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訳あり王子と秘密の恋人 第二部 第五章
10.ふりふりしっぽは心の鍵
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カルバートンには、あちこちにゴムボールやロープのおもちゃが転がっている。メイドや侍従が見つけるとテーブルなどに置いておくのだが、たまに長椅子のクッションのあいだやカーテンの裏から出て来る。ひとり遊びをして隠したものを、ルードがそのまま忘れているのだ。
きょうは奇跡的にキャビネットの下から発掘したボールをくわえて、ルードが足元に寄ってくる。
「ダニエル、投げてやって」
エリオットがボールを渡すと、ルードは「話しが違う」という悲壮な顔をした。しかし困惑しながらもダニエルがゆるい放物線を描いてボールを投げれば、発射元はどうでもよくなったらしく、床に跳ねるボールめがけてすっ飛んでいく。
「なかなかの迫力ですね」
「まぁね。でも、本人的には一応の加減はしてるみたい。家具にぶつかったり、置物を壊したことはないし」
たまにいたずらもするが、基本的にはかしこい相棒なのだ。
戻ってきたルードから押し付けられたボールを、こんどはエリオットが投げた。スライディングしながら前脚でボールを捕まえ、顔を床にこすりつけるようにして甘噛みする。興奮して持ち上がった尻としっぽがふりふりと揺れるのを見つめていたダニエルが、ぽつりといった。
「ファンなんです」
「……ふぁん?」
エリオットが間の抜けたオウム返しをする。ダニエルの後ろに控えるバッシュとイェオリも、虚を突かれた顔でそろって彼の後頭部を見下ろした。
「レディ……いえ、キャロル・ジェナ=バジェットという演奏家の、ファンなんです」
アーハン?
エリオットが視線を投げると、ルードは床にうつぶせでボールに夢中になっている。だらりと投げ出された両脚が、こちらのことなど眼中にないことを物語っていた。
ダニエルの心のふたを開いたのは、間違いなくお手柄なんだけど。
ファンね……。
「演奏会によく行くとか?」
「はい。わたしが彼女を知ったのは、母に付き合って鑑賞した女王杯です。音楽には疎かったのですが、その演奏に魅了されてしまって……。それから彼女が出演する演奏会やコンクールは、都合が合えば必ず」
「じゃあ、もしかして夏の定期演奏会にも?」
「えぇ、末席でしたが」
ボックス席にいるエリオットを見上げて来たたくさんの顔の中に、ダニエルもいたのかと思うと、ちょっと不思議な気分だ。
「嬉しくないの? そんなに好きなアーティストと結婚できるチャンスなのに?」
「まさか! そのときの彼女は、十六歳の子どもですよ?」
ダニエルは激しく首を振る。
「出会った──というか、あなたがキャロルを知ったときはそうだけど、いまは成人してる」
椅子の肘掛けにもたれるエリオットから目をそらして、彼は腿の上でぎゅっと手を握った。
「そうですけど……そうではなくて。わたしは彼女の演奏が好きなんです。演奏会には足を運ぶし、花を送ったりもします。けれど、それはいつも匿名です。わたしを知ってほしいとか恋愛関係になりたいのではなく、ただ演奏家としての彼女の人生を応援しているだけなんです」
対象外、といったのはそういうことか。
その憧憬が恋ですらないなんて、とんだ純情もあったものだ。
床板を爪で削りながら戻ってきたルードが、次はバッシュにボールを押し付けるが、残念ながら仕事中の彼は遊んでくれず、ふてくされたのか首を振ってぺいっとボールを放る。そしてのそのそとエリオットのところまで来ると、「遊んでくれない!」というようにクンクン訴えた。
お前は自由だな。
ここで自分まで無視すれば、本格的に拗ねたルードが背もたれの間に大きな体をねじ込んでエリオットを椅子から押し出そうとするので、ひとまず首の後ろをがしがしと撫でてやった。
「……おれたちはあなたのことを、立場を利用して結婚を強要してるんだと思ってた」
「そう受け取られても仕方ありません。両親は、そういう考えだったと思います。身内がプロジェクトに関わることで出資している事業に利があると思っていたのに、あまり成果を出せないわたしに王族のフィアンセという箔と後ろ盾をつけてやるつもりだったようですから」
ダニエルは恥じ入るように、しわの寄った額をこする。
なるほど、そこで繋がってくるのか。
再開発と地元のトラブルや結婚話はダニエルも巻き込まれた感が強いが、キャロルもいい迷惑だ。エリオットに至っては完全なるもらい事故。
なんてこった。
フォスター女伯爵や貴族会に気をとられて、ダニエルについてあまり深く興味を持っていなかった。カニングハム公爵のように、最後は自分のほうが優位に立てると驕っていたのだ。彼を個人として見ていなかった傲慢さを反省する。
「最初から、あなたと話をしなくちゃいけなかったね」
「わたしのほうこそ、もっと早く対処するべきだったと思います」
「じゃあ本当に、キャロルと結婚するつもりはないんだ」
「神に誓って」
言葉だけ聞けば失礼この上ないが、この場合は両者が同じ意見なので、平和的解決は近そうだ。
「じゃあ、キャロルを呼ぼう」
「しかし殿下、彼女は納得してくれるでしょうか。聞く耳を持ってもらえない様子でしたが……」
エリオットは柔らかなルードの手触りを堪能しつつ、ダニエルの悩める眉を眺めた。
上に何人も兄弟姉妹がいて、両親に結婚相手を見繕われるオタクっぽい青年。その情報だけでも、彼がいかに草食系かは想像できる。キャロルのように押しの強い女性が苦手そうなことも、ましてそれが何年も影ながら応援し続けた相手だとすればなおさら。
でもそれは、彼女の一部でしかない。
「黙っていられるより、的外れなことをいわれたほうが、相手がどんな人なのかが分かる」
「はぁ……」
格言じみたことをいうエリオットにダニエルは怪訝そうな顔をしたが、後ろのイェオリは聞き覚えのある言葉にほほ笑み、バッシュは「その通り」というように肩をすくめた。
「キャロルは、言葉にするのを待っててくれる人だよ」
……落ち着いていれば。
きょうは奇跡的にキャビネットの下から発掘したボールをくわえて、ルードが足元に寄ってくる。
「ダニエル、投げてやって」
エリオットがボールを渡すと、ルードは「話しが違う」という悲壮な顔をした。しかし困惑しながらもダニエルがゆるい放物線を描いてボールを投げれば、発射元はどうでもよくなったらしく、床に跳ねるボールめがけてすっ飛んでいく。
「なかなかの迫力ですね」
「まぁね。でも、本人的には一応の加減はしてるみたい。家具にぶつかったり、置物を壊したことはないし」
たまにいたずらもするが、基本的にはかしこい相棒なのだ。
戻ってきたルードから押し付けられたボールを、こんどはエリオットが投げた。スライディングしながら前脚でボールを捕まえ、顔を床にこすりつけるようにして甘噛みする。興奮して持ち上がった尻としっぽがふりふりと揺れるのを見つめていたダニエルが、ぽつりといった。
「ファンなんです」
「……ふぁん?」
エリオットが間の抜けたオウム返しをする。ダニエルの後ろに控えるバッシュとイェオリも、虚を突かれた顔でそろって彼の後頭部を見下ろした。
「レディ……いえ、キャロル・ジェナ=バジェットという演奏家の、ファンなんです」
アーハン?
エリオットが視線を投げると、ルードは床にうつぶせでボールに夢中になっている。だらりと投げ出された両脚が、こちらのことなど眼中にないことを物語っていた。
ダニエルの心のふたを開いたのは、間違いなくお手柄なんだけど。
ファンね……。
「演奏会によく行くとか?」
「はい。わたしが彼女を知ったのは、母に付き合って鑑賞した女王杯です。音楽には疎かったのですが、その演奏に魅了されてしまって……。それから彼女が出演する演奏会やコンクールは、都合が合えば必ず」
「じゃあ、もしかして夏の定期演奏会にも?」
「えぇ、末席でしたが」
ボックス席にいるエリオットを見上げて来たたくさんの顔の中に、ダニエルもいたのかと思うと、ちょっと不思議な気分だ。
「嬉しくないの? そんなに好きなアーティストと結婚できるチャンスなのに?」
「まさか! そのときの彼女は、十六歳の子どもですよ?」
ダニエルは激しく首を振る。
「出会った──というか、あなたがキャロルを知ったときはそうだけど、いまは成人してる」
椅子の肘掛けにもたれるエリオットから目をそらして、彼は腿の上でぎゅっと手を握った。
「そうですけど……そうではなくて。わたしは彼女の演奏が好きなんです。演奏会には足を運ぶし、花を送ったりもします。けれど、それはいつも匿名です。わたしを知ってほしいとか恋愛関係になりたいのではなく、ただ演奏家としての彼女の人生を応援しているだけなんです」
対象外、といったのはそういうことか。
その憧憬が恋ですらないなんて、とんだ純情もあったものだ。
床板を爪で削りながら戻ってきたルードが、次はバッシュにボールを押し付けるが、残念ながら仕事中の彼は遊んでくれず、ふてくされたのか首を振ってぺいっとボールを放る。そしてのそのそとエリオットのところまで来ると、「遊んでくれない!」というようにクンクン訴えた。
お前は自由だな。
ここで自分まで無視すれば、本格的に拗ねたルードが背もたれの間に大きな体をねじ込んでエリオットを椅子から押し出そうとするので、ひとまず首の後ろをがしがしと撫でてやった。
「……おれたちはあなたのことを、立場を利用して結婚を強要してるんだと思ってた」
「そう受け取られても仕方ありません。両親は、そういう考えだったと思います。身内がプロジェクトに関わることで出資している事業に利があると思っていたのに、あまり成果を出せないわたしに王族のフィアンセという箔と後ろ盾をつけてやるつもりだったようですから」
ダニエルは恥じ入るように、しわの寄った額をこする。
なるほど、そこで繋がってくるのか。
再開発と地元のトラブルや結婚話はダニエルも巻き込まれた感が強いが、キャロルもいい迷惑だ。エリオットに至っては完全なるもらい事故。
なんてこった。
フォスター女伯爵や貴族会に気をとられて、ダニエルについてあまり深く興味を持っていなかった。カニングハム公爵のように、最後は自分のほうが優位に立てると驕っていたのだ。彼を個人として見ていなかった傲慢さを反省する。
「最初から、あなたと話をしなくちゃいけなかったね」
「わたしのほうこそ、もっと早く対処するべきだったと思います」
「じゃあ本当に、キャロルと結婚するつもりはないんだ」
「神に誓って」
言葉だけ聞けば失礼この上ないが、この場合は両者が同じ意見なので、平和的解決は近そうだ。
「じゃあ、キャロルを呼ぼう」
「しかし殿下、彼女は納得してくれるでしょうか。聞く耳を持ってもらえない様子でしたが……」
エリオットは柔らかなルードの手触りを堪能しつつ、ダニエルの悩める眉を眺めた。
上に何人も兄弟姉妹がいて、両親に結婚相手を見繕われるオタクっぽい青年。その情報だけでも、彼がいかに草食系かは想像できる。キャロルのように押しの強い女性が苦手そうなことも、ましてそれが何年も影ながら応援し続けた相手だとすればなおさら。
でもそれは、彼女の一部でしかない。
「黙っていられるより、的外れなことをいわれたほうが、相手がどんな人なのかが分かる」
「はぁ……」
格言じみたことをいうエリオットにダニエルは怪訝そうな顔をしたが、後ろのイェオリは聞き覚えのある言葉にほほ笑み、バッシュは「その通り」というように肩をすくめた。
「キャロルは、言葉にするのを待っててくれる人だよ」
……落ち着いていれば。
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