上 下
211 / 332
訳あり王子と秘密の恋人 第二部 第二章

5.アヒルとバスタイム

しおりを挟む
 フェリシアは、エリオットが仲違いした友人との関係修復をはかっていると理解しているようだった。「うまく行った?」と尋ねられ、「まぁまぁ」としか答えられなかったけれど。
 いっそフォスター家の事情について知っているか聞こうかとも思った。でももし知っていたら、ナサニエルの受けた仕打ちを黙認していたことになる。母はそんなことを許さないひとだが、結局確かめられなかったのは、エリオットが臆病だったからだ。だからカルバートンに逃げ帰り、自分の部屋のバスルームにエリオットはいる。白とグレーがマーブル模様を描く、人工大理石のタイルに据え置かれたホーロー製のバスタブ──金色の猫足つき──に、泡まみれで。

 天井から落ちて来た水滴が鼻先に当たって、エリオットはため息をついた。

 手の中で黄色いアヒルのおもちゃをこねながら膝を延ばし、つるつるしたバスタブの側面に足の裏をつけた。プルメリアの香りがする泡から、つま先だけがのぞく。

 入浴剤の量が多すぎたかもしれない。

 普段シャワーですませることが多いエリオットは、バスタブに湯を張ることもほとんどない。それがきょう、夕食のあとで思い付きのように「風呂入ろうかな」とか呟いたら、洗面所にバスセットが用意されていた。
 タオルや着替えと一緒に、泡風呂用の入浴剤とアヒルのおもちゃがかごに入っていたのは、間違いなくベイカーの仕業だ。子どものころに、おもちゃや泡に気を取られているうちに丸洗いされていたから。
 それでもせっかく用意してくれたのだからと、ちゃんと説明書通りに入浴剤をシャワーで泡立て、スマートフォンの代わりにゴムのアヒルを持ち込んだ。

 まぁ、たまには悪くない。

 ぬるめの湯でのぼせないようにしながらアヒルと戯れていると、ベッドルームに繋がる洗面所のドアがノックされた。

「エリオット?」

 バッシュの声だ。

「ずいぶん長風呂みたいだが、生きてるか?」
「生きてるよ。入れば?」

 少し間があり、洗面所の扉の蝶番が軋む音がした。濡れたタイルを踏む靴音。そして、バスタブを囲むカーテンを取り去りバッシュが現れる。彼は顎まで泡に包まれたエリオットを見下ろし、ひとまず恋人がバスタブの底に沈んでいなかったことにほっとしたあと、「オフィーリアにしては温かそうだな」といった。

「庭に小川を引いてもらおうかな」
「柳の側は避けてくれよ」
「うちの庭に柳はない」
「なら安心だ」

 ワイシャツとスラックス姿のバッシュに、エリオットは尋ねる。

「仕事サボっていいのかよ」
「退勤がてら、こっちに混ざってたお前宛ての書簡を届けに来たんだ。さっきイェオリに渡したから、きょうの仕事は終わりだ」
「それで、おれの世話を焼きにきたってわけ?」
「それはもうライフワークだからな。髪を洗ってやろうか?」

 バッシュは洗面所のラックから厚手のタオルを取って来ると、バスタブの淵にかけてそこに腰を下ろす。片足ずつ膝にのせて脱いだ革靴にグレーの靴下を突っ込み、スラックスのすそをふくらはぎまで上げて折った。

「服が濡れる」
「イェオリに着替えを頼んだから問題ない」
「あっそ」

 エリオットは泡の中に隠していた両手を引き上げる。その手に捕まれていたものを見て、バッシュが両眉を上げた。

「かわいらしいお友達だな」
「ロルフだ。外見に騙されてると後悔するぞ」

 丸々とした黄色いおもちゃのアヒルは、両手でぎゅっとお腹をへこませると、尖ったくちばしから勢いよくお湯を吹きだして、バッシュのシャツを濡らした。

「こら、よせ」

 エリオットの手から取り上げたアヒルを、骨董品を鑑定するようにあちこち眺めてから床に置く。

「年季が入ってるな。あちこち剥げてる」
「それはベイカーが最初にくれたやつ。小さいころ風呂があんまり好きじゃなくて、ご機嫌取りにベイカーがどんどん増やして、バスタブがアヒルだらけだった」

 エリオットはもぞもぞと体の向きを変える。幅が狭いので膝を抱え、バッシュが座っている長手側にもたれてへりから仰向けに頭を出した。天井からぶら下がる飴色のランプを、真下から見上げる。それから、ヒスイカズラ色の瞳も。

「閉じてないと、目にシャンプーが入るぞ」
「見えないのは怖いからやだ」
「そうか。なら開けてろ」

 バッシュは軽く応じて、博物館で見たことのある昔の電話みたいな形のシャワーヘッドを手に取った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

そばにいてほしい。

15
BL
僕の恋人には、幼馴染がいる。 そんな幼馴染が彼はよっぽど大切らしい。 ──だけど、今日だけは僕のそばにいて欲しかった。 幼馴染を優先する攻め×口に出せない受け 安心してください、ハピエンです。

Candle

音和うみ
BL
虐待を受け人に頼って来れなかった子と、それに寄り添おうとする子のお話

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

俺と親父とお仕置きと

ぶんぶんごま
BL
親父×息子のアホエロコメディ 天然な父親と苦労性の息子(特殊な趣味あり) 悪いことをすると高校生になってまで親父に尻を叩かれお仕置きされる そして尻を叩かれお仕置きされてる俺は情けないことにそれで感じてしまうのだ… 親父に尻を叩かれて俺がドMだって知るなんて…そんなの知りたくなかった…!! 親父のバカーーーー!!!! 他サイトにも掲載しています

イケメン王子四兄弟に捕まって、女にされました。

天災
BL
 イケメン王子四兄弟に捕まりました。  僕は、女にされました。

ある少年の体調不良について

雨水林檎
BL
皆に好かれるいつもにこやかな少年新島陽(にいじまはる)と幼馴染で親友の薬師寺優巳(やくしじまさみ)。高校に入学してしばらく陽は風邪をひいたことをきっかけにひどく体調を崩して行く……。 BLもしくはブロマンス小説。 体調不良描写があります。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

不夜島の少年~兵士と高級男娼の七日間~

四葉 翠花
BL
外界から隔離された巨大な高級娼館、不夜島。 ごく平凡な一介の兵士に与えられた褒賞はその島への通行手形だった。そこで毒花のような美しい少年と出会う。 高級男娼である少年に何故か拉致されてしまい、次第に惹かれていくが……。 ※以前ムーンライトノベルズにて掲載していた作品を手直ししたものです(ムーンライトノベルズ削除済み) ■ミゼアスの過去編『きみを待つ』が別にあります(下にリンクがあります)

処理中です...