256 / 332
訳あり王子と秘密の恋人 第二部 第六章
6.視界の外にも世界はある
しおりを挟む
え、あんたしゃべるの?
体をひねって、エリオットはバッシュを見上げる。この場で彼が口を挟むとは思っていなかった。
意見を求められたり、間違った方向へむかわない限り、侍従は主人たちの会話に加わることはない。さらには同じ侍従でも領分というものがあり、エリオットの前で彼は常にベイカーやイェオリを立ててきた。ここは彼らの縄張りだと理解し自重している。
素早く目を向けると、縄張りのボスであるベイカーは、開いた口を閉じるところだった。どうやら、彼も何かいいかけていて、バッシュが数秒早かったらしい。そしてバッシュを止めたりしないところを見ると、主導権を譲るつもりのようだ。いいたいことが一緒だったのか、様子見のつもりなのか。
とはいえ、客人たちからすればバッシュもベイカーも、ひとくくりで侍従としてしか見えていないだろうから、これは彼の個人的な意見ではなく王子サイドからの条件提示だ。
「きょうのうちに、殿下がフェアに関わる住民と面会する場を設けていただきたい」
おれが会うの?
「直接、お会いになるんですか?」
ブレアム氏の驚きは、そのままエリオットの驚きでもあった。
居合わせたひとたちだけでなく、壁の絵画に描かれた何世紀前かの踊り子の視線さえも独り占めしながら、バッシュは平然といった。
「あすのスピーチは、第三者にとってはサプライズですが、道路の拡張工事に反対するひとたちとっては寝耳に水となります。その分、反発は必至。そして失礼ながら、ブレアム氏ら運営による説得では、おそらくあすまでに彼らの了承を得ることは難しいでしょう」
「殿下が説得なさると?」
「説得ではありません。住民に面会し、ファンドの立ち上げスピーチで彼らの場所を借りることへの感謝を伝えます。本日お忍びでフェアを訪れて、彼らの窮状を知ったことも」
そして「提案」するのだ。老朽化した学校跡地より、新しく広い場所で、一緒にフェアをやりませんか? と。
上手く行けば、王子の登場への興奮とテロ未遂への罪悪感が残る勢いのまま住民たちを頷かせられる。上手く行かなかったときは──警護に頼ろう。
「大騒ぎになりますね」
「カメラが入る、あすのスピーチ会場で騒ぎになるほうが困るのですよ。その前に可能な限り手を打つ必要がある。それにあなたがた運営サイドは、フォスター卿の提案にのった時点で仕掛け人です」
だからって、本人への事前通告もなしにいきなりなにいい出すんだっつーの。
いますぐバッシュのネクタイを掴んで締め上げるという甘い誘惑をこらえるために、エリオットは滑らかな丸みがある肘掛けの先端に爪を立てた。
そんなエリオットの衝動などどこ吹く風で、知性と理性の同居する静かな炎のような双眼が、ブレアム氏を見下ろす。
「殿下はあくまで、窮地にある地元の催しに手を差し伸べるお立場です。ですからあなたがた運営側は、移転に百パーセント賛成の姿勢を崩さないでいただきたい。われわれは、殿下が孤立する事態は許容できません」
手を組む以上、仮に住民の批判にさらされても裏切るなよ、という圧力に、ブレアム氏の喉が大きく上下する。
「お約束します」
毅然と、ミセス・オールドリッチがいった。
「なんだかとても素敵なことを殿下にお話しした後で、これをいうのはズルいとお思いになるかもしれませんが……」
ちらりと視線を向けられたナサニエルが、ゆっくりと頷く。
「ミセス・オールドリッチの自宅は、道路の拡張予定区域内で、立ち退きの対象になってる。プロジェクト側が示した、『必要最低限』の中の一軒だ」
ぎくりとダニエルの顔がこわばる。説明会で非難を浴びたトラウマを思い出したのかもしれない。その不安そうな青年がだれかを知っているように、彼女は微笑みかけた。
「誤解なさらないで。わたしは立ち退きに同意しています。わざわざ説明に来てくださった方が、どう計算してもわたしの家を避けることができなかったと、頭を下げてくれましたから」
十分な補償もいただいていますしね、とミセス・オールドリッチは両手を振る。
耳まで赤くなって、ダニエルはうつむいた。彼が必死に取り組んできた仕事は、全体から見ると上手く行っていないかもしれない。開発計画は遅れ、住民の多くと対立している。しかしこうして、たしかにひとつ、彼の誠意は報われていた。
キャロルが手を伸ばし、丸まったダニエルの肩をバンバン叩く。とても痛そうだった。
ミセス・オールドリッチは若者たちを大らかな瞳で眺めたあと、背を伸ばして続けた。
「けれど、フェアで周りのブースに庭を作っている園芸仲間や、マーケットに出店してるひとたちはみんな『お気の毒ね』というだけでした。彼らが反対運動を始めたのは、学校跡地が計画にかかったと知ってからです」
「自分たちがその立場にならなければ声を上げない想像力のなさは、とても恥ずかしいことだと、ぼくは思うね」
ナサニエルの批判に、ブレアム氏は理不尽を嘆くようにうめいた。
「反対運動はパニックのように始まってしまいました。全体をまとめるリーダーもおらず、求めるのは道路拡張工事の中止だけ。本来なら交渉で引き出す落としどころを、彼らは完全に見失っています」
ブレアム氏はガーデンフェアの運営責任者だが、それは必ずしも、再開発に対する反対派を意味しない。それなのにフェアの参加者──これも全員ではないが──には、会場が危機にさらされているのだから、運営が旗を振るべきだと思われている。
「彼らには、一度こぶしを下ろすきっかけが必要なのです。我々でも再開発側でもない、第三者の介入が。冷静になって、いま一番苦境にあるのはミセス・オールドリッチのようなひとだと思い出してほしい。そしてガーデンフェアの本来の意義と、それを殿下が携わる植物園や公園で行えることの意味をよく考えてほしいと思います」
そのためにエリオットを担ぐのだから、百パーセントを約束する。
体をひねって、エリオットはバッシュを見上げる。この場で彼が口を挟むとは思っていなかった。
意見を求められたり、間違った方向へむかわない限り、侍従は主人たちの会話に加わることはない。さらには同じ侍従でも領分というものがあり、エリオットの前で彼は常にベイカーやイェオリを立ててきた。ここは彼らの縄張りだと理解し自重している。
素早く目を向けると、縄張りのボスであるベイカーは、開いた口を閉じるところだった。どうやら、彼も何かいいかけていて、バッシュが数秒早かったらしい。そしてバッシュを止めたりしないところを見ると、主導権を譲るつもりのようだ。いいたいことが一緒だったのか、様子見のつもりなのか。
とはいえ、客人たちからすればバッシュもベイカーも、ひとくくりで侍従としてしか見えていないだろうから、これは彼の個人的な意見ではなく王子サイドからの条件提示だ。
「きょうのうちに、殿下がフェアに関わる住民と面会する場を設けていただきたい」
おれが会うの?
「直接、お会いになるんですか?」
ブレアム氏の驚きは、そのままエリオットの驚きでもあった。
居合わせたひとたちだけでなく、壁の絵画に描かれた何世紀前かの踊り子の視線さえも独り占めしながら、バッシュは平然といった。
「あすのスピーチは、第三者にとってはサプライズですが、道路の拡張工事に反対するひとたちとっては寝耳に水となります。その分、反発は必至。そして失礼ながら、ブレアム氏ら運営による説得では、おそらくあすまでに彼らの了承を得ることは難しいでしょう」
「殿下が説得なさると?」
「説得ではありません。住民に面会し、ファンドの立ち上げスピーチで彼らの場所を借りることへの感謝を伝えます。本日お忍びでフェアを訪れて、彼らの窮状を知ったことも」
そして「提案」するのだ。老朽化した学校跡地より、新しく広い場所で、一緒にフェアをやりませんか? と。
上手く行けば、王子の登場への興奮とテロ未遂への罪悪感が残る勢いのまま住民たちを頷かせられる。上手く行かなかったときは──警護に頼ろう。
「大騒ぎになりますね」
「カメラが入る、あすのスピーチ会場で騒ぎになるほうが困るのですよ。その前に可能な限り手を打つ必要がある。それにあなたがた運営サイドは、フォスター卿の提案にのった時点で仕掛け人です」
だからって、本人への事前通告もなしにいきなりなにいい出すんだっつーの。
いますぐバッシュのネクタイを掴んで締め上げるという甘い誘惑をこらえるために、エリオットは滑らかな丸みがある肘掛けの先端に爪を立てた。
そんなエリオットの衝動などどこ吹く風で、知性と理性の同居する静かな炎のような双眼が、ブレアム氏を見下ろす。
「殿下はあくまで、窮地にある地元の催しに手を差し伸べるお立場です。ですからあなたがた運営側は、移転に百パーセント賛成の姿勢を崩さないでいただきたい。われわれは、殿下が孤立する事態は許容できません」
手を組む以上、仮に住民の批判にさらされても裏切るなよ、という圧力に、ブレアム氏の喉が大きく上下する。
「お約束します」
毅然と、ミセス・オールドリッチがいった。
「なんだかとても素敵なことを殿下にお話しした後で、これをいうのはズルいとお思いになるかもしれませんが……」
ちらりと視線を向けられたナサニエルが、ゆっくりと頷く。
「ミセス・オールドリッチの自宅は、道路の拡張予定区域内で、立ち退きの対象になってる。プロジェクト側が示した、『必要最低限』の中の一軒だ」
ぎくりとダニエルの顔がこわばる。説明会で非難を浴びたトラウマを思い出したのかもしれない。その不安そうな青年がだれかを知っているように、彼女は微笑みかけた。
「誤解なさらないで。わたしは立ち退きに同意しています。わざわざ説明に来てくださった方が、どう計算してもわたしの家を避けることができなかったと、頭を下げてくれましたから」
十分な補償もいただいていますしね、とミセス・オールドリッチは両手を振る。
耳まで赤くなって、ダニエルはうつむいた。彼が必死に取り組んできた仕事は、全体から見ると上手く行っていないかもしれない。開発計画は遅れ、住民の多くと対立している。しかしこうして、たしかにひとつ、彼の誠意は報われていた。
キャロルが手を伸ばし、丸まったダニエルの肩をバンバン叩く。とても痛そうだった。
ミセス・オールドリッチは若者たちを大らかな瞳で眺めたあと、背を伸ばして続けた。
「けれど、フェアで周りのブースに庭を作っている園芸仲間や、マーケットに出店してるひとたちはみんな『お気の毒ね』というだけでした。彼らが反対運動を始めたのは、学校跡地が計画にかかったと知ってからです」
「自分たちがその立場にならなければ声を上げない想像力のなさは、とても恥ずかしいことだと、ぼくは思うね」
ナサニエルの批判に、ブレアム氏は理不尽を嘆くようにうめいた。
「反対運動はパニックのように始まってしまいました。全体をまとめるリーダーもおらず、求めるのは道路拡張工事の中止だけ。本来なら交渉で引き出す落としどころを、彼らは完全に見失っています」
ブレアム氏はガーデンフェアの運営責任者だが、それは必ずしも、再開発に対する反対派を意味しない。それなのにフェアの参加者──これも全員ではないが──には、会場が危機にさらされているのだから、運営が旗を振るべきだと思われている。
「彼らには、一度こぶしを下ろすきっかけが必要なのです。我々でも再開発側でもない、第三者の介入が。冷静になって、いま一番苦境にあるのはミセス・オールドリッチのようなひとだと思い出してほしい。そしてガーデンフェアの本来の意義と、それを殿下が携わる植物園や公園で行えることの意味をよく考えてほしいと思います」
そのためにエリオットを担ぐのだから、百パーセントを約束する。
17
お気に入りに追加
437
あなたにおすすめの小説
αなのに、αの親友とできてしまった話。
おはぎ
BL
何となく気持ち悪さが続いた大学生の市ヶ谷 春。
嫌な予感を感じながらも、恐る恐る妊娠検査薬の表示を覗き込んだら、できてました。
魔が差して、1度寝ただけ、それだけだったはずの親友のα、葛城 海斗との間にできてしまっていたらしい。
だけれど、春はαだった。
オメガバースです。苦手な人は注意。
α×α
誤字脱字多いかと思われますが、すみません。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
普段「はい」しか言わない僕は、そばに人がいると怖いのに、元マスターが迫ってきて弄ばれている
迷路を跳ぶ狐
BL
全105話*六月十一日に完結する予定です。
読んでいただき、エールやお気に入り、しおりなど、ありがとうございました(*≧∀≦*)
魔法の名手が生み出した失敗作と言われていた僕の処分は、ある日突然決まった。これから捨てられる城に置き去りにされるらしい。
ずっと前から廃棄処分は決まっていたし、殺されるかと思っていたのに、そうならなかったのはよかったんだけど、なぜか僕を嫌っていたはずのマスターまでその城に残っている。
それだけならよかったんだけど、ずっとついてくる。たまにちょっと怖い。
それだけならよかったんだけど、なんだか距離が近い気がする。
勘弁してほしい。
僕は、この人と話すのが、ものすごく怖いんだ。
嫌われ者の僕はひっそりと暮らしたい
りまり
BL
僕のいる世界は男性でも妊娠することのできる世界で、僕の婚約者は公爵家の嫡男です。
この世界は魔法の使えるファンタジーのようなところでもちろん魔物もいれば妖精や精霊もいるんだ。
僕の婚約者はそれはそれは見目麗しい青年、それだけじゃなくすごく頭も良いし剣術に魔法になんでもそつなくこなせる凄い人でだからと言って平民を見下すことなくわからないところは教えてあげられる優しさを持っている。
本当に僕にはもったいない人なんだ。
どんなに努力しても成果が伴わない僕に呆れてしまったのか、最近は平民の中でも特に優秀な人と一緒にいる所を見るようになって、周りからもお似合いの夫婦だと言われるようになっていった。その一方で僕の評価はかなり厳しく彼が可哀そうだと言う声が聞こえてくるようにもなった。
彼から言われたわけでもないが、あの二人を見ていれば恋愛関係にあるのぐらいわかる。彼に迷惑をかけたくないので、卒業したら結婚する予定だったけど両親に今の状況を話て婚約を白紙にしてもらえるように頼んだ。
答えは聞かなくてもわかる婚約が解消され、僕は学校を卒業したら辺境伯にいる叔父の元に旅立つことになっている。
後少しだけあなたを……あなたの姿を目に焼き付けて辺境伯領に行きたい。
処女姫Ωと帝の初夜
切羽未依
BL
αの皇子を産むため、男なのに姫として後宮に入れられたΩのぼく。
七年も経っても、未だに帝に番われず、未通(おとめ=処女)のままだった。
幼なじみでもある帝と仲は良かったが、Ωとして求められないことに、ぼくは不安と悲しみを抱えていた・・・
『紫式部~実は、歴史上の人物がΩだった件』の紫式部の就職先・藤原彰子も実はΩで、男の子だった!?というオメガバースな歴史ファンタジー。
歴史や古文が苦手でも、だいじょうぶ。ふりがな満載・カッコ書きの説明大量。
フツーの日本語で書いています。
ある少年の体調不良について
雨水林檎
BL
皆に好かれるいつもにこやかな少年新島陽(にいじまはる)と幼馴染で親友の薬師寺優巳(やくしじまさみ)。高校に入学してしばらく陽は風邪をひいたことをきっかけにひどく体調を崩して行く……。
BLもしくはブロマンス小説。
体調不良描写があります。
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる