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訳あり王子と秘密の恋人 第二部 第七章

7.はじめてのスピーチ

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「いつか、窓を開けたいと願っていました」

 よく晴れた空の下、野外ステージに立ってエリオットは話し始めた。濃紺のスーツに白いシャツ、露草色のネクタイ。かしこまった格好でキメているけど、ちょっと強く吹きつける風が、せっかく整えた髪を寝癖みたいに散らしている。緊張と緩和にはちょうどいいくらいの視覚効果だ。

 ステージ上にはブレアム氏やキャロル、ダニエルら関係者を始め、ディスカッションのパネリストであるゴードン教授などもいる。しかし、カメラがそれらのひとや背景に浮かぶカラフルな風船やペンキで色づけした飾りを、どこまで映しているか分からない。

 味方はすべて背後。エリオットはパイプ椅子に詰め込まれた記者、いつまでもシャッター音を響かせ続けるカメラ、そして沈黙したままこちらを狙い続けるTVカメラと最前線で対峙しながら、なんとか逃げ出さずに立っていた。

 きのう講堂で使ったのと同じ演壇には、マイクの他に各社の名前やマークが入ったレコーダー。子どもが散らかしたレゴブロックみたいだ。

「皆さんもご存じの通り、わたしは長年にわたり、王族としての務めを果たすことができませんでした。わたしの世界は小さな部屋で、外の世界と繋がっている窓はいつも閉ざされていました。それでもシルヴァーナの皆さんは、折に触れわたしに関心を寄せてくださいました。回復を願う手紙や、誕生日やクリスマスに贈られた数多くのカードは、いつもわたしの心を温めてくれました。わたしはいま、ようやく皆さんに感謝を伝えることができます」

 再びカメラのシャッター音が響く。この後も、キリのいいところで同じことが起きるはずだ。

 レンズに映る自分は、青ざめたりしていないだろうか。実のところ、ポートレートでも世話になった王室の広報担当者がメイク道具を持参してきたのだ。思い切り首を振って拒否してしまったけれど、多少は血色よく見えるようにしておいたほうがよかったかもしれない。でもまぁ、少なくとも震えてはいないし、動きに若干のぎこちなさはあるけど、初めてのスピーチとしては許容範囲じゃないだろうか。

 国民はどう思うだろう。ここに立つために、王子が恋人にデートをねだっただなんて。

 エリオットは殊勝な面持ちを保つために、少しだけ目を細めた。

「また、わたしは家族にも感謝しています。わたしの回復を信じ、静かに見守ってくれたこと、ときには力強く支えてくれたこと。こうして皆さんの前に立つにあたり、全面的に支持してくれたこと。わたしへの期待に感謝します」

 隠れ続けたことへの謝罪ではなく、それを許してくれた感謝から入る、というのがスピーチ冒頭の戦略だった。

「本日の会見は、わたしがこれからの活動の柱としていく分野について、皆さんにお話しするためのものです。歴代の王室はこの国と世界の、よりよいあすを目指すために努力をされてきた方々に敬意を表し、数多くの活動を支援してきました。わたしもその精神を受け継ぎ、皆さんとともに歩んでいきたいと考えています」

 エリオットは手元の原稿から、足元のルードへと視線を動かす。

「まずひとつは、困難な状況にある動物たちの支援です。すでにSNSでも大きな反響が寄せられていますが、わたしは夏の終わりに保護犬を家族に迎えました。名前はルードといいます」

 ステージに上がったルードは人の多さと見慣れない機材に落ち着かないようすだったが、スピーチが始まってからはずっと演壇とエリオットの間に座って大人しくしていた。
 世話のかかる飼い主にとって、これが重大なイベントだと理解してくれているのかもしれない。

 しかしなかなかの大きさの障害物があるわけで、エリオットはマイクに届くよう、肩幅に開いたかかとを少し浮かせなければならなかった。

 こんなところに引っ張り出してごめんな、と申し訳ない気持ちを込めて頭を撫でてやると、早く帰りたそうな上目遣いが返って来る。

 帰ったら、おやつ奮発してやるから。

 エリオットは原稿に──それから記者に向き直る。

「彼は一部の報道で「ラッキードッグ」と紹介されています。まさにその通りです。支援を必要としている動物は彼一頭ではなく、里親が見つかった彼は幸運でしょう。われわれ人間を含め、すべての命には理不尽に虐げられない権利があります。この世界でよき隣人として共生していく、そのために行動している方々の活動に、幅広く関わっていきたいと思います」

 壮大だが、これもナサニエルの脚本通り。

「入り口は広くするべきだからね」と彼はいっていた。

 間違いない。

 エドゥアルドにはあるていど対象を絞ったほうがいいといわれたが、限定しすぎると逆に反発されるから線引きは難しいというのが、ナサニエルの考えだった。だから「よき隣人」という言葉を使い、ルードのようなペットと解釈するか、熱帯雨林に生息する絶滅危惧種のカエルを含むと解釈するかは聞く側に委ねる。必要なら、エリオットはどちらにも関わりたいのだし。

「もうひとつは、植物の研究や保護、グリーン活動の普及に関わる活動です」

 一夜漬けが功を奏し、スピーチは滞りなく進む。

 早口にならないように、でももったいぶって聞こえないよう、間の取り方は何度も練習したのだ。一番参考になったのは、ちょっと癪だがサイラスのスピーチだ。ライターを断った代わりに過去の資料をほしいといったら、バッシュがその場でアーカイブの映像を編集し「サイラス王太子に学ぶスピーチの基本」なる教材を作ってくれた。

「本日の会場であるハープダウンガーデンフェアのように、我が国では自然に親しむ文化が深く根付いています。わたしの閉ざされた窓辺にも、いつも小さな鉢植えがありました。そして窓の外には、大きな緑の庭が。大樹の下に憩う人々の明るい声は、いつかあの窓を開け、広い世界で生きたいと願う希望になりました」

 原稿から顔を上げて、エリオットは一番近くにあったTVカメラを見る。ここぞというとき、相手──この場合は中継カメラ──を正視するのが効果的らしいので。

 おい、見てるか。

 エリオットは心の中で問いかけた。

 いまのおれは、あんたが見ていたいと思える姿か?

 そうだといいな。

「豊かな社会や文化を育む土壌ともいえる自然を長く守り、未来へ繋いでいく活動に尽力されている方々へ、深い尊敬と感謝の念を抱くとともに、さらに発展させていけることを願ってやみません」

 もうひといき。

 しゃべりすぎて浅くなった息を吸い込んだとき、突然ルードがエリオットの両足の間、膝の辺りに鼻先を突っ込んだ。

「ルード……こら」

 エリオットは小声で叱るが、ルードはすまし顔で動かない。

 おい相棒、なんのつもりだ。

 ついに我慢ができなくなったのか、はたまたこの場を和ませようとしたなのか分からないが、エリオットの後ろにいたゲストたちが吹き出し、なにが起きたのかと記者やカメラマンたちが身を乗り出す。正面からは演壇で見えないだろう微笑ましいハプニングも、サイドにいたカメラにはばっちり拾われている。

 スピーチより、こっちの映像のほうが使われそうだな。

 エリオットは息を吐きながら苦笑して、ルードを跨いだまま原稿をマイクの横に置いた。

 まぁ、最後くらい神妙な顔じゃなくてもいいだろう。

「わたしはこれから、王子として誠実に国のために尽くすとお約束します。また、みなさんの協力によって、これを果たすことができると信じています。──ありがとう」
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