているわけだ。
泣きわめくでもなく、ただ静かに丸まってしゃくりあげている姿は悲哀に満ちている。
「あなたも探したのでしょう?」
「はい。しかし見つかりませんでした。ご昼食のあいだに清掃が入っております。ロダスをやって確認中ですが、おそらく……」
フランツが声を落としたとき、そのロダスが足音を殺して走ってきた。
「どうでしたか?」
ロダスは渋い顔で首を振り、握っていた手を開いて見せる。
「ゴミとしてメイドに回収されていました。見つけはしたのですが……」
ふたりは同僚の手のひらを覗き込み、暗澹たる気持ちになった。
エリオットがだいじに取っておいた包み紙は無残に破れ、デフォルメされた青い鳥の絵は真っ二つになっていた。
メイドを責めることはできない。エリオットにとってはかけがえのない宝物でも、大人の目には菓子を食べたあとのゴミが放置されているとしか映らないだろう。
しかしこの場合、解決方法は明快だ。
ベイカーはエリオットに届かないくらいの小声で指示を出した。
「ロダス、すぐにこのキャンディと同じものを購入し、包み紙だけを届けさせてください。フランツは厨房へ」
◇
準備が整ったのは、二十分後。例の駄菓子屋だけではなく。最寄りの商店でも取り扱いのあるポピュラーなメーカーのキャンディだったことも幸運だった。
ロダスとフランツが持ってきたものを手に、ベイカーはエリオットのもとへ歩み寄った。
「殿下」
小さくなっていたエリオットが、ぴくりと動く。
そっと背中をなでると、シャツ越しにいつもより高い体温が伝わってきた。泣きつかれて眠くなっているのだろう。
「見つかりましたよ」
緩慢な動きで体を起こし、エリオットは真っ赤な目でベイカーを見上げた。
「お探しのものは、こちらですね?」
セロファンの包み紙を差し出すと、小さな口が息をのんだ。
震える手でそれを受け取り、確かめるように何度も青い鳥のしわを伸ばす。
「これぇ……これね、いおの……」
「えぇ、殿下のものですよ」
かすれた声にうなずけば、エリオットは泣きはらした頬をふにゃふにゃにして笑った。
見守っていたフランとロダスが胸をなでおろすのを感じながら、ベイカーはもうひとつのものをエリオットの膝にのせた。フランツにいって厨房で手に入れてもらった、クッキーの空き缶だ。
上品な白地に絵本のようなタッチで動物が描かれた円形の缶を、エリオットはきょとんと見下ろす。
「殿下のだいじなものは、なくならないようにここへ入れましょう。大きいですから、たくさん入りますよ」
「たくさん……」
「まず最初は、こちらです」
ベイカーが包み紙を示す。エリオットは不器用な手つきでふたを開け、最初のひとつを底に置いた。そして、またゆっくりとふたをする。
両手で持った缶をそっと振ると、カサカサと音が鳴った。宝物が入っている音だ。
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