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訳あり王子と秘密の恋人 第二部 第五章
1.ボンドか?
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「……こうなるとは思わなかった」
首にかけた黒いストラップをつまんでぼやくエリオットに、「同感です」とイェオリが言った。
ふたりがいるのは、ハープダウンガーデンフェア会場の中にある、飲食ブースとしていくつか並んだ仮設テントの影だった。時間が早いのでテントを利用するひとはほとんどおらず、少し離れた創作ガーデンエリアとステージがあるメイン会場、ナーセリーや農家が出店するマーケットから聞こえて来るざわめきを、テントの脇にあるスピーカーから流れるポップな音楽がかき消している。
「会場で一番目立たない方法ではありますが」
珍しいことに、イェオリはいつものスーツではなくTシャツ、ジャケット、黒のデニムに斜め掛けのボディバッグというカジュアルスタイルでそばに控えている。彼の私服を見たのは二度目だ。そしてエリオットも、赤いネルシャツにグレーのパーカー、テーパードパンツという出で立ちだった。ついでにキャスケットまで被り、気分はイベントに来た学生だ。それもあながち間違いではない。ふたりの首にかかったストラップには、「スタッフ」と書かれたパスがぶら下がっているのだ。
「そりゃそうだけど、まさか本気でやるとは思わないだろ」
バッシュに話した潜入計画を持ち掛けたところ、ゴードンは主催者に伝えてすぐにチケットを手配すると言ってくれた。しかしそんなことをされては「王子が来る!」と大騒ぎになって、こっそりキャロルの様子を窺うことなど不可能だ。あくまでお忍びで行きたいのだと伝えると、どうもただ遊びに来るわけではないらしいと察した教授が、それならと送って来たのがこのスタッフ用のパスだった。
パネルディスカッションの準備をする学生のためのパスらしいが、「助手に五人も六人も必要ないから」と融通──横流し、ともいう──してくれた。
「あの教授、ぜったい面白がってる」
「007に協力するQの気分かもしれませんね」
ベン・ウィショーじゃなく、二代目のデズモンド・リュウェリンなら似ていなくもない、かもしれない。
『──ヤマハ、西ゲート到着』
耳につけたイヤホンへ、ミッションの状況報告が入る。
キャロルが会場についたらしい。
きょうのために拝借したイヤホンは、ノイズキャンセリング機能つきで耳にフィットする警護官仕様だ。
「……なんでヤマハ?」
「彼女のコールサインは、ピアノの製造メーカーだそうですよ」
「へぇ。じゃあスタインウェイとか、ベーゼンドルファーとか呼ばれてんだ」
「そのままだと長いので、略されているかもしれませんが」
「スタインとかベーゼン?」
それでもカッコいいじゃん。いいな。
ちなみに、エリオットの警護チーム内での歴代コールサインは、把握しているだけで「ポニー」「フィンチ」「ロップイヤー」「モモンガ」……。動物縛りなのは分かるが、ひどく偏っている気がするのは自分だけだろうか。一番最近のミシェルのコールサインが「フラミンゴ」だったから、それよりはましかもしれないけど。
「さて、おれたちも行くか」
「周囲には十分ご注意ください」
「分かってるよ」
ひとの往来が途切れるのを見計らうイェオリについて、エリオットも歩き出す。傍目には、サボっていた学生がようやく仕事をしに出て来たように見えただろう。
『ハリネズミ、移動』
「……下手に近寄ったら刺してやる」
袖に仕込んだマイクへ、小声でつぶやく。周囲の来場者に溶け込んでいたエリオットの警護官たちの失笑は、高感度イヤホンにばっちり拾われた。
首にかけた黒いストラップをつまんでぼやくエリオットに、「同感です」とイェオリが言った。
ふたりがいるのは、ハープダウンガーデンフェア会場の中にある、飲食ブースとしていくつか並んだ仮設テントの影だった。時間が早いのでテントを利用するひとはほとんどおらず、少し離れた創作ガーデンエリアとステージがあるメイン会場、ナーセリーや農家が出店するマーケットから聞こえて来るざわめきを、テントの脇にあるスピーカーから流れるポップな音楽がかき消している。
「会場で一番目立たない方法ではありますが」
珍しいことに、イェオリはいつものスーツではなくTシャツ、ジャケット、黒のデニムに斜め掛けのボディバッグというカジュアルスタイルでそばに控えている。彼の私服を見たのは二度目だ。そしてエリオットも、赤いネルシャツにグレーのパーカー、テーパードパンツという出で立ちだった。ついでにキャスケットまで被り、気分はイベントに来た学生だ。それもあながち間違いではない。ふたりの首にかかったストラップには、「スタッフ」と書かれたパスがぶら下がっているのだ。
「そりゃそうだけど、まさか本気でやるとは思わないだろ」
バッシュに話した潜入計画を持ち掛けたところ、ゴードンは主催者に伝えてすぐにチケットを手配すると言ってくれた。しかしそんなことをされては「王子が来る!」と大騒ぎになって、こっそりキャロルの様子を窺うことなど不可能だ。あくまでお忍びで行きたいのだと伝えると、どうもただ遊びに来るわけではないらしいと察した教授が、それならと送って来たのがこのスタッフ用のパスだった。
パネルディスカッションの準備をする学生のためのパスらしいが、「助手に五人も六人も必要ないから」と融通──横流し、ともいう──してくれた。
「あの教授、ぜったい面白がってる」
「007に協力するQの気分かもしれませんね」
ベン・ウィショーじゃなく、二代目のデズモンド・リュウェリンなら似ていなくもない、かもしれない。
『──ヤマハ、西ゲート到着』
耳につけたイヤホンへ、ミッションの状況報告が入る。
キャロルが会場についたらしい。
きょうのために拝借したイヤホンは、ノイズキャンセリング機能つきで耳にフィットする警護官仕様だ。
「……なんでヤマハ?」
「彼女のコールサインは、ピアノの製造メーカーだそうですよ」
「へぇ。じゃあスタインウェイとか、ベーゼンドルファーとか呼ばれてんだ」
「そのままだと長いので、略されているかもしれませんが」
「スタインとかベーゼン?」
それでもカッコいいじゃん。いいな。
ちなみに、エリオットの警護チーム内での歴代コールサインは、把握しているだけで「ポニー」「フィンチ」「ロップイヤー」「モモンガ」……。動物縛りなのは分かるが、ひどく偏っている気がするのは自分だけだろうか。一番最近のミシェルのコールサインが「フラミンゴ」だったから、それよりはましかもしれないけど。
「さて、おれたちも行くか」
「周囲には十分ご注意ください」
「分かってるよ」
ひとの往来が途切れるのを見計らうイェオリについて、エリオットも歩き出す。傍目には、サボっていた学生がようやく仕事をしに出て来たように見えただろう。
『ハリネズミ、移動』
「……下手に近寄ったら刺してやる」
袖に仕込んだマイクへ、小声でつぶやく。周囲の来場者に溶け込んでいたエリオットの警護官たちの失笑は、高感度イヤホンにばっちり拾われた。
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