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訳あり王子と秘密の恋人 第二部 第五章
11.ブルーグラビティ
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シャンパンボトルを要求したキャロルだが、さほど酔っている様子はなかった。そうなる時間は十分にあったと思うが、彼女はアルコールよりも、料理長がこしらえたペイストリーのほうが気に入ったらしい。
ライブラリーから運ばせたパイやキッシュの皿でナッツのボウルを押しのけた最高判事は、親睦を深めた男ふたりの弁論を黙って聞いていた。若干どもりながらも長年のファンであることの告白と、身内が家柄目当てで結婚を申し込んだことの謝罪するダニエルを、横からエリオットがフォローする。
彼女としても、目の前の男が求婚者だといわれるより、ファンのほうがずっとましだろう。その表情に警戒の色はなく、美術館でエリオットを諭したときと同じく理知的だった。
「毎回欠かさず花を贈ったって……」
薄い唇に指先を当てたキャロルは、なぜか背後の警護官を振り返った。いつも影のように彼女に寄り添っているショートヘアの女性警護官は、意味ありげに頷く。
「それってもしかして、青いバラ? 天然の?」
「は、はい、そうです」
覚えていてくださったんですか、と感激するダニエルに、キャロルは額をおさえた。
「当たり前じゃない。どの演奏会にも届く同じ花束、しかも匿名なんて怪しすぎて、なにか仕込まれてないか警護が毎回徹底的に調べるんだから」
奥手な好意も行き過ぎると、思ってもみない事態を引き起こすらしい。
その可能性は考えていなかったらしいダニエルが、両手をわたわたさせるのを見て、エリオットは喉まで出かかった笑いを飲み込んで、しゃっくりのような音を立てた。
「よかったね、キャロル。ストーカーじゃなくて」
「相手に伝わらない好意はストーカーと同じよ」
うわ、グサッとくる。
キャロルはジャケットの袖口からのびる手を組み、肘置きに寄りかかってダニエルに尋ねた。
「聞いてもいい?」
「……はい」
「どうして青いバラなの? ほかの人は、わたしの赤毛やドレスの色に合わせて、決まって赤いバラをくれるの。だから余計、青い花はすごく目立ってた」
そういえば、エリオットが贈ったリボンも、ドレスから連想したワインレッドだった。
実は芸がない、とか思われてたりして。
のんきに過去の行いを顧みるエリオットの横で、ダニエルは断崖絶壁に立たされたような、飛び降りたら死ぬ──という顔で固まっていた。
もう一度ルードの力を借りようかと思ったとき、思い出したことがあって、エリオットは口を開いた。
「天然の青いバラって、ブルーグラビティ?」
ダニエルにすがるような顔を向けられ、そのあまりに必死な表情に苦笑した。
いやいや、命綱にはならないと思うぞおれは。
「なにそれ」
「遺伝子組み換えじゃなくて、交配の技術で生まれた青いバラだよ。作ったのは日本の育種家だったかな」
園芸誌に紹介されているのを見たのはけっこう前のことだが、それがどれほどの時間と努力を必要とするか、デファイリア・グレイの改良を手掛けたからよく分かる。だから印象に残っていたのだ。
「……それって、珍しいの?」
「少なくとも、街角のショップで見かけるような品種じゃないね」
「そんな貴重なものなら、もっと丁寧に検分してもらうんだったわ」
申し訳ないことをした、とキャロルがダニエルに謝る。
「いえ、もとはわたしの意気地のなさが招いたことですから。……あのバラの特徴は、殿下のおっしゃるとおりです」
青白い頬で、ダニエルはキャロルを見つめていた。覚悟を決めた顔。彼にとって、彼女──もしくは誰か──と向き合うことは、崖から飛び降りるのと同じくらい怖いことなのかもしれない。ほんの数カ月前、キャロルとの衝突を恐れたエリオットのように。
もし叶うなら、がんばれ、と背中を叩いて励ましたくなる。貴族会と対峙する前、バッシュもそうしてくれた。
それができない代わりに両手をぎゅっと握って、エリオットは激しく葛藤しているダニエルの横顔を見守った。
「……あなたに、ふさわしい花だと思ったんです」
ダニエルは、じれったくなるほどの時間をかけて、ようやく言葉を絞り出した。
じっと待っていたブラウンの瞳に促され、さらに一歩を踏み出す。
「わたしは音楽に関しては素人です。ですがあなたの華やかな演奏の裏に、……こんな言葉では不足でしょうが、積み上げてきた努力があることは想像ができます。より美しい色を求めて何代も交配を重ねるバラのように、費やした時間や傾けた情熱が素晴らしい結果を導くと、信じてもらいたかった」
だから、青いバラを贈り続けた。
「……あなたのこと、両親が『いいひと』っていってたの」
どこでそれを知ったのか、聞いてみなくちゃ。
キャロルがほほ笑んだ。
勇気を奮い立たせたダニエルへ、右手を差し出す。
「いつも応援してくださってありがとう。あなたの期待に恥じない演奏家になるよう、努力します。……でも次からは、警護に取り上げられないように、ちゃんとあなたの名前で花を贈ってくださいね」
「そうします。……ありがとうございます」
気恥ずかしそうに、しかしそれを上回る喜びで、ダニエルは示された敬意を受け入れた。
ライブラリーから運ばせたパイやキッシュの皿でナッツのボウルを押しのけた最高判事は、親睦を深めた男ふたりの弁論を黙って聞いていた。若干どもりながらも長年のファンであることの告白と、身内が家柄目当てで結婚を申し込んだことの謝罪するダニエルを、横からエリオットがフォローする。
彼女としても、目の前の男が求婚者だといわれるより、ファンのほうがずっとましだろう。その表情に警戒の色はなく、美術館でエリオットを諭したときと同じく理知的だった。
「毎回欠かさず花を贈ったって……」
薄い唇に指先を当てたキャロルは、なぜか背後の警護官を振り返った。いつも影のように彼女に寄り添っているショートヘアの女性警護官は、意味ありげに頷く。
「それってもしかして、青いバラ? 天然の?」
「は、はい、そうです」
覚えていてくださったんですか、と感激するダニエルに、キャロルは額をおさえた。
「当たり前じゃない。どの演奏会にも届く同じ花束、しかも匿名なんて怪しすぎて、なにか仕込まれてないか警護が毎回徹底的に調べるんだから」
奥手な好意も行き過ぎると、思ってもみない事態を引き起こすらしい。
その可能性は考えていなかったらしいダニエルが、両手をわたわたさせるのを見て、エリオットは喉まで出かかった笑いを飲み込んで、しゃっくりのような音を立てた。
「よかったね、キャロル。ストーカーじゃなくて」
「相手に伝わらない好意はストーカーと同じよ」
うわ、グサッとくる。
キャロルはジャケットの袖口からのびる手を組み、肘置きに寄りかかってダニエルに尋ねた。
「聞いてもいい?」
「……はい」
「どうして青いバラなの? ほかの人は、わたしの赤毛やドレスの色に合わせて、決まって赤いバラをくれるの。だから余計、青い花はすごく目立ってた」
そういえば、エリオットが贈ったリボンも、ドレスから連想したワインレッドだった。
実は芸がない、とか思われてたりして。
のんきに過去の行いを顧みるエリオットの横で、ダニエルは断崖絶壁に立たされたような、飛び降りたら死ぬ──という顔で固まっていた。
もう一度ルードの力を借りようかと思ったとき、思い出したことがあって、エリオットは口を開いた。
「天然の青いバラって、ブルーグラビティ?」
ダニエルにすがるような顔を向けられ、そのあまりに必死な表情に苦笑した。
いやいや、命綱にはならないと思うぞおれは。
「なにそれ」
「遺伝子組み換えじゃなくて、交配の技術で生まれた青いバラだよ。作ったのは日本の育種家だったかな」
園芸誌に紹介されているのを見たのはけっこう前のことだが、それがどれほどの時間と努力を必要とするか、デファイリア・グレイの改良を手掛けたからよく分かる。だから印象に残っていたのだ。
「……それって、珍しいの?」
「少なくとも、街角のショップで見かけるような品種じゃないね」
「そんな貴重なものなら、もっと丁寧に検分してもらうんだったわ」
申し訳ないことをした、とキャロルがダニエルに謝る。
「いえ、もとはわたしの意気地のなさが招いたことですから。……あのバラの特徴は、殿下のおっしゃるとおりです」
青白い頬で、ダニエルはキャロルを見つめていた。覚悟を決めた顔。彼にとって、彼女──もしくは誰か──と向き合うことは、崖から飛び降りるのと同じくらい怖いことなのかもしれない。ほんの数カ月前、キャロルとの衝突を恐れたエリオットのように。
もし叶うなら、がんばれ、と背中を叩いて励ましたくなる。貴族会と対峙する前、バッシュもそうしてくれた。
それができない代わりに両手をぎゅっと握って、エリオットは激しく葛藤しているダニエルの横顔を見守った。
「……あなたに、ふさわしい花だと思ったんです」
ダニエルは、じれったくなるほどの時間をかけて、ようやく言葉を絞り出した。
じっと待っていたブラウンの瞳に促され、さらに一歩を踏み出す。
「わたしは音楽に関しては素人です。ですがあなたの華やかな演奏の裏に、……こんな言葉では不足でしょうが、積み上げてきた努力があることは想像ができます。より美しい色を求めて何代も交配を重ねるバラのように、費やした時間や傾けた情熱が素晴らしい結果を導くと、信じてもらいたかった」
だから、青いバラを贈り続けた。
「……あなたのこと、両親が『いいひと』っていってたの」
どこでそれを知ったのか、聞いてみなくちゃ。
キャロルがほほ笑んだ。
勇気を奮い立たせたダニエルへ、右手を差し出す。
「いつも応援してくださってありがとう。あなたの期待に恥じない演奏家になるよう、努力します。……でも次からは、警護に取り上げられないように、ちゃんとあなたの名前で花を贈ってくださいね」
「そうします。……ありがとうございます」
気恥ずかしそうに、しかしそれを上回る喜びで、ダニエルは示された敬意を受け入れた。
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