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訳あり王子と秘密の恋人 第二部 第五章

12.白クマと黒幕

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 こちらがひとまずの決着を見せたころ、もうひとつの問題もある程度のめどがついたらしい。トーク番組としてテレビで放送できるくらいの和やかさで音楽について話していた三人のもとへ、ベイカーが現れた。
 ついでにロダスとフランツが戸口から顔を覗かせ、エリオットが軽く手を挙げると、無事を確かめて安心したように仕事に戻った。

 それまで大人しく足元にいたルードは、ひとしきりエリオットに構われて満足したのか、もしくはひとが増えて居心地が悪くなったのか、ふらりと部屋から出て行ってしまった。

 そのしっぽを見送り、ベイカーはまず警備の不手際──実際には不手際でもなんでもないのだが──でエリオットの安全に万全を期せなかったことを謝罪した。それから、事件の背景について報告を始める。

「会場のほうは、来場者同士のトラブルということで収めました。居合わせたひとたちが撮影した写真も、混乱のさなかであったため、SNSに投稿されても殿下方が特定されるようなものではございません」

 一般の来場者には、変装の効果があったらしい。なによりだ。

「卵を投げた学生たちも、あの場に殿下がおいでになることを認識しておりませんでした。あくまでマクミラン卿、ひいては再開発プロジェクトに関わる人物への、抗議活動の一環だったと述べております」

 たまたまエリオットが居合わせたおかげで、テロの容疑者に格上げされてしまったのは学生たちも予想外だろう。しかしいくらダニエルが関係者だといっても、一個人を標的にするなんて、ずいぶんと物騒な正義感だ。

「現在は近くの警察署に拘留中ですが、傷害未遂ですので、お手数ではございますがマクミラン氏には告訴の手続きを──」
「いえ、告訴はしません。厳重注意で釈放を。……もちろん、殿下がよろしければ」

 ダニエルがちらりと窺うので、エリオットは頷く。

「異議なし」

 騒ぎを大きくしたくない、という考えにはエリオットも賛成だ。

「おれがいることは知らなかったっていうけど、ダニエルがいるのを知ってたのはどうして?」
「襲撃の瞬間を撮影していた人物が関わっていました」
「あぁ、あのひと?」
「イベント会場で、道路拡張反対の署名活動をしていた学生たちに声をかけ、マクミラン氏が来場するから恥をかかせてやろうと教唆したそうです。自分はライターだから、その様子を撮影して抗議活動を擁護する記事にすると」
「あのひとたち、そんなバカな話にのったの?」

 キャロルが「呆れた」と片手を振る。

 エリオットはテーブルに目を落とした。

 並べられた一流ホテル並みの軽食や、繊細なティーセットとはあまりに隔たりの大きい話に、重苦しい気分になった。改めて、自分が暴力的なものから遠ざけられ、上品なもので守られていることを痛感する。

 とうに空にしたアウガルテンのカップを意味もなく掴む。手作業で銀のラインが引かれたふちを親指の腹で撫でていると、ふと手元に影が落ちた。ぱっと振り仰ぐと、側に屈んだバッシュが「失礼いたします」とエリオットの手からカップを取り上げ、ティーポットから温かいお茶を注ぐ。キスしたいほど魅力的な額は、室内で少し暗く見えるオウゴンマサキの髪に縁取られていた。

 ソーサーを受け取る手に添えられた、白手袋越しの体温と揺るがないヒスイカズラが、言葉より雄弁に「沈んでる場合じゃないだろう?」と訴えている。

 どうしてこういうところを見逃さないかな、あんたは。

 覚えてろよ、あとでキスしてやる。

「……そのライターって何者?」

 キャロルとダニエルのカップにもお代わりを注いで、しらっとイェオリの隣へ戻るバッシュを横目で追いながら、エリオットは聞いた。

「フリーのライターを自称していますが、もとはゴシップ誌の所属で、いくつか記事を書いていた記録があります」

 ベイカーのいい方からして、あまり生産性のある記事ではなさそうだ。

「そのライターの情報元は?」
「とある筋、としか。ただし、マクミラン氏がある女性と会う、ということは知っていたようです。騒ぎを起こして、話題になる記事を書きたかったのでないかと」
「わたしを招待することを、だれかに話したの?」

 砂糖をカップへ落としていたキャロルが、シュガーポットのふたを閉めた手をそのままにダニエルへ尋ねた。

 それ、投げたりしないよな?

 エリオットと同じ危機感を抱いたらしいダニエルは、すぐに首を振った。

「とんでもない。チケットはフェアに参加する教授からいただいたゲスト向けのもので、わたしが購入したわけではありませんし、そんな話をする友人もいません。両親すら、きょうあなたと会うことは知らないんです」

 当然、イベントへの参加をSNSへアップするような趣味もないだろう。だいたい、アカウントを持っているかも怪しい。

「でも、食事とかじゃなくガーデンフェアを選んだ。ハープダウンの住人と険悪なことは分かってたのよね」
「対外的には、えぇ、そうです」

 キャロルの物言いに慣れて来たのか、ダニエルは落ち着いて説明した。

「しかしご存じのとおり、わたしの研究室の教授がディスカッションに招かれています。わたしも事前の打ち合わせには助手として参加しましたが、少なくとも運営はわたしの存在に関して特別な関心を示しませんでした。ですから、あのように個人的な標的になるとは……」

 まぁ、まさか卵投げられるとは思わないわな。

 ダニエルのいい分にキャロルも納得して、シュガーポットから手を放す。

「それに、改まった食事やお茶より、ガーデンのほうがレディ・キャロルも気が楽だろうとおっしゃったので──」
「待って」

 エリオットはダニエルの呟きを遮った。

「『おっしゃった』って、だれが?」

 きょとんとした顔でエリオットが挙げた右手を見た彼は、自分に注目が集まっていることに気付いて首を縮めながらぼそりと答えた。

「……オルブライト公爵です」
「オルブライト……?」

 エリオットはゆっくり繰り返した。

「オルブライト公爵って、若い方よね。あなたと同じくらいの歳じゃなかった?」
「おれとダニエルの間くらいかな」
「チャリティーでよく顔は見るけど、個人的に話したことはないかも」

 年かさの貴族の前では平凡な若者を演じながら、さめた視点で彼らを皮肉るブルネットの青年の、油断ならない笑みを思い出す。

 彼はなんといっていたか。

 いや、なにを知っていたか、だな。
 
「いい方ですよ。両親が無理をいって迷惑をかけてしまったんですが、気にするどころか、あなたに一度お会いして説明するよう勧めてくださいました。場所のアドバイスまでしていただいて……」
「つまりオルブライト公は、あなたとキャロルがフェアに行くことを知ってた」

 エリオットまで現れるとはさすがに計算していないだろうから、目的はキャロルとダニエルの記事を書かせることか。

「オルブライト公爵が絡んでるっていいたいの?」
「しかし殿下、オルブライト公は両親の頼みを断っていますから、わたしとレディの間に、なにもないことをご存じですよ」
「だからこそ、あなたは警戒せず彼のいうとおりにしたんだろ」

 エリオットが突き放すようにいうと、ダニエルは椅子の上で小さくなる。大きな背中が丸まって、ぬぼっとしたフォルムはクマがうなだれているみたいだ。

 ──あ。

「白クマ……」

 若くて優秀で、白クマみたいな研究者。

 ゴードンがいっていた、エリオットの友人候補だ。

 あれはダニエルのことか。

「ふふっ」

 つい、エリオットは吹きだした。

 紹介される前にウチでお茶飲んでるよ。偶然って怖い。っていうか、相変わらず世間ってやつは狭すぎじゃねーの?

「エリオット……?」

 突然、意味不明なことを呟いて笑い出したエリオットへ、キャロルが不審そうに声をかけた。奇病でも発症したんじゃないかと疑っている顔だ。見回せば、侍従たちも似たり寄ったりな面持ちでこちらを見ている。

 エリオットはさらりとした布地の肘置きに掴まって椅子に座り直すと、正気を証明するためにぱたぱたと手を上下させた。

 ダニエルの仕事関係のいざこざが騒動の原因だと思っていたけど、そうじゃない。

「ごめん、ダニエル。あなたを責めてるんじゃなくて……たぶん、オルブライト公爵の狙いはおれだ」
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