箱庭の子ども〜世話焼き侍従と訳あり王子〜

真木もぐ

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訳あり王子と秘密の恋人 第二部 第三章

2.ヒーローは遅れてやってくる

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 小さな箱に閉じ込められているような気分だった。その場に座る以外に身動きができず、ゆっくりと迫る酸欠の恐怖におびえている。腹式呼吸を意識しないと、すぐにでも息が上ずりそうだ。

 肘掛け椅子に座ったエリオットは、前かがみになって両手をこすり合わせた。小指にはめた金の印章指輪が、さらに気分を重くしている。祖父から譲り受けたヘインズ家の紋章入りで、身につけたのは初めてだ。いまのエリオットには、お守りよりも囚人につけられた鉄球のように感じられる。
 せめてルードにしがみついて気を紛らわせたいのに、おろしたてのスーツに毛がつくからと非情にも隔離されてしまった。

「エリオットさま」

 そっと声をかけられ、エリオットはビクッと身を引いた。
 いつもと同じ手の届かない距離で、イェオリがじゅうたんに膝をついている。彼の腕時計が九時を指せば、宮殿へ出発だ。
 時間が迫るにつれ、落ち着きがなくなって行くエリオットを見かねたらしい。

「少しネクタイを緩めましょう。まだ時間はありますから」
「うん……」

 助言の通り結び目を乱暴に引っ張って、首元に隙間を作る。あまり効果はなかったが。

「お水はいかがです?」
「ありがと、もらう」

 イェオリが注いでくれたグラスを取って、ぬるい水を飲んだ。

「旦那さまから、折り返しは?」
「ううん」
「わたしのほうから、連絡をお取りしましょうか」
「いいよ。忙しいんだろうし」

 水差しの横に置かれたスマートフォンは沈黙したまま。バッシュの声が聞きたくて電話をかけたけど、留守電に切り替わって折り返しもない。珍しいことじゃないけど、このタイミングの悪さが不吉に思えた。

 せめて「大丈夫だ」と、ひと言聞けるだけでいいのに。

「エリオット、大丈夫か」

 幻聴かと顔を上げると、たったいま願った声が、バッシュの姿をして戸口に立っていた。

「間に合ったな、よかった」

 自分よりはるかに似合う三つ揃えを着こなしたバッシュは、いつもならだれかに預けて来るブリーフケースを持ったまま大股で部屋に入って来ると、「外してくれ」とイェオリにいった。

 グラスを置いたエリオットはふらふらと立ち上がり、バッシュに歩み寄る。部屋の扉が閉まるのと同時に、ふたりはしっかり抱き合った。
 上等な生地を通して、厚みのある体の温かさと重みが伝わって来る。

 おれの重心。

 ゆっくり息を吸い込めば、かすかに汗のにおいがした。そんな風には見えないが、もしかして走って来たのだろうか。

「仕事は?」
「フレッドとケヴィンに頼み込んで、シフトを代ってもらった。おかげでここ二日で三時間しか寝てないが、まあそれはどうでもいい」

 抱擁をといて、バッシュはエリオットの頬を撫でる。

「お前が、怖気づいてるんじゃないかと思ってな」
「ビビってなんかないし」

 うそだ。

 バッシュが現れるまでは、このまま時間が来なければいいのにと真剣に願っていた。

「不安だろう?」
「……不安だよ」

 必要な資料は集めて準備はしてきたが、注目される中でしゃべらなければならないという、根本的な不安は消えない。
 愛想よく座っていればよかった、マーガレットの読書会とはわけが違うのだ。

 その上、状況は圧倒的に不利。

「貴族たちがなにを一番大事にしてるか、分かるか?」
「……地位と名誉?」
「それもあるが」

 バッシュはブリーフケースを床に下ろし、エリオットが無理やり緩めて形の崩れたネクタイをほどいた。襟を立てて、慣れた手つきで結び直す。

「体面と建前だ。ずかずか踏み込んでくるメディアの会見と違って、貴族の会議は予定調和のお約束。根回しはすべて事前に終わっていて、結論ありきだから荒れることもない」
「今回の結論は、フォスター女伯爵の処分だろ?」
「だろうな」
「……もしそこに、予定外のことがあったら?」
「パニックだ。アクシデントによっては、互いに合意できていたはずの利害関係がひっくり返る。だが、もう水面下で根回しをする時間はない。身動きが取れなくなり、無難な結論でお茶を濁すしかなくなる」
「そうなったらいいと思うよ。でも、その予定外がないんだ」

 相手の思惑は透けて見えるのに、それを崩す方法が分からない。
 女伯爵の受ける打撃を最小限にとどめたいけれど、それを主張できるだけのカードがない以上、現実は自分の身を守るので精一杯だ。

「忘れたか?」

 皮肉げに口元を吊り上げたバッシュが、エリオットの首元に美しい結び目を作り、仕上げとばかりに襟を整える。

「お前の存在自体が、貴族たちにとっては予想外だぞ」
「……珍獣だからな」

 エリオットは小さく肩をすくめた。

「よく似合ってる」
「……自信に満ちて、スマートに見える?」
「あぁ。いますぐベッドに連れて行って脱がせたくなるほどイケてる」
「ブランシェールにボーナス出さなきゃ」

 エリオットは少しだけかかとを浮かせ、もう一度バッシュの肩口に頬を摺り寄せた。

「来てくれてありがとう」
「ここで待ってるから、お前の仕事を頑張ってこい」
「うん」

 エリオットの存在だけで変わることがあるのなら、それがいい方向かは分からないけど。

 頑張る。
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