233 / 332
訳あり王子と秘密の恋人 第二部 第四章
3.揺り戻し
しおりを挟む
それから起こったいくつかのことは、ドミノが倒れていく様を見るようだった。
なぜここにいるかは知らないが、とにかく自分に触れているキャロルから逃げようと、めちゃくちゃに叫んで暴れたエリオットはソファから落ち、ちょうどそこで横になっていたルードが下敷きになって飛び起きた。尋常じゃない飼い主の様子に、彼はキャロルを敵だと判断してウォンウォンと吠えたてる。
悲鳴を聞いて駆け付けたイェオリは、いまにも飛びかかりそうなルードからキャロルを守ろうと立ちはだかった。
エリオットはそれを、逃げ込んだ部屋の隅にうずくまって見ていた。体を縮め、不快な感触を消そうと肩に爪を立てながら、かちかちと鳴る歯のあいだから、なんとか息を吸おうとする。
恐怖が激しい鼓動とともに増幅し、それがみぞおちで蠕動しているみたいで吐き気がした。
ほかの侍従たちやクレイヴ、それにメイドが何事かと集まって来るも、態勢を低くして唸るルードに威嚇され、戸口に縫い留められた。
だれかに噛みつく前に落ち着かせなければと焦るほど、体の震えはひどくなり、喉からは喘鳴ばかりが漏れてルードを呼ぶこともできない。
これは過呼吸で、死ぬことはないと頭で分かっていても、息ができないという苦しさは、たやすく判断力を奪ってしまう。
普段なら「事故」が起きたときは、エリオットから距離を取って静かに落ち着くのを待つよう徹底されているスタッフたちだが、歯を剥き出しにする猛獣の対処までは経験がない。
だれもが身動きできず、ルードをなだめて場を収められるエリオットは恐慌状態。ライブラリーは完全なパニックに陥りかけた。
「──座れ!」
突然、腹から発せられた声がビリビリと空気を震わせ、ルードを一瞬怯ませる。
「ルード、お座り!」
毛を逆立てていたルードは、繰り返される命令に混乱していたが、徐々に興奮が引いてくると、しばし不満げに足踏みしたものの、最後には指示通りにその場へ座った。
居合わせた人間に安堵が広がり、声の主はエリオットの側まで歩み寄ってくる。
「どうしたエリオット、息の仕方を忘れたのか? ルードが不安がってるぞ」
この状況でそんなことを言えるのは、ひとりしかいない。
「おれが見えてるな?」
「アニ……ッ」
「息は吸えてるだろう? じゃあ、次は吐くんだ。ゆっくりでいい」
しゃがみ込んだヒスイカズラの瞳が、力強くエリオットを見つめた。ルードの気持ちがよく分かった。こんな目で命令されたら、考えるより先に従ってしまう。
最初はうまくいかなかったが、何度も辛抱強く「吐いて、吸って」とささやく声に合わせているうちに、少しずつ息が整っていった。
呼吸ができるようになると、震えがぶり返した。肩を掴む手に力を入れる。
「あ、ヘクターが……あいつが、おれを呼んだ……あいつの手が……」
「大丈夫、ただの夢だ。奴はお前に触っていないし、二度と触らせない」
「夢……」
「あぁ、そうだ」
喉に詰まった息と唾を飲み込む。
そう、夢だ。エリオットに触っていたのはヘクターじゃない。うなされているのを起こそうとしたキャロルだ。
ようやくキャロルの存在を思い出し、重い頭を持ち上げる。彼女はイェオリの後ろに立ち尽くし、両手で口を覆っていた。自分が引き起こした事態にショックを受けて、怯えている。
「エリオット、傷がつくから手を離せ」
バッシュに言われて、エリオットは掴んでいた肩から右手を離す。爪を立てていた肩がじくじくと痛んた。
力を入れすぎてこわばる指を苦労して開き、バッシュへと伸ばす。
「手、繋いで」
「大丈夫か?」
痙攣するように頷く。ここにあるのが、エリオットの知っている手だと確認したかった。
「繋いでて」
大きくて分厚いバッシュの手は、いつもより少し冷たい。見かけほど、彼も冷静ではなかったのかも。
でも、ごつごつしたこれは、ヘクターとは似ても似つかない。エリオットは自分より硬い指先をぎゅっと握ると、もう一度キャロルを見た。
「ごめん、驚かせて。もう大丈夫」
なぜここにいるかは知らないが、とにかく自分に触れているキャロルから逃げようと、めちゃくちゃに叫んで暴れたエリオットはソファから落ち、ちょうどそこで横になっていたルードが下敷きになって飛び起きた。尋常じゃない飼い主の様子に、彼はキャロルを敵だと判断してウォンウォンと吠えたてる。
悲鳴を聞いて駆け付けたイェオリは、いまにも飛びかかりそうなルードからキャロルを守ろうと立ちはだかった。
エリオットはそれを、逃げ込んだ部屋の隅にうずくまって見ていた。体を縮め、不快な感触を消そうと肩に爪を立てながら、かちかちと鳴る歯のあいだから、なんとか息を吸おうとする。
恐怖が激しい鼓動とともに増幅し、それがみぞおちで蠕動しているみたいで吐き気がした。
ほかの侍従たちやクレイヴ、それにメイドが何事かと集まって来るも、態勢を低くして唸るルードに威嚇され、戸口に縫い留められた。
だれかに噛みつく前に落ち着かせなければと焦るほど、体の震えはひどくなり、喉からは喘鳴ばかりが漏れてルードを呼ぶこともできない。
これは過呼吸で、死ぬことはないと頭で分かっていても、息ができないという苦しさは、たやすく判断力を奪ってしまう。
普段なら「事故」が起きたときは、エリオットから距離を取って静かに落ち着くのを待つよう徹底されているスタッフたちだが、歯を剥き出しにする猛獣の対処までは経験がない。
だれもが身動きできず、ルードをなだめて場を収められるエリオットは恐慌状態。ライブラリーは完全なパニックに陥りかけた。
「──座れ!」
突然、腹から発せられた声がビリビリと空気を震わせ、ルードを一瞬怯ませる。
「ルード、お座り!」
毛を逆立てていたルードは、繰り返される命令に混乱していたが、徐々に興奮が引いてくると、しばし不満げに足踏みしたものの、最後には指示通りにその場へ座った。
居合わせた人間に安堵が広がり、声の主はエリオットの側まで歩み寄ってくる。
「どうしたエリオット、息の仕方を忘れたのか? ルードが不安がってるぞ」
この状況でそんなことを言えるのは、ひとりしかいない。
「おれが見えてるな?」
「アニ……ッ」
「息は吸えてるだろう? じゃあ、次は吐くんだ。ゆっくりでいい」
しゃがみ込んだヒスイカズラの瞳が、力強くエリオットを見つめた。ルードの気持ちがよく分かった。こんな目で命令されたら、考えるより先に従ってしまう。
最初はうまくいかなかったが、何度も辛抱強く「吐いて、吸って」とささやく声に合わせているうちに、少しずつ息が整っていった。
呼吸ができるようになると、震えがぶり返した。肩を掴む手に力を入れる。
「あ、ヘクターが……あいつが、おれを呼んだ……あいつの手が……」
「大丈夫、ただの夢だ。奴はお前に触っていないし、二度と触らせない」
「夢……」
「あぁ、そうだ」
喉に詰まった息と唾を飲み込む。
そう、夢だ。エリオットに触っていたのはヘクターじゃない。うなされているのを起こそうとしたキャロルだ。
ようやくキャロルの存在を思い出し、重い頭を持ち上げる。彼女はイェオリの後ろに立ち尽くし、両手で口を覆っていた。自分が引き起こした事態にショックを受けて、怯えている。
「エリオット、傷がつくから手を離せ」
バッシュに言われて、エリオットは掴んでいた肩から右手を離す。爪を立てていた肩がじくじくと痛んた。
力を入れすぎてこわばる指を苦労して開き、バッシュへと伸ばす。
「手、繋いで」
「大丈夫か?」
痙攣するように頷く。ここにあるのが、エリオットの知っている手だと確認したかった。
「繋いでて」
大きくて分厚いバッシュの手は、いつもより少し冷たい。見かけほど、彼も冷静ではなかったのかも。
でも、ごつごつしたこれは、ヘクターとは似ても似つかない。エリオットは自分より硬い指先をぎゅっと握ると、もう一度キャロルを見た。
「ごめん、驚かせて。もう大丈夫」
19
お気に入りに追加
437
あなたにおすすめの小説
【BL】国民的アイドルグループ内でBLなんて勘弁してください。
白猫
BL
国民的アイドルグループ【kasis】のメンバーである、片桐悠真(18)は悩んでいた。
最近どうも自分がおかしい。まさに悪い夢のようだ。ノーマルだったはずのこの自分が。
(同じグループにいる王子様系アイドルに恋をしてしまったかもしれないなんて……!)
(勘違いだよな? そうに決まってる!)
気のせいであることを確認しようとすればするほどドツボにハマっていき……。
突然異世界転移させられたと思ったら騎士に拾われて執事にされて愛されています
ブラフ
BL
学校からの帰宅中、突然マンホールが光って知らない場所にいた神田伊織は森の中を彷徨っていた
魔獣に襲われ通りかかった騎士に助けてもらったところ、なぜだか騎士にいたく気に入られて屋敷に連れて帰られて執事となった。
そこまではよかったがなぜだか騎士に別の意味で気に入られていたのだった。
だがその騎士にも秘密があった―――。
その秘密を知り、伊織はどう決断していくのか。
悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!
梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!?
【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】
▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。
▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。
▼毎日18時投稿予定
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
愛され末っ子
西条ネア
BL
本サイトでの感想欄は感想のみでお願いします。全ての感想に返答します。
リクエストはTwitter(@NeaSaijou)にて受付中です。また、小説のストーリーに関するアンケートもTwitterにて行います。
(お知らせは本編で行います。)
********
上園琉架(うえぞの るか)四男 理斗の双子の弟 虚弱 前髪は後々左に流し始めます。髪の毛の色はご想像にお任せします。深い赤みたいなのアースアイ 後々髪の毛を肩口くらいまで伸ばしてゆるく結びます。アレルギー多め。その他の設定は各話で出てきます!
上園理斗(うえぞの りと)三男 琉架の双子の兄 琉架が心配 琉架第一&大好き 前髪は後々右に流します。髪の毛の色はご想像にお任せします。深い緑みたいなアースアイ 髪型はずっと短いままです。 琉架の元気もお母さんのお腹の中で取っちゃった、、、
上園静矢 (うえぞの せいや)長男 普通にサラッとイケメン。なんでもできちゃうマン。でも弟(特に琉架)絡むと残念。弟達溺愛。深い青色の瞳。髪の毛の色はご想像にお任せします。
上園竜葵(うえぞの りゅうき)次男 ツンデレみたいな、考えと行動が一致しないマン。でも弟達大好きで奮闘して玉砕する。弟達傷つけられたら、、、 深い青色の瞳。兄貴(静矢)と一個差 ケンカ強い でも勉強できる。料理は壊滅的
上園理玖斗(うえぞの りくと)父 息子達大好き 藍羅(あいら・妻)も愛してる 家族傷つけるやつ許さんマジ 琉架の身体が弱すぎて心配 深い緑の瞳。普通にイケメン
上園藍羅(うえぞの あいら) 母 子供達、夫大好き 母は強し、の具現化版 美人さん 息子達(特に琉架)傷つけるやつ許さんマジ。
てか普通に上園家の皆さんは顔面偏差値馬鹿高いです。
(特に琉架)の部分は家族の中で順列ができているわけではなく、特に琉架になる場面が多いという意味です。
琉架の従者
遼(はる)琉架の10歳上
理斗の従者
蘭(らん)理斗の10歳上
その他の従者は後々出します。
虚弱体質な末っ子・琉架が家族からの寵愛、溺愛を受ける物語です。
前半、BL要素少なめです。
この作品は作者の前作と違い毎日更新(予定)です。
できないな、と悟ったらこの文は消します。
※琉架はある一定の時期から体の成長(精神も若干)がなくなる設定です。詳しくはその時に補足します。
皆様にとって最高の作品になりますように。
※作者の近況状況欄は要チェックです!
西条ネア
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる