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訳あり王子と秘密の恋人 第二部 第四章

3.揺り戻し

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 それから起こったいくつかのことは、ドミノが倒れていく様を見るようだった。

 なぜここにいるかは知らないが、とにかく自分に触れているキャロルから逃げようと、めちゃくちゃに叫んで暴れたエリオットはソファから落ち、ちょうどそこで横になっていたルードが下敷きになって飛び起きた。尋常じゃない飼い主の様子に、彼はキャロルを敵だと判断してウォンウォンと吠えたてる。

 悲鳴を聞いて駆け付けたイェオリは、いまにも飛びかかりそうなルードからキャロルを守ろうと立ちはだかった。

 エリオットはそれを、逃げ込んだ部屋の隅にうずくまって見ていた。体を縮め、不快な感触を消そうと肩に爪を立てながら、かちかちと鳴る歯のあいだから、なんとか息を吸おうとする。
 恐怖が激しい鼓動とともに増幅し、それがみぞおちで蠕動しているみたいで吐き気がした。

 ほかの侍従たちやクレイヴ、それにメイドが何事かと集まって来るも、態勢を低くして唸るルードに威嚇され、戸口に縫い留められた。
 だれかに噛みつく前に落ち着かせなければと焦るほど、体の震えはひどくなり、喉からは喘鳴ばかりが漏れてルードを呼ぶこともできない。

 これは過呼吸で、死ぬことはないと頭で分かっていても、息ができないという苦しさは、たやすく判断力を奪ってしまう。

 普段なら「事故」が起きたときは、エリオットから距離を取って静かに落ち着くのを待つよう徹底されているスタッフたちだが、歯を剥き出しにする猛獣の対処までは経験がない。

 だれもが身動きできず、ルードをなだめて場を収められるエリオットは恐慌状態。ライブラリーは完全なパニックに陥りかけた。

「──座れシット!」

 突然、腹から発せられた声がビリビリと空気を震わせ、ルードを一瞬怯ませる。

「ルード、お座りシット!」

 毛を逆立てていたルードは、繰り返される命令に混乱していたが、徐々に興奮が引いてくると、しばし不満げに足踏みしたものの、最後には指示通りにその場へ座った。
 居合わせた人間に安堵が広がり、声の主はエリオットの側まで歩み寄ってくる。

「どうしたエリオット、息の仕方を忘れたのか? ルードが不安がってるぞ」

 この状況でそんなことを言えるのは、ひとりしかいない。

「おれが見えてるな?」
「アニ……ッ」
「息は吸えてるだろう? じゃあ、次は吐くんだ。ゆっくりでいい」

 しゃがみ込んだヒスイカズラの瞳が、力強くエリオットを見つめた。ルードの気持ちがよく分かった。こんな目で命令されたら、考えるより先に従ってしまう。

 最初はうまくいかなかったが、何度も辛抱強く「吐いて、吸って」とささやく声に合わせているうちに、少しずつ息が整っていった。

 呼吸ができるようになると、震えがぶり返した。肩を掴む手に力を入れる。

「あ、ヘクターが……あいつが、おれを呼んだ……あいつの手が……」
「大丈夫、ただの夢だ。奴はお前に触っていないし、二度と触らせない」
「夢……」
「あぁ、そうだ」

 喉に詰まった息と唾を飲み込む。

 そう、夢だ。エリオットに触っていたのはヘクターじゃない。うなされているのを起こそうとしたキャロルだ。

 ようやくキャロルの存在を思い出し、重い頭を持ち上げる。彼女はイェオリの後ろに立ち尽くし、両手で口を覆っていた。自分が引き起こした事態にショックを受けて、怯えている。

「エリオット、傷がつくから手を離せ」

 バッシュに言われて、エリオットは掴んでいた肩から右手を離す。爪を立てていた肩がじくじくと痛んた。
 力を入れすぎてこわばる指を苦労して開き、バッシュへと伸ばす。

「手、繋いで」
「大丈夫か?」

 痙攣するように頷く。ここにあるのが、エリオットの知っている手だと確認したかった。

「繋いでて」

 大きくて分厚いバッシュの手は、いつもより少し冷たい。見かけほど、彼も冷静ではなかったのかも。
 でも、ごつごつしたこれは、ヘクターとは似ても似つかない。エリオットは自分より硬い指先をぎゅっと握ると、もう一度キャロルを見た。

「ごめん、驚かせて。もう大丈夫」
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