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訳あり王子と秘密の恋人 第二部 第三章
9.オルブライト公爵
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ようやく生後一週間の小鹿くらいには回復し、さて帰るかと広間から出たエリオットを、意外な人物が待っていた。
「どうも、殿下」
「オルブライト公」
ジャケットのボタンを外したオルブライト公爵は、映画で二枚目俳優がするように腕を組み、背中と片足の裏を壁にもたせかけて立っていた。臙脂とグレーが斜めのストライプになっているネクタイを、細い銀のピンで留めている。
「アンドルーです。年も近いことですし、貴族会でくらいはアンディと呼んでください。あなたのことは、なんとお呼びすれば?」
ヘインズ公爵エリオット王子殿下。
「……エリオットと」
「よろしく、エリオット」
握手のために片手を差し出されて、エリオットは大きく後ずさった。すかさずイェオリが間に入る。
「すみません、握手が苦手で」
「あぁ、分かるよ。きみたちも大変だよね。行く先々で数えきれないひとと握手をするんだから」
空の手を握って、アンドルーは頭を揺らすように頷いた。
「気休めかもしれないけど、消毒用のアルコールを持ち歩くといい。風邪の予防にもなる」
「取り入れてみます」
潔癖症だと思ってくれたらしいアンドルーに、エリオットは慎重に頷いた。なにせ、彼がわざわざ自分を待ち伏せする理由が分からない。
「率直な話をしても?」
「えぇ、どうぞ」
頭を押さえつける「大人たち」がいないからか、ほどよくリラックスした様子のアンドルーは、やはり日和見主義の気弱な御曹司ではなかった。
「うちの身内が、次々と迷惑をかけているらしい」
両手をスラックスのポケットに入れて「申し訳ないね」というアンドルーに、エリオットは怪訝な表情を隠せなかった。
ひとりはフォスター女伯爵として、「次々」?
ここ最近で迷惑を被っているといえば──。
「……あ、マクミラン?」
正解、とアンドルーがウィンクする。
「あそこも、オルブライトから分かれた家系だ。そのツテで、侯爵夫妻から息子との結婚について、バジェット公を説得するよう頼まれた。断ったけど」
「断ったんですか」
「ぼくにメリットがない。大正解だったよ。ろくな根回しもなく、あの場でカニングハム公爵に完勝するような人物を、敵に回したくない」
「完勝だなんて。結局、『なにも起きなかった』んですよ」
エリオットは適当にかわそうとしたが、アンドルーはまだこの話を続けたいらしい。
「カニングハム公爵から、それを引き出したのはきみだ。彼はきみが本当に御しやすい王子さまだったら、あのまま委員長として座らせておいただろうから」
ぼくのようにね、とアンドルーがおどけるように笑った。でも彼にとっては、侮られているほうが「メリットがある」のだろう。
「結果的に彼は、きみをさっさと委員長の椅子から追い出したほうが、安全だと判断したようだけど」
「公爵にとって、わたしが慣習上、貴族会での決定権を持たないというのは幸運なんでしょうね」
「それでも、きみが彼にとって障壁なのは間違いない。でもまぁ、彼は井の中の蛙だ」
「……貴族として生きてきた方ですね」
「世界はここだけじゃないだろう? 本当にこの国に貢献したければ、議員に立候補して政治家にでもなればいい。貴族会での政治なんてしょせん、勝ち負けの決まったごっこ遊びなんだから」
その証拠に、数年に渡って貴族会を仕切って来たカニングハム公爵は、王室とヘインズの二枚看板を掲げたエリオットに勝てなかった。アンドルーとしては、いつも大きな顔をしている相手が、自分より年下の王子にやりこめられるのは、さぞ気分がよかっただろう。
エリオットは、ゆっくりと口を開いた。
「貴族は建前と体面をなにより大事にすると、わたしの知り合いがいっていました。くだらないけど、その通りだなと思っています」
「きみとは仲良くなれそうだ」
満足そうに笑ったアンドルーが、再び手を差し出そうとして、「おっと」と左右に振る。そのまま、廊下の先を示した。
「では、ヘインズ公。またいずれ」
「えぇ」
会釈するアンドルーを残し、エリオットはベイカーとイェオリに挟まれるようにその場を離れた。
「メリットか……」
「なにか?」
前を歩いていたベイカーが、エリオットのひとりごとを拾う。
「いや。フォスター女伯爵のことも、メリットがないから見捨てたんだろうなと思って」
今回はフォスター伯爵がナサニエルの身内であり、エリオットへの言いわけとして使われたから介入しただけで、まったく関係のない人物だったなら対応は違っていたと思う。
それでもエリオットは、公の場で年長者に敬意を払うべきという建前と、陰口を楽しまないだけの体面は保っていたい。
ナサニエルが聞いたら、また高潔で愚かだと呆れられるだろうけど。でも彼はそれを、「きみらしいね」と笑ってくれるはずだ。
「どうも、殿下」
「オルブライト公」
ジャケットのボタンを外したオルブライト公爵は、映画で二枚目俳優がするように腕を組み、背中と片足の裏を壁にもたせかけて立っていた。臙脂とグレーが斜めのストライプになっているネクタイを、細い銀のピンで留めている。
「アンドルーです。年も近いことですし、貴族会でくらいはアンディと呼んでください。あなたのことは、なんとお呼びすれば?」
ヘインズ公爵エリオット王子殿下。
「……エリオットと」
「よろしく、エリオット」
握手のために片手を差し出されて、エリオットは大きく後ずさった。すかさずイェオリが間に入る。
「すみません、握手が苦手で」
「あぁ、分かるよ。きみたちも大変だよね。行く先々で数えきれないひとと握手をするんだから」
空の手を握って、アンドルーは頭を揺らすように頷いた。
「気休めかもしれないけど、消毒用のアルコールを持ち歩くといい。風邪の予防にもなる」
「取り入れてみます」
潔癖症だと思ってくれたらしいアンドルーに、エリオットは慎重に頷いた。なにせ、彼がわざわざ自分を待ち伏せする理由が分からない。
「率直な話をしても?」
「えぇ、どうぞ」
頭を押さえつける「大人たち」がいないからか、ほどよくリラックスした様子のアンドルーは、やはり日和見主義の気弱な御曹司ではなかった。
「うちの身内が、次々と迷惑をかけているらしい」
両手をスラックスのポケットに入れて「申し訳ないね」というアンドルーに、エリオットは怪訝な表情を隠せなかった。
ひとりはフォスター女伯爵として、「次々」?
ここ最近で迷惑を被っているといえば──。
「……あ、マクミラン?」
正解、とアンドルーがウィンクする。
「あそこも、オルブライトから分かれた家系だ。そのツテで、侯爵夫妻から息子との結婚について、バジェット公を説得するよう頼まれた。断ったけど」
「断ったんですか」
「ぼくにメリットがない。大正解だったよ。ろくな根回しもなく、あの場でカニングハム公爵に完勝するような人物を、敵に回したくない」
「完勝だなんて。結局、『なにも起きなかった』んですよ」
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「カニングハム公爵から、それを引き出したのはきみだ。彼はきみが本当に御しやすい王子さまだったら、あのまま委員長として座らせておいただろうから」
ぼくのようにね、とアンドルーがおどけるように笑った。でも彼にとっては、侮られているほうが「メリットがある」のだろう。
「結果的に彼は、きみをさっさと委員長の椅子から追い出したほうが、安全だと判断したようだけど」
「公爵にとって、わたしが慣習上、貴族会での決定権を持たないというのは幸運なんでしょうね」
「それでも、きみが彼にとって障壁なのは間違いない。でもまぁ、彼は井の中の蛙だ」
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