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訳あり王子と秘密の恋人 第二部 第六章

9.光のなかを行く君を

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 わずかに残ったバラをぽとりと足元へ落とし、エリオットは正面からバッシュに抱き着いた。ジャケットの下に両腕を回し、ベストの背中にあるベルトをぎゅっと握る。彼の体が、エリオットのパニックを予想して緊張したのが分かって、その過保護さに少し笑えた。

「パニックにはなってないよ──たぶん」

 スーツ越しの筋肉が、わずかに緩んだ。こんなときでも、エリオットの言葉を信じてくれているらしい。

「ネクタイを結んでやらなくても平気か?」

 執行部会へ行く前の、自分の取り乱しっぷりを思い出して苦笑する。あのときに比べたら、落ち着いたものだ。もしくは、それさえも分からないほど動揺しているか。──そうでないと思いたい。

 しばらく寄り添ったあと、首元に押し付けられた頭の形をなぞるようにしながら、バッシュがささやいた。

「お前をさらって逃げてやるといったこと、覚えてるか?」

 覚えている。フラットの屋上で、ようやく秘密を打ち明けたエリオットに、バッシュはそういった。

「こんどこそ、アメリカでカフェも開こうって?」
「いや、悪いがしばらく忘れてほしい」

 エリオットは首を九十度近く反らし、滑らかなシルクのネクタイに顎をついてバッシュを見上げた。逆に、彼は真下を向くようにエリオットを見下ろすから、唇が触れそうになる。

「あのときは、まだだれもお前のことを知らなかった。おれもだ。お前が庭のなかで幸せにしてるなら、それが一番お前のためになると勝手に思ってたからな」

 エリオットを貼りつかせたまま、バッシュは肩を上下させる。「とんだ間抜けだ」とでもいいたげな顔だ。

「でも、お前は自分の役目をやり遂げた。公務に復帰することを決めて、貴族会にだって出席した。どれだけ悩んでも、ひとよりずっと時間がかかっても、最後に選択するのは国民に対する──いや、他者への献身だ。お前の本質はそこにある」

 本質。ずいぶん仰々しいいい方だ。

 しかしエリオットは、思ってもみなかったところで、過去の感情に答え合わせができたように感じた。

「フラットにいたとき、なんでか分からないけど、ずっとイライラしてた。だれにも知られないで、好きなことだけやってるはずだったのに。斜に構えて、初めてうちに来たあんたにもツンツンして」
「あれはひどかったな」
「ひどいって思ってたのかよ」
「クソニートっていっただろう」
「そうだった」

 くすくす笑い合って、エリオットはバッシュの肩に頭をもたれさせた。頼りがいのあるがっしり肩は、どんな言葉だって受け止めてくれる。

「父さんや母さん、ラスたちが努力して維持してる王室ってものに対して、なにも貢献しない自分への苛立ちとか、ふがいなさとか、そういうのだったと思う。できないんだからしょうがないって、家族はみんないってくれたけど、できないからしなくていいなんて開き直れなくて。でも実際は結局なにもできなくて……」

 苦しかった。

 でもカルバートンへ移って、遠巻きにでも手を振って喜ばれたり、ルードを引き取ったり、キャロルに手を貸すことができた。自分にも、できることがあると知った。

 それは、みんながおれにもできる方法を考えてくれるからだけど。

「だからたぶん、前よりはマシな人間になってると思うし、自分がやれることは頑張りたい」

 少しだけ自信を持ってそういうと、バッシュはエリオットのこめかみに、愛情のこもったキスをした。

「おれは、そういうお前を見ていたいんだ」

 さらって逃げて、どこかに隠してしまうよりもな。
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