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訳あり王子と秘密の恋人 第二部 第三章

3.予行演習

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「『ヘインズ公、このたびはこちらの不手際により迷惑をかけたことを、心からお詫びする』」
「三年ものあいだ、重大な状況に至らなかったのは、あなた方の日々の努力の結果でしょう。感謝しています」
「『三年も』というのは、少々当てこすりに聞こえるかと」
「当てこすってるんだよ」

 きょうの運転手であるイェオリがくすっと笑い、ベイカーに窘められる。

 セダンの広い後部座席を占領しているエリオットは、抱えた膝にこつこつ顎を当てながら、ベイカーが満足する穏便な回答に修正した。

「委員長不在のあいだも、重大な状況に至らなかったのは、あなた方の日々の努力の結果です」
「そちらの表現がよろしいでしょう。では次に、『今後、委員長として留任されるお考えは?』」
「それ聞かれる? 辞めてほしいばっかりだろ」
「もちろんそうでしょうが、彼らもエリオットさまの意志を尊重する振りくらいはするでしょう」
「……経験の浅い身で、委員長の大役は荷が勝ちすぎるかと。それにわたしは立場上、貴族会の意思決定を左右する要職からは距離を置くべきと考えます」
「けっこうです」

 王宮に向かう車内で行っているのは、これから出席する執行部会で想定される掛け合いについて、エリオットがするべき模範的な回答の確認作業だ。レクチャーは何度も受けているが、つい嫌味っぽい受け答えをしてしまうのをセーブするのが、なかなかに難しい。

「でもこれだと、あとはフォスター女伯爵を煮るなり焼くなり、好きにしろっていってるみたいじゃない?」
「女伯爵については、こちらから話題を振らない方がよいでしょう。エリオットさまが『どうするのか』と問えば『では処分を』という流れになりかねません」
「おれが主導したみたいになるってこと?」
「はい。先方からなにがしかのアクションがあった場合、殿下は処分を望まなかったと示すていどのご発言は、なさって構いません」

 頑張ろうとは思うし、バッシュはエリオットの存在自体が貴族たちにとっての「予定外」だといったけれど、テーブルにつくだけで物事が解決するほど万能でないことは自分が一番知っている。
 なによりエリオットにも、探られると痛い腹がある。

 車は首都の真ん中を流れるレミング川を渡り、旧市街に入る。王室仕様の濃いスモークガラスから見える景色も、奇抜なデザイナーズマンションや労働者向けの規格化されたアパートが、タイムスリップしたように黄色いレンガ造りのブティックやオフィスへ変わる。尻に伝わる振動がざらざらしたものになって、道路がアスファルトから石畳に切り替わったことが分かった。

 エリオットは少し首を回し、座席とタブレットに挟まれた、薄いマニラフォルダに目をやった。刑事ものや法廷もののドラマでよく出て来る、二つ折りになったクリーム色のフォルダだ。表に印刷された王立公文書館の刻印と、その下に大きく「重要書類」と赤でタイプされているのが、ますます小道具っぽい。「機密」とかだったら完ぺきだった。

 それを抜き取ると、エリオットは仮想の「カニングハム公爵」になってベイカーを質す。

「『しかしヘインズ公、あなたは公爵という責任ある立場にありながら、貴族会に一度として参加していない。その理由について説明すべきとは、一度もお考えにならなかったのですか』」

 立場を変えて再び始まったロールプレイングに、助手席のベイカーは表情ひとつ動かさずに即答する。

「『わたしの療養については、すでに王宮から正式な発表がなされており、重ねての説明は不要と認識しています』」
「強気だな」
「当時の手続きに不備はございませんし、ご自身の病状について、エリオットさまが彼らに説明する必要はございません」
「その辺の役に立つかもって、バッシュが持って来たんだけどさ」

 バッシュがブリーフケースを持ったままだったのは、急いでいたのもあるだろうが、このフォルダが入っていたからだった。エリオットが引きこもっていたことに言及された場合の保険だといっていたから、自分に関する「なにか」なのは分かるが、ベイカー宛だったから中身は見ていない。

「出がけに侍従長に捕まって預かった、急ぎの資料だって」

 手渡せない代わりに、じゅうたんのようなフロアマットへ滑らせたフォルダを受け取って、ベイカーは中身を確かめる。

「えぇ、わたくしが申請したものに間違いありません。時間がありませんでしたので、間に合わないと諦めておりました」
「重要って書いてあるけど」
「上級職員であれば公文書館で閲覧することは可能な書類ですが、写しを取るとなると、やや複雑な手続きが必要になるものです。エリオットさまの個人情報は現在、マスコミ対策でセキュリティレベルが上がっておりますので、特に」
「それ、ここに持ってて問題になったりしない?」
「本日に間に合うよう、侍従長が文書館の担当者を急かしたかもしれませんが、手続き自体は正規のルートですのでご心配なく。資料提供の申請については、後の監査でも使途を確認されるくらいでしょう。もちろん、届けただけのバッシュは対象ではございませんので──」
「あ!」

 突然声を上げてベイカーの言葉を遮ったイェオリは、「殿下の前で大声を出すとは何事か」という筆頭侍従の視線にも気付かないほど興奮した様子でハンドルを叩いた。そして赤信号で停車するなり、片手でシートベルトを緩め、体ごとエリオットを振り返る。

「エリオットさま、それです」

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