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訳あり王子と秘密の恋人 第二部 第七章

11.馬に蹴られないうちに

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「さて、そろそろ帰ろうかな」

 ナサニエルが腰を上げたのは、夜の定時ニュースが終わったころだった。

「いまから家まで?」
「この先のクラウン・ヒルズを予約してるんだ。ディナーもね。秋のコースが最高だから、今度きみを誘うよ」

 彼はテーブルから財布やスマートフォンをかき集めると、ハンガーから外した上着を差し出すクレイヴを見て、それからエリオットを見た。

「クレイヴ、送ってくれる?」
「タクシーの手配でしたらフロントに……」
「うん、とりあえず下まで行こうか。荷物は? 特にない? じゃあ行こう」

 薄手のコートを羽織り、いまいち分かっていない顔のクレイヴの腕を掴んでナサニエルはエリオットに手を振る。

「じゃあね、シュガーパイ。初スピーチの成功おめでとう」

 いい夜を、とウィンクしたナサニエルが、クレイヴを引きずって部屋から出て行った。「あの、ベイカーに叱られ──」という若執事の言葉を最後に、パタンと扉が閉まる。

「……戻って来ると思う?」
「来ないだろうな。『空気読め』ってフォスターに蹴り入れられてるんじゃないか?」

 執事に見張られていては、お行儀よくおしゃべりすることしかできない。お行儀よくおしゃべりするだけなら構わないが、せっかくの「デート」なのだから当然それ以上を期待したいわけで。早々に退場させてくれたナサニエルには感謝する。職場放棄を叱られないよう、クレイヴをカルバートンへ帰したことをベイカーに連絡しておくことにした。

 スマートフォンでメッセージを打つエリオットの隣、空いた肘掛け椅子に、スツールからバッシュが移ってきた。さっそく「それ以上」をしようってか?

 横目で見ると彼は肘掛け椅子に座り、部屋に備え付けのタブレット端末をいじっていた。表示されているのは、ルームサービスのメニュー表。

 ちょっとがっかりする。いや、まずは食事でもして、ということか。うん、順序は大事だ。それにありがたい。エリオットにもプライドというものがあるので黙っていたが、実のところステージから控室に戻って、たっぷり一時間ほどダウンしていた。昼食を食べ損なったおかげで、半日近く水分しか摂取していない。

「食べたいものはあるか?」
「エッグタルト」
「菓子じゃなくメシを食え」

 エリオットに選択権を与えるとろくなことにならないと、バッシュは自分でメニューを吟味し始める。相手に夕食のメニューを決められたくらいで支配的だとか思うほどの自主性は持ち合わせていないので、エリオットは肘掛けに頬杖をついてそれを眺めた。好物が載っていたのか、表情はやたらと楽しそうだ。

 注文が終わると、料理が来るまでのあいだにエリオットはルードにも食事をやる。クレイヴが持って来た荷物には、料理長手作りの餌と愛犬用の皿がちゃんと入っていた。

 バーカウンターに立って、青い塗料で花やカブみたいな絵が描かれた深皿に、タッパーから野菜と肉を柔らかくした煮込みを移していると、むくりと起き上がったルードがしっぽを振りながらやって来る。

「お前、おやつ一個多くもらったの忘れてるだろ」

 カウンターに前足をかけて立ち上がり、期待にきらきら光る眼でエリオットの手元を見つめてくるルードに、エリオットは呆れてしまった。

「慣れないことをして、食欲なくなるより安心だろう」

 肘掛け椅子からバッシュがいうので、たしかにその通りだと思いなおす。それでエリオットは飼い主としての義務を果たすべく餌皿を床に置き、ルードが一心不乱にがっつく姿をスマートフォンに収めた。それからふと、いまの言葉には自分も含まれているのではないか? と思った。

 慣れないことをして、食欲がなくなるより安心。エッグタルトが食べたいといったエリオットに、バッシュは安心したのか。

 分かりづれーわ!

 無意識か? それ無意識なのか?

 ルードが皿に残った煮汁まですっかり舐めとってしまうまで、エリオットは両手でスマートフォンのカメラを構えたままバッシュのほうを見ることができなかった。
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