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訳あり王子と秘密の恋人 第二部 第七章
8.グランド・リッツァー
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ホテル・グランド・リッツァー。シルヴァーナを訪れる賓客たち御用達の、ラグジュアリーなサービスが受けられる宿泊施設は豪奢な石造りの四階建て。最近では、結婚式の前日にミシェルが家族で利用したことで有名だ。
前世紀まではヘインズ家のタウンハウスだったそこに、エリオットが入ったのは初めてだった。
ルードや警護官と一緒に裏通りの入り口からフロントを素通りし、エレベーターで四階へ。赤地に黄色や白の円が不規則に描かれた現代的なじゅうたんの廊下をずっと奥まで歩き、前に出たイェオリが開けた扉は当然のようにスイートルームだった。
靴の底を引きずりながら歩くほどへとへとでなければ、祖父マイルズが幼いころを過ごした場所を、もう少し興味深く眺めたかもしれない。しかし人生初のスピーチで血圧が跳ね上がったせいで、肩にのしかかる疲労感が半端ないのだ。その上、午後に行われたパネルディスカッションにも参加して、「大きな関心をもって聞きました。今後の我々にとって意味深い討論だったと思います」と優等生なコメントまでしたあとでは、とにかく人目のないところへ引きこもりたいという気持ちでいっぱいだった。
まぁ、ホテルになったといっても経営権はヘインズが持っているから、エリオットはいつだってこの建物を好きに見て回ることができるのだけど。
「お帰りなさいませ、殿下」
戸口で出迎えたのは、燕尾服のクレイヴ。カルバートンにいるときと変わらない服装だけど、高級ホテルなだけあって逆に違和感がない。
「お客さまが」といわれてドキッとしたけど、奥から聞こえたのは「お帰りハニー!」というナサニエルの声だった。
ふたつある肘掛け椅子の片方に座っていた友人が、げっそりしたエリオットにグラスを掲げた。
「最高のスピーチだったよ」
我が物顔でワインを開けテレビを見ていたナサニエルは、上機嫌でキスまで投げてくる。
「最高の原稿だったから」
「それじゃあ、ぼくが自画自賛してるみたいじゃない」
「すればいいと思うけど」
適当に答えながら、エリオットは部屋を見て回った。スイートといっても、室内はそれほど広くない。リビングとベッドルーム、その奥に水回りがあるらしい。リビングの先には小さなバーカウンターも鎮座していたが、全体的にこじんまりとして居心地のいい部屋だった。
内装もちょうどいい。壁に埋め込むようにして設置されているテレビを向いた肘掛け椅子に、寄せ木細工のローテーブル。こういうところにつきものの花瓶は、ビバーナムやシェルジンジャーの実を中心にした秋らしく大人しいアレンジだし、キャビネットにもいくつかの小さな置物があるくらいだ。ベッドの下にはホテルの備品ではなく、エリオットがいつも使っているルームシューズが揃えてあり、ルードの毛布も丁寧に畳んで敷いてある。
よく見れば、空いている肘掛け椅子には、けさ自室に丸めて放り出して来たひざ掛けまで置いてあった。
エリオットがクレイヴを見ると、若執事はぴかっと光りそうな明るい笑顔でいった。
「『おうちデート』と伺いましたので」
お泊りセットを運び込むついでに、おうちに似せて部屋を整えてくれたわけだ。このホテル自体、「元ヘインズ公爵のおうち」だしな。
エリオットはぐるりと目を回す。
王宮近くのホテルへ連れて来られたのは、カルバートンに押し寄せているパパラッチ対策だと思っていたが、どうやらすでに「デート」は始まっているらしい。
ふかふかの肘掛け椅子に座り込んだエリオットへ、イェオリが退出を告げる。
「エリオットさま、わたくしはこれで」
「うん、ありがとう」
「あれ、イオリはここまでなの?」
「はい。ご用はクレイヴにお申し付けください」
丁寧に頭を下げて扉を閉めるイェオリを見送って、ナサニエルがエリオットにものいいたげな視線を向ける。
「しょうがないだろ。ベイカーは枢密院で顧問と面会して、公務の早期復帰について事後承諾を取り付けてる。ロダスは広報と今後のメディア対応を協議してるし、フランツはファンド用に立ち上げる財務部門の会議。で、イェオリはこれからクィンのところで打ち合わせ」
このとおり侍従たちが手一杯だから、部屋を整えるのにクレイヴまで引っ張り出されているのだ。
ルードのハーネスを外したエリオットは、クレイヴが持参したおやつの中から、愛犬が一番好きなササミバーの袋を取り出した。「肩が凝った!」とばかりにブルブル首を振るルードへ、通常は二本のところ特別に三本進呈する。
クレイヴに「お飲み物は?」と聞かれて、炭酸の入ったものを頼んだ。お茶よりも、冷たいもので気分をすっきりさせたい。
「きみの宮廷はとんでもなく人使いが荒いね」
「ニールのことも使い倒すから」
「契約条件の話をしようか」
「報酬はフランツと相談して。おれの手許金が空にならない程度で」
「オーケイ。任期は?」
エリオットは低いテーブルに置かれた細長いグラスを手に取ると、ナサニエルのほうへ傾ける。クレイヴが持って来てくれたのはレモンスカッシュだけど。
「おれたちの友情が続く限り」
「いいとも」
ナサニエルも再び自分のグラスを掲げ、残っていたワインをひと口で飲み干した。
前世紀まではヘインズ家のタウンハウスだったそこに、エリオットが入ったのは初めてだった。
ルードや警護官と一緒に裏通りの入り口からフロントを素通りし、エレベーターで四階へ。赤地に黄色や白の円が不規則に描かれた現代的なじゅうたんの廊下をずっと奥まで歩き、前に出たイェオリが開けた扉は当然のようにスイートルームだった。
靴の底を引きずりながら歩くほどへとへとでなければ、祖父マイルズが幼いころを過ごした場所を、もう少し興味深く眺めたかもしれない。しかし人生初のスピーチで血圧が跳ね上がったせいで、肩にのしかかる疲労感が半端ないのだ。その上、午後に行われたパネルディスカッションにも参加して、「大きな関心をもって聞きました。今後の我々にとって意味深い討論だったと思います」と優等生なコメントまでしたあとでは、とにかく人目のないところへ引きこもりたいという気持ちでいっぱいだった。
まぁ、ホテルになったといっても経営権はヘインズが持っているから、エリオットはいつだってこの建物を好きに見て回ることができるのだけど。
「お帰りなさいませ、殿下」
戸口で出迎えたのは、燕尾服のクレイヴ。カルバートンにいるときと変わらない服装だけど、高級ホテルなだけあって逆に違和感がない。
「お客さまが」といわれてドキッとしたけど、奥から聞こえたのは「お帰りハニー!」というナサニエルの声だった。
ふたつある肘掛け椅子の片方に座っていた友人が、げっそりしたエリオットにグラスを掲げた。
「最高のスピーチだったよ」
我が物顔でワインを開けテレビを見ていたナサニエルは、上機嫌でキスまで投げてくる。
「最高の原稿だったから」
「それじゃあ、ぼくが自画自賛してるみたいじゃない」
「すればいいと思うけど」
適当に答えながら、エリオットは部屋を見て回った。スイートといっても、室内はそれほど広くない。リビングとベッドルーム、その奥に水回りがあるらしい。リビングの先には小さなバーカウンターも鎮座していたが、全体的にこじんまりとして居心地のいい部屋だった。
内装もちょうどいい。壁に埋め込むようにして設置されているテレビを向いた肘掛け椅子に、寄せ木細工のローテーブル。こういうところにつきものの花瓶は、ビバーナムやシェルジンジャーの実を中心にした秋らしく大人しいアレンジだし、キャビネットにもいくつかの小さな置物があるくらいだ。ベッドの下にはホテルの備品ではなく、エリオットがいつも使っているルームシューズが揃えてあり、ルードの毛布も丁寧に畳んで敷いてある。
よく見れば、空いている肘掛け椅子には、けさ自室に丸めて放り出して来たひざ掛けまで置いてあった。
エリオットがクレイヴを見ると、若執事はぴかっと光りそうな明るい笑顔でいった。
「『おうちデート』と伺いましたので」
お泊りセットを運び込むついでに、おうちに似せて部屋を整えてくれたわけだ。このホテル自体、「元ヘインズ公爵のおうち」だしな。
エリオットはぐるりと目を回す。
王宮近くのホテルへ連れて来られたのは、カルバートンに押し寄せているパパラッチ対策だと思っていたが、どうやらすでに「デート」は始まっているらしい。
ふかふかの肘掛け椅子に座り込んだエリオットへ、イェオリが退出を告げる。
「エリオットさま、わたくしはこれで」
「うん、ありがとう」
「あれ、イオリはここまでなの?」
「はい。ご用はクレイヴにお申し付けください」
丁寧に頭を下げて扉を閉めるイェオリを見送って、ナサニエルがエリオットにものいいたげな視線を向ける。
「しょうがないだろ。ベイカーは枢密院で顧問と面会して、公務の早期復帰について事後承諾を取り付けてる。ロダスは広報と今後のメディア対応を協議してるし、フランツはファンド用に立ち上げる財務部門の会議。で、イェオリはこれからクィンのところで打ち合わせ」
このとおり侍従たちが手一杯だから、部屋を整えるのにクレイヴまで引っ張り出されているのだ。
ルードのハーネスを外したエリオットは、クレイヴが持参したおやつの中から、愛犬が一番好きなササミバーの袋を取り出した。「肩が凝った!」とばかりにブルブル首を振るルードへ、通常は二本のところ特別に三本進呈する。
クレイヴに「お飲み物は?」と聞かれて、炭酸の入ったものを頼んだ。お茶よりも、冷たいもので気分をすっきりさせたい。
「きみの宮廷はとんでもなく人使いが荒いね」
「ニールのことも使い倒すから」
「契約条件の話をしようか」
「報酬はフランツと相談して。おれの手許金が空にならない程度で」
「オーケイ。任期は?」
エリオットは低いテーブルに置かれた細長いグラスを手に取ると、ナサニエルのほうへ傾ける。クレイヴが持って来てくれたのはレモンスカッシュだけど。
「おれたちの友情が続く限り」
「いいとも」
ナサニエルも再び自分のグラスを掲げ、残っていたワインをひと口で飲み干した。
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