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訳あり王子と秘密の恋人 第二部 第四章
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遅い昼食はカブとエリンギのスープに、葉物野菜と角切りビーツのソテー。ハムサンドイッチだった。どれもあっさりしていて食べやすく、エリオットは珍しくサンドイッチをもう一切れ追加してもらい、給仕のロダスを驚かせた。
ランチを食べるあいだじゅう、熱い視線を送って来たルードには、無添加のササミジャーキーを数本、おやつに与える。
そのあとは、まだ機敏にルードの相手をしてやれるほどは回復していなかった──腰とか股関節とかが──から、ライブラリーにこもることにした。途中、廊下で行き会ったクレイヴに、散歩のお礼と、『お客さま』が来たら通すようにいっておく。外務省の役人をタコ殴りにしてバッシュが戻って来る頃には、多少は回復してるだろう。
紙とインクの匂いを吸い込んで、ほうと息をつく。嗅覚はフラットを懐かしんでいるのか、エリオットの鼻はまだカルバートンのあちこちを、慣れない屋敷に入ったときの「他人の家の匂い」と判定してしまう。けれど密集した本の香りはどこにあっても同じだから、このライブラリーは落ち着くのだ。
持参した「ブラッシングセット」から、新聞紙を取り出して、少しずつ重ねてソファの前に敷く。すると、それを見たルードが大喜びで飛んでくるものだから、ブラッシングを始める前に、エリオットは散らかった新聞紙を元通りに直さないといけなかった。
「爪はどうかなー?」
どっしりした前足を持ち上げ、まずは爪の伸び具合をチェック。屋敷の中を好きに歩かせているため、じゅうたんやラグに引っかかって怪我をしないよう、爪には特に気を遣っている。きょうはまだ切らなくてもよさそうだ。
エリオットはタオルでルードの口と顎、それから喉のあたりのよだれを拭くと、ブラシを手に取った。ソファに座り、足のあいだにルードを呼ぶ。彼も慣れたもので、散髪する客のようにエリオットに背中を向けてお座りした。
いつも始めは背中から。その態勢のまま抱え込み、腕を回して胸から腹をブラッシングするので、最後は仰向けになって羊の毛刈り状態になる。何度か違う方法も試してみたけれど、どういうわけかルードはこの姿勢がお気に入りなのだ。
たくましい体を撫でながら、毛並みに沿ってブラシを泳がせる。ピレニアン・マウンテンドッグは、シェルターのスタッフがいっていた通り抜け毛が多いので、ほんの数分でブラシと新聞紙が毛だらけになった。まさに毛刈りだ。
よほど気持ちがいいのか、ルードが湯船に浸かったオッサンみたいな表情でうっとりしているから、なかなか大変な作業なのにどうにも笑いが止まらなくなってしまう。
この顔は写真に収めなければ、とスマートフォンを探したエリオットは、テーブルに投げ出したそれがムームーと震えていることに気付いた。
しまった。王宮へ行くとき音を消したままだった。
滑りにくいシリコン製のカバーに包まれたスマートフォンを掴み取り、画面に表示された名前を見る。
「──もしもし」
『やあ、グランディディエ』
「絶交は終わり?」
ちょっと頭をかくように、ナサニエルが『まいったな』と呟くのが聞こえた。
『きみはぼくのことを、自分勝手で最低なクソ野郎だと思ってるだろうね』
「そこまでは思ってない」
『いいさ、事実だ。散々きみに偉そうな忠告をしたくせに、ぼくはちっぽけなプライドで、きみが差し出そうとした手をはねつけた』
「まぁ、ニールらしくはなかったな」
『弁解させてもらえるなら、ぼくは自分の境遇をだれかに哀れまれたくなかったし、きみが取った強引な方法にも、本当を言えば少し腹が立ってた』
「分かってる。おれは自分の立場を利用したんだ」
『ぼくだって、きみと同じ状況ならそうしたさ。そうじゃなくて、電話したのは……謝りたかったんだ。きみにとって大事なときに、心無いことをした。すまない』
エリオットは四秒かけて息を吸い、また四秒かけて吐き出した。『ネイビーシールズ』で見た、気持ちを落ち着かせるための呼吸法だ。いや、あれはさらに間で四秒止めるんだったか。まぁいい。
なにを言えばいいんだろう。「気にするな」とか「お互いさまだ」とか? でもエリオットは、許しを与える側じゃない。
いい言葉を思いつけずに黙っていると、ブラッシングの途中で放置されたルードが体をひねり、ブラシを持った右手にかぷりと噛みついた。
「いてて」
ごめんごめん、と再び手を動かす。
「──いまおれがなにしてるかっていうとさ」
『うん?』
「ルードのブラッシングをしてる。百年単位で開かれてないような本が、天井まである棚にみっちり詰まったライブラリーでさ。知ってる? ラスもバッシュも表紙が革でできてる聖遺物みたいな本を普通に読むんだよ。しかもラテン語で。信じられないよ。読み書きなんてフランス語とスペイン語くらいで充分じゃん。そう思わない?」
『きみが正しい。ところで、この話はどこへ向かってるのかな』
「いいから聞いて。ランチはひとりだった。最高のベッドタイムを過ごしたはずの奴が、起き抜けに紅茶を運んで来たと思ったら、さっさと仕事に行っちゃったから」
『わお』
「バッシュがいったんだ。おれもニールも傷ついて、それぞれのやり方で自分を守ってきたんだって。おれたちは、それを恥ずかしいと思わなくたっていいんだよ」
スマートフォンごしに、短く息を吸う音が聞こえた。
受け売りだから、心に訴えるには力がないかもしれないが、エリオットは続ける。
「ローウェル夫人みたいな友達が多いのは、ニールが都合よく資産やセックスを差し出すからじゃない。おれにしてくれるみたいに、相手をちゃんと愛してるからだ。ニールはちゃんと、ひとりの人間として必要とされてる」
『家族に愛されてないのを考えると、ずいぶんな皮肉だね』
「ニールを望まないひとがいるなんて信じられないけど、おれはニールが好きだよ。愛してる。──友達に愛してるって表現はおかしいかな」
おかしくないよ、愛しい人。と耳元でナサニエルが答えた。
「だからさ、いいんだ」
エリオットに腹を立てたことも、冷たくあしらったことも。そうして謝罪の電話をくれたことも全部。ふたりがこれからも友達でいられるなら、それでいい。
「また、お茶に誘ってくれる?」
『もちろんだよ』
ナサニエルは力強く請け負った。
『きみには「最高のベッドタイム」について、あれこれ聞かなきゃならないみたいだしね』
ランチを食べるあいだじゅう、熱い視線を送って来たルードには、無添加のササミジャーキーを数本、おやつに与える。
そのあとは、まだ機敏にルードの相手をしてやれるほどは回復していなかった──腰とか股関節とかが──から、ライブラリーにこもることにした。途中、廊下で行き会ったクレイヴに、散歩のお礼と、『お客さま』が来たら通すようにいっておく。外務省の役人をタコ殴りにしてバッシュが戻って来る頃には、多少は回復してるだろう。
紙とインクの匂いを吸い込んで、ほうと息をつく。嗅覚はフラットを懐かしんでいるのか、エリオットの鼻はまだカルバートンのあちこちを、慣れない屋敷に入ったときの「他人の家の匂い」と判定してしまう。けれど密集した本の香りはどこにあっても同じだから、このライブラリーは落ち着くのだ。
持参した「ブラッシングセット」から、新聞紙を取り出して、少しずつ重ねてソファの前に敷く。すると、それを見たルードが大喜びで飛んでくるものだから、ブラッシングを始める前に、エリオットは散らかった新聞紙を元通りに直さないといけなかった。
「爪はどうかなー?」
どっしりした前足を持ち上げ、まずは爪の伸び具合をチェック。屋敷の中を好きに歩かせているため、じゅうたんやラグに引っかかって怪我をしないよう、爪には特に気を遣っている。きょうはまだ切らなくてもよさそうだ。
エリオットはタオルでルードの口と顎、それから喉のあたりのよだれを拭くと、ブラシを手に取った。ソファに座り、足のあいだにルードを呼ぶ。彼も慣れたもので、散髪する客のようにエリオットに背中を向けてお座りした。
いつも始めは背中から。その態勢のまま抱え込み、腕を回して胸から腹をブラッシングするので、最後は仰向けになって羊の毛刈り状態になる。何度か違う方法も試してみたけれど、どういうわけかルードはこの姿勢がお気に入りなのだ。
たくましい体を撫でながら、毛並みに沿ってブラシを泳がせる。ピレニアン・マウンテンドッグは、シェルターのスタッフがいっていた通り抜け毛が多いので、ほんの数分でブラシと新聞紙が毛だらけになった。まさに毛刈りだ。
よほど気持ちがいいのか、ルードが湯船に浸かったオッサンみたいな表情でうっとりしているから、なかなか大変な作業なのにどうにも笑いが止まらなくなってしまう。
この顔は写真に収めなければ、とスマートフォンを探したエリオットは、テーブルに投げ出したそれがムームーと震えていることに気付いた。
しまった。王宮へ行くとき音を消したままだった。
滑りにくいシリコン製のカバーに包まれたスマートフォンを掴み取り、画面に表示された名前を見る。
「──もしもし」
『やあ、グランディディエ』
「絶交は終わり?」
ちょっと頭をかくように、ナサニエルが『まいったな』と呟くのが聞こえた。
『きみはぼくのことを、自分勝手で最低なクソ野郎だと思ってるだろうね』
「そこまでは思ってない」
『いいさ、事実だ。散々きみに偉そうな忠告をしたくせに、ぼくはちっぽけなプライドで、きみが差し出そうとした手をはねつけた』
「まぁ、ニールらしくはなかったな」
『弁解させてもらえるなら、ぼくは自分の境遇をだれかに哀れまれたくなかったし、きみが取った強引な方法にも、本当を言えば少し腹が立ってた』
「分かってる。おれは自分の立場を利用したんだ」
『ぼくだって、きみと同じ状況ならそうしたさ。そうじゃなくて、電話したのは……謝りたかったんだ。きみにとって大事なときに、心無いことをした。すまない』
エリオットは四秒かけて息を吸い、また四秒かけて吐き出した。『ネイビーシールズ』で見た、気持ちを落ち着かせるための呼吸法だ。いや、あれはさらに間で四秒止めるんだったか。まぁいい。
なにを言えばいいんだろう。「気にするな」とか「お互いさまだ」とか? でもエリオットは、許しを与える側じゃない。
いい言葉を思いつけずに黙っていると、ブラッシングの途中で放置されたルードが体をひねり、ブラシを持った右手にかぷりと噛みついた。
「いてて」
ごめんごめん、と再び手を動かす。
「──いまおれがなにしてるかっていうとさ」
『うん?』
「ルードのブラッシングをしてる。百年単位で開かれてないような本が、天井まである棚にみっちり詰まったライブラリーでさ。知ってる? ラスもバッシュも表紙が革でできてる聖遺物みたいな本を普通に読むんだよ。しかもラテン語で。信じられないよ。読み書きなんてフランス語とスペイン語くらいで充分じゃん。そう思わない?」
『きみが正しい。ところで、この話はどこへ向かってるのかな』
「いいから聞いて。ランチはひとりだった。最高のベッドタイムを過ごしたはずの奴が、起き抜けに紅茶を運んで来たと思ったら、さっさと仕事に行っちゃったから」
『わお』
「バッシュがいったんだ。おれもニールも傷ついて、それぞれのやり方で自分を守ってきたんだって。おれたちは、それを恥ずかしいと思わなくたっていいんだよ」
スマートフォンごしに、短く息を吸う音が聞こえた。
受け売りだから、心に訴えるには力がないかもしれないが、エリオットは続ける。
「ローウェル夫人みたいな友達が多いのは、ニールが都合よく資産やセックスを差し出すからじゃない。おれにしてくれるみたいに、相手をちゃんと愛してるからだ。ニールはちゃんと、ひとりの人間として必要とされてる」
『家族に愛されてないのを考えると、ずいぶんな皮肉だね』
「ニールを望まないひとがいるなんて信じられないけど、おれはニールが好きだよ。愛してる。──友達に愛してるって表現はおかしいかな」
おかしくないよ、愛しい人。と耳元でナサニエルが答えた。
「だからさ、いいんだ」
エリオットに腹を立てたことも、冷たくあしらったことも。そうして謝罪の電話をくれたことも全部。ふたりがこれからも友達でいられるなら、それでいい。
「また、お茶に誘ってくれる?」
『もちろんだよ』
ナサニエルは力強く請け負った。
『きみには「最高のベッドタイム」について、あれこれ聞かなきゃならないみたいだしね』
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