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訳あり王子と秘密の恋人 第二部 第六章
6.視界の外にも世界はある
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え、あんたしゃべるの?
体をひねって、エリオットはバッシュを見上げる。この場で彼が口を挟むとは思っていなかった。
意見を求められたり、間違った方向へむかわない限り、侍従は主人たちの会話に加わることはない。さらには同じ侍従でも領分というものがあり、エリオットの前で彼は常にベイカーやイェオリを立ててきた。ここは彼らの縄張りだと理解し自重している。
素早く目を向けると、縄張りのボスであるベイカーは、開いた口を閉じるところだった。どうやら、彼も何かいいかけていて、バッシュが数秒早かったらしい。そしてバッシュを止めたりしないところを見ると、主導権を譲るつもりのようだ。いいたいことが一緒だったのか、様子見のつもりなのか。
とはいえ、客人たちからすればバッシュもベイカーも、ひとくくりで侍従としてしか見えていないだろうから、これは彼の個人的な意見ではなく王子サイドからの条件提示だ。
「きょうのうちに、殿下がフェアに関わる住民と面会する場を設けていただきたい」
おれが会うの?
「直接、お会いになるんですか?」
ブレアム氏の驚きは、そのままエリオットの驚きでもあった。
居合わせたひとたちだけでなく、壁の絵画に描かれた何世紀前かの踊り子の視線さえも独り占めしながら、バッシュは平然といった。
「あすのスピーチは、第三者にとってはサプライズですが、道路の拡張工事に反対するひとたちとっては寝耳に水となります。その分、反発は必至。そして失礼ながら、ブレアム氏ら運営による説得では、おそらくあすまでに彼らの了承を得ることは難しいでしょう」
「殿下が説得なさると?」
「説得ではありません。住民に面会し、ファンドの立ち上げスピーチで彼らの場所を借りることへの感謝を伝えます。本日お忍びでフェアを訪れて、彼らの窮状を知ったことも」
そして「提案」するのだ。老朽化した学校跡地より、新しく広い場所で、一緒にフェアをやりませんか? と。
上手く行けば、王子の登場への興奮とテロ未遂への罪悪感が残る勢いのまま住民たちを頷かせられる。上手く行かなかったときは──警護に頼ろう。
「大騒ぎになりますね」
「カメラが入る、あすのスピーチ会場で騒ぎになるほうが困るのですよ。その前に可能な限り手を打つ必要がある。それにあなたがた運営サイドは、フォスター卿の提案にのった時点で仕掛け人です」
だからって、本人への事前通告もなしにいきなりなにいい出すんだっつーの。
いますぐバッシュのネクタイを掴んで締め上げるという甘い誘惑をこらえるために、エリオットは滑らかな丸みがある肘掛けの先端に爪を立てた。
そんなエリオットの衝動などどこ吹く風で、知性と理性の同居する静かな炎のような双眼が、ブレアム氏を見下ろす。
「殿下はあくまで、窮地にある地元の催しに手を差し伸べるお立場です。ですからあなたがた運営側は、移転に百パーセント賛成の姿勢を崩さないでいただきたい。われわれは、殿下が孤立する事態は許容できません」
手を組む以上、仮に住民の批判にさらされても裏切るなよ、という圧力に、ブレアム氏の喉が大きく上下する。
「お約束します」
毅然と、ミセス・オールドリッチがいった。
「なんだかとても素敵なことを殿下にお話しした後で、これをいうのはズルいとお思いになるかもしれませんが……」
ちらりと視線を向けられたナサニエルが、ゆっくりと頷く。
「ミセス・オールドリッチの自宅は、道路の拡張予定区域内で、立ち退きの対象になってる。プロジェクト側が示した、『必要最低限』の中の一軒だ」
ぎくりとダニエルの顔がこわばる。説明会で非難を浴びたトラウマを思い出したのかもしれない。その不安そうな青年がだれかを知っているように、彼女は微笑みかけた。
「誤解なさらないで。わたしは立ち退きに同意しています。わざわざ説明に来てくださった方が、どう計算してもわたしの家を避けることができなかったと、頭を下げてくれましたから」
十分な補償もいただいていますしね、とミセス・オールドリッチは両手を振る。
耳まで赤くなって、ダニエルはうつむいた。彼が必死に取り組んできた仕事は、全体から見ると上手く行っていないかもしれない。開発計画は遅れ、住民の多くと対立している。しかしこうして、たしかにひとつ、彼の誠意は報われていた。
キャロルが手を伸ばし、丸まったダニエルの肩をバンバン叩く。とても痛そうだった。
ミセス・オールドリッチは若者たちを大らかな瞳で眺めたあと、背を伸ばして続けた。
「けれど、フェアで周りのブースに庭を作っている園芸仲間や、マーケットに出店してるひとたちはみんな『お気の毒ね』というだけでした。彼らが反対運動を始めたのは、学校跡地が計画にかかったと知ってからです」
「自分たちがその立場にならなければ声を上げない想像力のなさは、とても恥ずかしいことだと、ぼくは思うね」
ナサニエルの批判に、ブレアム氏は理不尽を嘆くようにうめいた。
「反対運動はパニックのように始まってしまいました。全体をまとめるリーダーもおらず、求めるのは道路拡張工事の中止だけ。本来なら交渉で引き出す落としどころを、彼らは完全に見失っています」
ブレアム氏はガーデンフェアの運営責任者だが、それは必ずしも、再開発に対する反対派を意味しない。それなのにフェアの参加者──これも全員ではないが──には、会場が危機にさらされているのだから、運営が旗を振るべきだと思われている。
「彼らには、一度こぶしを下ろすきっかけが必要なのです。我々でも再開発側でもない、第三者の介入が。冷静になって、いま一番苦境にあるのはミセス・オールドリッチのようなひとだと思い出してほしい。そしてガーデンフェアの本来の意義と、それを殿下が携わる植物園や公園で行えることの意味をよく考えてほしいと思います」
そのためにエリオットを担ぐのだから、百パーセントを約束する。
体をひねって、エリオットはバッシュを見上げる。この場で彼が口を挟むとは思っていなかった。
意見を求められたり、間違った方向へむかわない限り、侍従は主人たちの会話に加わることはない。さらには同じ侍従でも領分というものがあり、エリオットの前で彼は常にベイカーやイェオリを立ててきた。ここは彼らの縄張りだと理解し自重している。
素早く目を向けると、縄張りのボスであるベイカーは、開いた口を閉じるところだった。どうやら、彼も何かいいかけていて、バッシュが数秒早かったらしい。そしてバッシュを止めたりしないところを見ると、主導権を譲るつもりのようだ。いいたいことが一緒だったのか、様子見のつもりなのか。
とはいえ、客人たちからすればバッシュもベイカーも、ひとくくりで侍従としてしか見えていないだろうから、これは彼の個人的な意見ではなく王子サイドからの条件提示だ。
「きょうのうちに、殿下がフェアに関わる住民と面会する場を設けていただきたい」
おれが会うの?
「直接、お会いになるんですか?」
ブレアム氏の驚きは、そのままエリオットの驚きでもあった。
居合わせたひとたちだけでなく、壁の絵画に描かれた何世紀前かの踊り子の視線さえも独り占めしながら、バッシュは平然といった。
「あすのスピーチは、第三者にとってはサプライズですが、道路の拡張工事に反対するひとたちとっては寝耳に水となります。その分、反発は必至。そして失礼ながら、ブレアム氏ら運営による説得では、おそらくあすまでに彼らの了承を得ることは難しいでしょう」
「殿下が説得なさると?」
「説得ではありません。住民に面会し、ファンドの立ち上げスピーチで彼らの場所を借りることへの感謝を伝えます。本日お忍びでフェアを訪れて、彼らの窮状を知ったことも」
そして「提案」するのだ。老朽化した学校跡地より、新しく広い場所で、一緒にフェアをやりませんか? と。
上手く行けば、王子の登場への興奮とテロ未遂への罪悪感が残る勢いのまま住民たちを頷かせられる。上手く行かなかったときは──警護に頼ろう。
「大騒ぎになりますね」
「カメラが入る、あすのスピーチ会場で騒ぎになるほうが困るのですよ。その前に可能な限り手を打つ必要がある。それにあなたがた運営サイドは、フォスター卿の提案にのった時点で仕掛け人です」
だからって、本人への事前通告もなしにいきなりなにいい出すんだっつーの。
いますぐバッシュのネクタイを掴んで締め上げるという甘い誘惑をこらえるために、エリオットは滑らかな丸みがある肘掛けの先端に爪を立てた。
そんなエリオットの衝動などどこ吹く風で、知性と理性の同居する静かな炎のような双眼が、ブレアム氏を見下ろす。
「殿下はあくまで、窮地にある地元の催しに手を差し伸べるお立場です。ですからあなたがた運営側は、移転に百パーセント賛成の姿勢を崩さないでいただきたい。われわれは、殿下が孤立する事態は許容できません」
手を組む以上、仮に住民の批判にさらされても裏切るなよ、という圧力に、ブレアム氏の喉が大きく上下する。
「お約束します」
毅然と、ミセス・オールドリッチがいった。
「なんだかとても素敵なことを殿下にお話しした後で、これをいうのはズルいとお思いになるかもしれませんが……」
ちらりと視線を向けられたナサニエルが、ゆっくりと頷く。
「ミセス・オールドリッチの自宅は、道路の拡張予定区域内で、立ち退きの対象になってる。プロジェクト側が示した、『必要最低限』の中の一軒だ」
ぎくりとダニエルの顔がこわばる。説明会で非難を浴びたトラウマを思い出したのかもしれない。その不安そうな青年がだれかを知っているように、彼女は微笑みかけた。
「誤解なさらないで。わたしは立ち退きに同意しています。わざわざ説明に来てくださった方が、どう計算してもわたしの家を避けることができなかったと、頭を下げてくれましたから」
十分な補償もいただいていますしね、とミセス・オールドリッチは両手を振る。
耳まで赤くなって、ダニエルはうつむいた。彼が必死に取り組んできた仕事は、全体から見ると上手く行っていないかもしれない。開発計画は遅れ、住民の多くと対立している。しかしこうして、たしかにひとつ、彼の誠意は報われていた。
キャロルが手を伸ばし、丸まったダニエルの肩をバンバン叩く。とても痛そうだった。
ミセス・オールドリッチは若者たちを大らかな瞳で眺めたあと、背を伸ばして続けた。
「けれど、フェアで周りのブースに庭を作っている園芸仲間や、マーケットに出店してるひとたちはみんな『お気の毒ね』というだけでした。彼らが反対運動を始めたのは、学校跡地が計画にかかったと知ってからです」
「自分たちがその立場にならなければ声を上げない想像力のなさは、とても恥ずかしいことだと、ぼくは思うね」
ナサニエルの批判に、ブレアム氏は理不尽を嘆くようにうめいた。
「反対運動はパニックのように始まってしまいました。全体をまとめるリーダーもおらず、求めるのは道路拡張工事の中止だけ。本来なら交渉で引き出す落としどころを、彼らは完全に見失っています」
ブレアム氏はガーデンフェアの運営責任者だが、それは必ずしも、再開発に対する反対派を意味しない。それなのにフェアの参加者──これも全員ではないが──には、会場が危機にさらされているのだから、運営が旗を振るべきだと思われている。
「彼らには、一度こぶしを下ろすきっかけが必要なのです。我々でも再開発側でもない、第三者の介入が。冷静になって、いま一番苦境にあるのはミセス・オールドリッチのようなひとだと思い出してほしい。そしてガーデンフェアの本来の意義と、それを殿下が携わる植物園や公園で行えることの意味をよく考えてほしいと思います」
そのためにエリオットを担ぐのだから、百パーセントを約束する。
応援ありがとうございます!
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