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訳あり王子と秘密の恋人 第二部 第七章
13.お風呂ドッキリ☆
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メインは鴨とリーキのマリネだった。最後まで軽く、小食のエリオットでも完食できるメニュー選びだ。しかも小憎たらしいことに、デザートはエリオットが所望したエッグタルト。保冷ケースから皿を出して来たときの、バッシュのドヤ顔といったら。
素直に喜ぶのは非常に癪だったけれど、さっくりしたペイストリー生地とともに焼き上げられた、滑らかなカスタードクリームの甘さに懐柔されないわけがなかった。癪だったけど!
部屋の奥から水音がする。バッシュがデザートの皿を洗っている──のではなく、バスタブに湯を溜めている音だ。満腹でしばらく動きたくないから先に使えとエリオットがいったので、「じゃあ遠慮なく」と入浴の準備をしている。
床の毛布に転がり、完全に寝る態勢に入ったルードに飲み水を用意しながら、エリオットはバスルームから聞こえてくる音と気配に耳をそばだてた。
肩までつかるほどバスタブに湯を張るというイェオリの文化とは異なり、シルヴァーナでは腰や、入れても腹のあたりまでがせいぜいだ。だからさほど時間はかからないと踏んだ予想通り、とぽとぽと落ちるような水音は早めに止んだ。
「エリオット、本当にあとでいいんだな?」
「いいつってんだろ!」
間延びした声に肘掛け椅子から叫ぶと、「はいはい」とバスルームの扉が閉まった。
よし、作戦開始だ。
頭の中で「ミッション:インポッシブル」のテーマを流しながら立ち上がり、エリオットは革靴から足を抜く。足音を立てないようにつま先立ちでリビングスペースを抜けると、後ろ手にベッドルームの扉をきっちり閉めた。ルードには悪いが、目を覚まして乱入されたら作戦がパァだ。
手触りのよさそうなシーツでメイキングされたキングサイズのベッドを横目に、バスルームの扉に忍び寄り、左耳を押し当てる。分厚い彫り彫刻の扉を通して──実際は上下の隙間から──洗面所と浴室を仕切る引き戸が閉まる音、続いてコックをひねり、シャワーが床のタイルを叩く音が続く。
エリオットは扉に貼りついたまま三十秒数えてから、金庫破りのように慎重な手つきで楕円形のノブを回した。扉を固定していたラッチがゆっくり引っ込み、わずかな軋みもなく開く。素早く隙間に体を滑り込ませ、また普通の十倍くらいかけて扉を閉める。
洗面を兼ねた脱衣場には、植物で編まれたかごに、バッシュの着ていた服が入っていた。壁から突き出たフックには、スラックスをかけたハンガーがぶら下がっている。
シャワーの音が止む。エリオットはぎくりとしたが、そのままバスタブに浸かる気配がして、そっと息を吐いた。
浴室の壁が、全面すりガラスになっていることは確認済みだ。そのガラスは湯気でさらに曇っていて、中の様子は全然分からない。しかし好都合だ。中からも、こちらがなにをしているか気付かれないということだから。
エリオットは一度ぎゅっと両手を握ると、手早くシャツとスラックス、それに下着を脱いでバッシュの抜け殻の上からかごに放り込んだ。
現代風に改築された引き戸に手をかけ、勢いよく開け放つ。
スパーン!
もわもわと沸き立つ湯気の向こうにあるバスタブは、一段高くなった大理石の床に埋め込まれる形になっていて、バッシュは両腕を淵にかけ、ゆったりと湯に浸かっていた。
しっとり濡れた金糸から水滴が首筋に落ちて、温められ赤みが増した胸のほうへ流れていく。リラックスタイムに乱入してきたエリオットを、数回瞬いたヒスイカズラ色の瞳が無言で見上げた。
「……」
「……」
ノーリアクションにうろたえたのはエリオットだ。
え、驚くとか恥ずかしがるとか、そういうのはないわけ?
恋人がマッパで立ってんだぞ。もう少しなんかあるだろ普通。
沈黙に耐え切れず、エリオットは口を開け閉めした。
「……で」
「で?」
「デザートデリバリーでーす」
「満腹でーす」
「いや食えよ! 満腹だろうが吐こうが押し頂いて食え!」
「とんでもない暴君だな」
詰め寄ったエリオットに、バッシュが豪快に笑う。
くそ、かっこつかねーなもう。
バスタブの淵を握ってしゃがみ込んだら、バッシュの手がのびてきて顎をくすぐった。
ちらりと目を上げると、後ろに撫でつけた髪がひと筋、額に落ちている。やばいくらいにセクシーだ。
「食う前に洗ってやるから入れ」
渋々大きなバスタブに入ると、思ったより熱い湯にへそのあたりまで包まれる。足の先から、じわじわっとくすぐったい感覚が伝わってきた。
バスタブの端っこで膝を抱えたエリオットの右手を取り、ボディーソープを泡立てたスポンジで腕をマッサージするように洗いながら、バッシュはやたらと楽しそうだった。
自分がふてくされているときほど、彼は上機嫌になる気がする。どうせエリオットがこのサプライズのために、風呂を先に使えといったこともバレてるんだろう。だから余計にやにやしているわけだ。
調子に乗って鼻歌まで歌ってやがる。エルトン・ジョンの「ユア・ソング」だ。反響するバスルームだとそれっぽく聞こえるが、よく耳を傾けてみればちょいちょい音を外している。
「相変わらずへたくそだな」
「へたなことを嫌いである必要はないからな」
「うそつけ。前は『歌はちょっと』とかいってただろ」
「誰かさんがやたらおもしろがるから、愛嬌だと思うことにした」
あんたに可愛げなんか存在しねーよ。
「はい次、左」と幼児にするように逆の腕も洗われて、むかついたからあぐらをかく無防備なすねを蹴る。「こら」と足首を掴まれて引っ張られた。
「うわ!」
つるっとしたバスタブで尻が滑り、仰向けになりかけたところを、両肘をついてなんとかこらえるが、波立った湯が顔にかかった。
「溺れたらどうすんだバカ!」
「こんな浅い風呂でか?」
「五センチの水深でも溺れるんだぞ!」
「それは乳幼児への注意喚起だろう」
腰を浮かせたバッシュが、片手をエリオットの肘の横について覆いかぶさってくる。
どきっと心臓が跳ねた。
素直に喜ぶのは非常に癪だったけれど、さっくりしたペイストリー生地とともに焼き上げられた、滑らかなカスタードクリームの甘さに懐柔されないわけがなかった。癪だったけど!
部屋の奥から水音がする。バッシュがデザートの皿を洗っている──のではなく、バスタブに湯を溜めている音だ。満腹でしばらく動きたくないから先に使えとエリオットがいったので、「じゃあ遠慮なく」と入浴の準備をしている。
床の毛布に転がり、完全に寝る態勢に入ったルードに飲み水を用意しながら、エリオットはバスルームから聞こえてくる音と気配に耳をそばだてた。
肩までつかるほどバスタブに湯を張るというイェオリの文化とは異なり、シルヴァーナでは腰や、入れても腹のあたりまでがせいぜいだ。だからさほど時間はかからないと踏んだ予想通り、とぽとぽと落ちるような水音は早めに止んだ。
「エリオット、本当にあとでいいんだな?」
「いいつってんだろ!」
間延びした声に肘掛け椅子から叫ぶと、「はいはい」とバスルームの扉が閉まった。
よし、作戦開始だ。
頭の中で「ミッション:インポッシブル」のテーマを流しながら立ち上がり、エリオットは革靴から足を抜く。足音を立てないようにつま先立ちでリビングスペースを抜けると、後ろ手にベッドルームの扉をきっちり閉めた。ルードには悪いが、目を覚まして乱入されたら作戦がパァだ。
手触りのよさそうなシーツでメイキングされたキングサイズのベッドを横目に、バスルームの扉に忍び寄り、左耳を押し当てる。分厚い彫り彫刻の扉を通して──実際は上下の隙間から──洗面所と浴室を仕切る引き戸が閉まる音、続いてコックをひねり、シャワーが床のタイルを叩く音が続く。
エリオットは扉に貼りついたまま三十秒数えてから、金庫破りのように慎重な手つきで楕円形のノブを回した。扉を固定していたラッチがゆっくり引っ込み、わずかな軋みもなく開く。素早く隙間に体を滑り込ませ、また普通の十倍くらいかけて扉を閉める。
洗面を兼ねた脱衣場には、植物で編まれたかごに、バッシュの着ていた服が入っていた。壁から突き出たフックには、スラックスをかけたハンガーがぶら下がっている。
シャワーの音が止む。エリオットはぎくりとしたが、そのままバスタブに浸かる気配がして、そっと息を吐いた。
浴室の壁が、全面すりガラスになっていることは確認済みだ。そのガラスは湯気でさらに曇っていて、中の様子は全然分からない。しかし好都合だ。中からも、こちらがなにをしているか気付かれないということだから。
エリオットは一度ぎゅっと両手を握ると、手早くシャツとスラックス、それに下着を脱いでバッシュの抜け殻の上からかごに放り込んだ。
現代風に改築された引き戸に手をかけ、勢いよく開け放つ。
スパーン!
もわもわと沸き立つ湯気の向こうにあるバスタブは、一段高くなった大理石の床に埋め込まれる形になっていて、バッシュは両腕を淵にかけ、ゆったりと湯に浸かっていた。
しっとり濡れた金糸から水滴が首筋に落ちて、温められ赤みが増した胸のほうへ流れていく。リラックスタイムに乱入してきたエリオットを、数回瞬いたヒスイカズラ色の瞳が無言で見上げた。
「……」
「……」
ノーリアクションにうろたえたのはエリオットだ。
え、驚くとか恥ずかしがるとか、そういうのはないわけ?
恋人がマッパで立ってんだぞ。もう少しなんかあるだろ普通。
沈黙に耐え切れず、エリオットは口を開け閉めした。
「……で」
「で?」
「デザートデリバリーでーす」
「満腹でーす」
「いや食えよ! 満腹だろうが吐こうが押し頂いて食え!」
「とんでもない暴君だな」
詰め寄ったエリオットに、バッシュが豪快に笑う。
くそ、かっこつかねーなもう。
バスタブの淵を握ってしゃがみ込んだら、バッシュの手がのびてきて顎をくすぐった。
ちらりと目を上げると、後ろに撫でつけた髪がひと筋、額に落ちている。やばいくらいにセクシーだ。
「食う前に洗ってやるから入れ」
渋々大きなバスタブに入ると、思ったより熱い湯にへそのあたりまで包まれる。足の先から、じわじわっとくすぐったい感覚が伝わってきた。
バスタブの端っこで膝を抱えたエリオットの右手を取り、ボディーソープを泡立てたスポンジで腕をマッサージするように洗いながら、バッシュはやたらと楽しそうだった。
自分がふてくされているときほど、彼は上機嫌になる気がする。どうせエリオットがこのサプライズのために、風呂を先に使えといったこともバレてるんだろう。だから余計にやにやしているわけだ。
調子に乗って鼻歌まで歌ってやがる。エルトン・ジョンの「ユア・ソング」だ。反響するバスルームだとそれっぽく聞こえるが、よく耳を傾けてみればちょいちょい音を外している。
「相変わらずへたくそだな」
「へたなことを嫌いである必要はないからな」
「うそつけ。前は『歌はちょっと』とかいってただろ」
「誰かさんがやたらおもしろがるから、愛嬌だと思うことにした」
あんたに可愛げなんか存在しねーよ。
「はい次、左」と幼児にするように逆の腕も洗われて、むかついたからあぐらをかく無防備なすねを蹴る。「こら」と足首を掴まれて引っ張られた。
「うわ!」
つるっとしたバスタブで尻が滑り、仰向けになりかけたところを、両肘をついてなんとかこらえるが、波立った湯が顔にかかった。
「溺れたらどうすんだバカ!」
「こんな浅い風呂でか?」
「五センチの水深でも溺れるんだぞ!」
「それは乳幼児への注意喚起だろう」
腰を浮かせたバッシュが、片手をエリオットの肘の横について覆いかぶさってくる。
どきっと心臓が跳ねた。
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