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訳あり王子と秘密の恋人 第二部 第二章
5.アヒルとバスタイム
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フェリシアは、エリオットが仲違いした友人との関係修復をはかっていると理解しているようだった。「うまく行った?」と尋ねられ、「まぁまぁ」としか答えられなかったけれど。
いっそフォスター家の事情について知っているか聞こうかとも思った。でももし知っていたら、ナサニエルの受けた仕打ちを黙認していたことになる。母はそんなことを許さないひとだが、結局確かめられなかったのは、エリオットが臆病だったからだ。だからカルバートンに逃げ帰り、自分の部屋のバスルームにエリオットはいる。白とグレーがマーブル模様を描く、人工大理石のタイルに据え置かれたホーロー製のバスタブ──金色の猫足つき──に、泡まみれで。
天井から落ちて来た水滴が鼻先に当たって、エリオットはため息をついた。
手の中で黄色いアヒルのおもちゃをこねながら膝を延ばし、つるつるしたバスタブの側面に足の裏をつけた。プルメリアの香りがする泡から、つま先だけがのぞく。
入浴剤の量が多すぎたかもしれない。
普段シャワーですませることが多いエリオットは、バスタブに湯を張ることもほとんどない。それがきょう、夕食のあとで思い付きのように「風呂入ろうかな」とか呟いたら、洗面所にバスセットが用意されていた。
タオルや着替えと一緒に、泡風呂用の入浴剤とアヒルのおもちゃがかごに入っていたのは、間違いなくベイカーの仕業だ。子どものころに、おもちゃや泡に気を取られているうちに丸洗いされていたから。
それでもせっかく用意してくれたのだからと、ちゃんと説明書通りに入浴剤をシャワーで泡立て、スマートフォンの代わりにゴムのアヒルを持ち込んだ。
まぁ、たまには悪くない。
ぬるめの湯でのぼせないようにしながらアヒルと戯れていると、ベッドルームに繋がる洗面所のドアがノックされた。
「エリオット?」
バッシュの声だ。
「ずいぶん長風呂みたいだが、生きてるか?」
「生きてるよ。入れば?」
少し間があり、洗面所の扉の蝶番が軋む音がした。濡れたタイルを踏む靴音。そして、バスタブを囲むカーテンを取り去りバッシュが現れる。彼は顎まで泡に包まれたエリオットを見下ろし、ひとまず恋人がバスタブの底に沈んでいなかったことにほっとしたあと、「オフィーリアにしては温かそうだな」といった。
「庭に小川を引いてもらおうかな」
「柳の側は避けてくれよ」
「うちの庭に柳はない」
「なら安心だ」
ワイシャツとスラックス姿のバッシュに、エリオットは尋ねる。
「仕事サボっていいのかよ」
「退勤がてら、こっちに混ざってたお前宛ての書簡を届けに来たんだ。さっきイェオリに渡したから、きょうの仕事は終わりだ」
「それで、おれの世話を焼きにきたってわけ?」
「それはもうライフワークだからな。髪を洗ってやろうか?」
バッシュは洗面所のラックから厚手のタオルを取って来ると、バスタブの淵にかけてそこに腰を下ろす。片足ずつ膝にのせて脱いだ革靴にグレーの靴下を突っ込み、スラックスのすそをふくらはぎまで上げて折った。
「服が濡れる」
「イェオリに着替えを頼んだから問題ない」
「あっそ」
エリオットは泡の中に隠していた両手を引き上げる。その手に捕まれていたものを見て、バッシュが両眉を上げた。
「かわいらしいお友達だな」
「ロルフだ。外見に騙されてると後悔するぞ」
丸々とした黄色いおもちゃのアヒルは、両手でぎゅっとお腹をへこませると、尖ったくちばしから勢いよくお湯を吹きだして、バッシュのシャツを濡らした。
「こら、よせ」
エリオットの手から取り上げたアヒルを、骨董品を鑑定するようにあちこち眺めてから床に置く。
「年季が入ってるな。あちこち剥げてる」
「それはベイカーが最初にくれたやつ。小さいころ風呂があんまり好きじゃなくて、ご機嫌取りにベイカーがどんどん増やして、バスタブがアヒルだらけだった」
エリオットはもぞもぞと体の向きを変える。幅が狭いので膝を抱え、バッシュが座っている長手側にもたれてへりから仰向けに頭を出した。天井からぶら下がる飴色のランプを、真下から見上げる。それから、ヒスイカズラ色の瞳も。
「閉じてないと、目にシャンプーが入るぞ」
「見えないのは怖いからやだ」
「そうか。なら開けてろ」
バッシュは軽く応じて、博物館で見たことのある昔の電話みたいな形のシャワーヘッドを手に取った。
いっそフォスター家の事情について知っているか聞こうかとも思った。でももし知っていたら、ナサニエルの受けた仕打ちを黙認していたことになる。母はそんなことを許さないひとだが、結局確かめられなかったのは、エリオットが臆病だったからだ。だからカルバートンに逃げ帰り、自分の部屋のバスルームにエリオットはいる。白とグレーがマーブル模様を描く、人工大理石のタイルに据え置かれたホーロー製のバスタブ──金色の猫足つき──に、泡まみれで。
天井から落ちて来た水滴が鼻先に当たって、エリオットはため息をついた。
手の中で黄色いアヒルのおもちゃをこねながら膝を延ばし、つるつるしたバスタブの側面に足の裏をつけた。プルメリアの香りがする泡から、つま先だけがのぞく。
入浴剤の量が多すぎたかもしれない。
普段シャワーですませることが多いエリオットは、バスタブに湯を張ることもほとんどない。それがきょう、夕食のあとで思い付きのように「風呂入ろうかな」とか呟いたら、洗面所にバスセットが用意されていた。
タオルや着替えと一緒に、泡風呂用の入浴剤とアヒルのおもちゃがかごに入っていたのは、間違いなくベイカーの仕業だ。子どものころに、おもちゃや泡に気を取られているうちに丸洗いされていたから。
それでもせっかく用意してくれたのだからと、ちゃんと説明書通りに入浴剤をシャワーで泡立て、スマートフォンの代わりにゴムのアヒルを持ち込んだ。
まぁ、たまには悪くない。
ぬるめの湯でのぼせないようにしながらアヒルと戯れていると、ベッドルームに繋がる洗面所のドアがノックされた。
「エリオット?」
バッシュの声だ。
「ずいぶん長風呂みたいだが、生きてるか?」
「生きてるよ。入れば?」
少し間があり、洗面所の扉の蝶番が軋む音がした。濡れたタイルを踏む靴音。そして、バスタブを囲むカーテンを取り去りバッシュが現れる。彼は顎まで泡に包まれたエリオットを見下ろし、ひとまず恋人がバスタブの底に沈んでいなかったことにほっとしたあと、「オフィーリアにしては温かそうだな」といった。
「庭に小川を引いてもらおうかな」
「柳の側は避けてくれよ」
「うちの庭に柳はない」
「なら安心だ」
ワイシャツとスラックス姿のバッシュに、エリオットは尋ねる。
「仕事サボっていいのかよ」
「退勤がてら、こっちに混ざってたお前宛ての書簡を届けに来たんだ。さっきイェオリに渡したから、きょうの仕事は終わりだ」
「それで、おれの世話を焼きにきたってわけ?」
「それはもうライフワークだからな。髪を洗ってやろうか?」
バッシュは洗面所のラックから厚手のタオルを取って来ると、バスタブの淵にかけてそこに腰を下ろす。片足ずつ膝にのせて脱いだ革靴にグレーの靴下を突っ込み、スラックスのすそをふくらはぎまで上げて折った。
「服が濡れる」
「イェオリに着替えを頼んだから問題ない」
「あっそ」
エリオットは泡の中に隠していた両手を引き上げる。その手に捕まれていたものを見て、バッシュが両眉を上げた。
「かわいらしいお友達だな」
「ロルフだ。外見に騙されてると後悔するぞ」
丸々とした黄色いおもちゃのアヒルは、両手でぎゅっとお腹をへこませると、尖ったくちばしから勢いよくお湯を吹きだして、バッシュのシャツを濡らした。
「こら、よせ」
エリオットの手から取り上げたアヒルを、骨董品を鑑定するようにあちこち眺めてから床に置く。
「年季が入ってるな。あちこち剥げてる」
「それはベイカーが最初にくれたやつ。小さいころ風呂があんまり好きじゃなくて、ご機嫌取りにベイカーがどんどん増やして、バスタブがアヒルだらけだった」
エリオットはもぞもぞと体の向きを変える。幅が狭いので膝を抱え、バッシュが座っている長手側にもたれてへりから仰向けに頭を出した。天井からぶら下がる飴色のランプを、真下から見上げる。それから、ヒスイカズラ色の瞳も。
「閉じてないと、目にシャンプーが入るぞ」
「見えないのは怖いからやだ」
「そうか。なら開けてろ」
バッシュは軽く応じて、博物館で見たことのある昔の電話みたいな形のシャワーヘッドを手に取った。
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