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訳あり王子と秘密の恋人 第二部 第三章
13.描く夢
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それほど長く眠ってはいなかったらしい。
目を覚ましたとき、窓からの光はまだ穏やかな昼間の温かさがあり、チェストの時計は午後二時半を指していた。清潔なシーツとふわふわの羽毛布団に包まれているのはエリオットひとりで、バッシュの姿はどこにもない。
腰に残る疼痛と、あらぬところのしびれに充足感を覚えながら、エリオットはあたりを見回した。部屋は、バッシュのためのゲストルームで間違いない。忍び込んだときのまま、水差しとグラスが残っている。ただ、側にかかっていたバスタオルがなくなっていた。エリオットが眠ってしまった後、諸々と一緒に運び出したのだろう。
なんだか凄いことをやり遂げたように得意な気持ちになる一方で、こんな簡単なことがどうしていままでできなかったのかと、不思議でもあった。
エリオットはゆっくり息を吐き出す。
もうひと眠りしようかと目を閉じたところに、隣室から物音が聞こえて慌てて起き上がった。
侍従のだれかだったらさすがに気まずい、と思ったが、押し開けられた扉から入って来たのはルードだった。その後ろから、ソーサーにのったティーカップと、着替えを手にしたバッシュが現れる。
髪をワックスで固め、ワイシャツにベスト、ネクタイを締めたかっこうは仕事用のものだ。数時間前まで見せていた、獲物を狩る烈しさはなりを潜め、エリオットを見る瞳は穏和だった。
「気分は?」
前足をマットレスにかけて子犬みたいにピーピー鳴くルードの顔を撫でまわし、エリオットはため息をついた。
「股関節が痛い」
「セックスで筋肉痛か? さすがにどうかと思うぞ」
「次はちゃんと準備運動から入る」
「どんな前戯だ」
バッシュは着替えをベッドに下ろしてエリオットの額にキスをすると、ティーカップを手渡した。ほのかなスミレの香りがする紅茶に、氷がふたつ浮かんでいる。侍従やメイドがいれる紅茶に氷を注文したことはないから、これはバッシュが用意してくれたものだと分かった。
上掛けにくるまったまま完ぺきなお茶を一口飲んで、エリオットがクスリと笑う。バッシュは「なんだよ」と眉を上げた。
「前さ。アニーに叩き起こされたときに思ったんだよ。『紅茶を運んできてくれとは言わないけど、もっとロマンチックに起こしてくれたっていいのに』って」
「夢が叶ってなによりだ」
ルードを避けてベッドの端に座ったバッシュは、手を伸ばしてエリオットの髪に触れた。
「ほかには?」
「ほか?」
「お前の夢」
「んー……」
エリオットはカップを揺らし、琥珀色の海に沈む底の柄を見つめた。
「ここよりもっと田舎の、だれもおれのこと知らないところに住む」
「フォスターの屋敷みたいな?」
「うん。でも、もっと小さい家がいい。自分の部屋に行くのに、玄関から長々と歩かなくていいくらいの」
「なるほど」
「でも、庭は大きいのがいいな。あと、管理は難しいけど、デファイリア・グレイの花畑を作るのも、おもしろそう。バラ園とかグラス系の庭とか、あっちこっち手入れしてるうちに一日が終わるんだ。雨の日は家の中で映画を見て、ルードとごろごろする」
「その夢、おれが出てこないのは気のせいか?」
「あんたはどうせ仕事が忙しくて、そんなのに付き合ってくれないだろ」
エリオットはサイドチェストにティーカップを置き、指先で細かいドットのネクタイをつつく。
「仕方ないから、たまにパンケーキ焼いてくれたら許す」
「ソーセージとスクランブルエッグのパンケーキプレートだな。飽きるくらい焼いてやるよ」
いや、できればちょっとレパートリー増やしてくれると嬉しいんだけど。
手を握ってキスをしたバッシュは、ルードをひと撫でしてから腰を上げた。
「悪いな、連休のはずだったんだが」
「なんかあったの?」
丸首のTシャツを手に取りながら尋ねると、バッシュはうんざりした顔になる。
「珍しく外務省がやらかしたんだ。スケジュールの組み立てミスで、来週の会談の予定がブッキングしているらしい」
「だれが来るんだっけ?」
「ドイツの環境相とアメリカの大使」
「うわ、微妙」
経済的に頭の上がらないご近所さんか、観光客を送り込んでくれる大国か。
「それ、両方ともあんたの担当なの?」
「いや。アメリカがおれで、ドイツがフレッド。どちらを翌日にするかで、これから殴り合いだ」
「あんたとフレッドが?」
「外務担当者対、おれとフレッド。もしかしたらうちの筆頭と侍従長も参戦するかもな」
侍従サイド、ガチギレじゃねーか。
「できる限り早く終わらせて、すぐ戻る」
「ん、行ってらっしゃい」
「ルードといい子にしてろ」
去りぎわ、バッシュは戸口で足を止め、こちらに向き直った。わずかな逡巡ののちに、まっすぐエリオットを見据える。
「どうかした?」
「ドクター・レスに電話をした」
「パットに? なんで?」
パトリシア・レスはエリオットの主治医だ。ヘインズ家と付き合いのある医者一族で、専門は心療内科医。子どものころからエリオットを診ていて、カルバートンに越してすぐ風邪をひいたときにも、片道四時間かけて往診に来てくれた。バッシュとはそのときに知り合ったらしい。
「念のためだ」
バッシュの目は真剣だった。ずいぶん大人しいエリオットのトラウマが、いつ顔を出すかもしれないと心配して、打てる手を打ってきたのだ。
どこまでも世話焼きなんだから。
「……分かった」
目を覚ましたとき、窓からの光はまだ穏やかな昼間の温かさがあり、チェストの時計は午後二時半を指していた。清潔なシーツとふわふわの羽毛布団に包まれているのはエリオットひとりで、バッシュの姿はどこにもない。
腰に残る疼痛と、あらぬところのしびれに充足感を覚えながら、エリオットはあたりを見回した。部屋は、バッシュのためのゲストルームで間違いない。忍び込んだときのまま、水差しとグラスが残っている。ただ、側にかかっていたバスタオルがなくなっていた。エリオットが眠ってしまった後、諸々と一緒に運び出したのだろう。
なんだか凄いことをやり遂げたように得意な気持ちになる一方で、こんな簡単なことがどうしていままでできなかったのかと、不思議でもあった。
エリオットはゆっくり息を吐き出す。
もうひと眠りしようかと目を閉じたところに、隣室から物音が聞こえて慌てて起き上がった。
侍従のだれかだったらさすがに気まずい、と思ったが、押し開けられた扉から入って来たのはルードだった。その後ろから、ソーサーにのったティーカップと、着替えを手にしたバッシュが現れる。
髪をワックスで固め、ワイシャツにベスト、ネクタイを締めたかっこうは仕事用のものだ。数時間前まで見せていた、獲物を狩る烈しさはなりを潜め、エリオットを見る瞳は穏和だった。
「気分は?」
前足をマットレスにかけて子犬みたいにピーピー鳴くルードの顔を撫でまわし、エリオットはため息をついた。
「股関節が痛い」
「セックスで筋肉痛か? さすがにどうかと思うぞ」
「次はちゃんと準備運動から入る」
「どんな前戯だ」
バッシュは着替えをベッドに下ろしてエリオットの額にキスをすると、ティーカップを手渡した。ほのかなスミレの香りがする紅茶に、氷がふたつ浮かんでいる。侍従やメイドがいれる紅茶に氷を注文したことはないから、これはバッシュが用意してくれたものだと分かった。
上掛けにくるまったまま完ぺきなお茶を一口飲んで、エリオットがクスリと笑う。バッシュは「なんだよ」と眉を上げた。
「前さ。アニーに叩き起こされたときに思ったんだよ。『紅茶を運んできてくれとは言わないけど、もっとロマンチックに起こしてくれたっていいのに』って」
「夢が叶ってなによりだ」
ルードを避けてベッドの端に座ったバッシュは、手を伸ばしてエリオットの髪に触れた。
「ほかには?」
「ほか?」
「お前の夢」
「んー……」
エリオットはカップを揺らし、琥珀色の海に沈む底の柄を見つめた。
「ここよりもっと田舎の、だれもおれのこと知らないところに住む」
「フォスターの屋敷みたいな?」
「うん。でも、もっと小さい家がいい。自分の部屋に行くのに、玄関から長々と歩かなくていいくらいの」
「なるほど」
「でも、庭は大きいのがいいな。あと、管理は難しいけど、デファイリア・グレイの花畑を作るのも、おもしろそう。バラ園とかグラス系の庭とか、あっちこっち手入れしてるうちに一日が終わるんだ。雨の日は家の中で映画を見て、ルードとごろごろする」
「その夢、おれが出てこないのは気のせいか?」
「あんたはどうせ仕事が忙しくて、そんなのに付き合ってくれないだろ」
エリオットはサイドチェストにティーカップを置き、指先で細かいドットのネクタイをつつく。
「仕方ないから、たまにパンケーキ焼いてくれたら許す」
「ソーセージとスクランブルエッグのパンケーキプレートだな。飽きるくらい焼いてやるよ」
いや、できればちょっとレパートリー増やしてくれると嬉しいんだけど。
手を握ってキスをしたバッシュは、ルードをひと撫でしてから腰を上げた。
「悪いな、連休のはずだったんだが」
「なんかあったの?」
丸首のTシャツを手に取りながら尋ねると、バッシュはうんざりした顔になる。
「珍しく外務省がやらかしたんだ。スケジュールの組み立てミスで、来週の会談の予定がブッキングしているらしい」
「だれが来るんだっけ?」
「ドイツの環境相とアメリカの大使」
「うわ、微妙」
経済的に頭の上がらないご近所さんか、観光客を送り込んでくれる大国か。
「それ、両方ともあんたの担当なの?」
「いや。アメリカがおれで、ドイツがフレッド。どちらを翌日にするかで、これから殴り合いだ」
「あんたとフレッドが?」
「外務担当者対、おれとフレッド。もしかしたらうちの筆頭と侍従長も参戦するかもな」
侍従サイド、ガチギレじゃねーか。
「できる限り早く終わらせて、すぐ戻る」
「ん、行ってらっしゃい」
「ルードといい子にしてろ」
去りぎわ、バッシュは戸口で足を止め、こちらに向き直った。わずかな逡巡ののちに、まっすぐエリオットを見据える。
「どうかした?」
「ドクター・レスに電話をした」
「パットに? なんで?」
パトリシア・レスはエリオットの主治医だ。ヘインズ家と付き合いのある医者一族で、専門は心療内科医。子どものころからエリオットを診ていて、カルバートンに越してすぐ風邪をひいたときにも、片道四時間かけて往診に来てくれた。バッシュとはそのときに知り合ったらしい。
「念のためだ」
バッシュの目は真剣だった。ずいぶん大人しいエリオットのトラウマが、いつ顔を出すかもしれないと心配して、打てる手を打ってきたのだ。
どこまでも世話焼きなんだから。
「……分かった」
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