210 / 332
訳あり王子と秘密の恋人 第二部 第二章
4.奪われたもの
しおりを挟む
とぽとぽと水がこぼれる音が、やけに大きくふたりの間に響く。エリオットは亜麻色の髪が縁取る甘いかんばせを穴が開くほど見つめたあと、両手でこめかみをおさえた。
「ごめん、さきに確認だけさせて」
「どうぞ?」
「おれの認識では、フォスター女伯爵はひとり娘だったと思うんだけど?」
「母はあのひとと年子の夢見がちな女性で、売れない画家と駆け落ちした。前伯爵である父親からは勘当同然でね。当時はそこそこの噂になったらしいよ」
「当時って?」
「三十年くらい前」
そりゃ知らねーよ。
「生まれてもないよ、おれたち」
顔を上げると、ナサニエルは宗教画のガブリエルが浮かべるような慈愛とも皮肉ともとれる微笑みを口の端にのせていた。
「苦労知らずで夢見がちな令嬢も、子どもができたことで、やっと現実が見えたのかもね。飛び出した家に戻ってこようとしたらしい。でも残念ながらそのころには、それを歓迎できないひとがいた」
「女伯爵か」
「きみに教授するまでもないけど、現在の貴族法において爵位の継承は長子優先だ。もしぼくを姉の息子として認めたら、女伯爵にとって甥ができてしまう」
自分より優先で爵位を継ぐ甥がね。
「姉がいなくなったせいで、いきなり家を継がなければならなくなって、──それがあったとして──思い描いていた人生設計が崩れてしまった。家格で選んだ夫とは馬が合わない。唯一の支えである息子も、次期伯爵として育てなければいけないから、それだってプレッシャーだ」
そんなところに、いまさら赤ん坊を抱えて戻って来られても、受け入れられない心情は理解できる。
「あのひとにとって幸運だったのは、自分の父親がぼくの存在を知る前に世を去ったことだ。おかげで、なんとでも対処できた」
姉とその夫が、生活に困らないだけの金銭的援助を約束する。ただし、自分の地位を脅かす存在である甥は、なにも知らない養子として手元に置いた。
「……いつ、それを?」
「きみに出会う少し前かな。母が書いた誓約書を見つけた。今後の生活を保障するかわりに、ぼくの出生については生涯他言しないと。おかしいなと思ったんだよ。そのころには、屋敷のスタッフはみんなぼくを親の分からない捨て子だと知っていたからね。だから、両親を探した」
「誓約書のサインだけで?」
「スタッフの中にも、ぼくを不憫に思ってくれるひとがいてね。力になってくれた」
なんとなく、カントリーハウスの執事かな、とエリオットは思った。
「それで母と父に会って、ことの真相を聞いたというわけさ」
「口外しないって誓ったのに」
「まぁ、ぼくも当事者みたいなものだし。感謝してるよ。おかげでぼくはあのひとを脅し、真実に口をつぐんでいることと引き換えに自由を手に入れた」
そしてフォスター女伯爵は、甥に小さな屋敷と使う当てのない土地を与え、あとのことは見て見ぬふりすることで爵位と資産を引き継いだ。
「あのひとも必死だったんだろうね。姉やぼくが一言でも漏らせば、息子が受け継ぐはずだったものはすべて奪われてしまうんだから」
「それでいいの? 自分のために勝手にひとの人生捻じ曲げて、許せないだろ」
エリオットは両手を握りしめる。
息子よりも自分たちの生活を選んだ彼の両親にも、甥から親も権利も取り上げた女伯爵にも。
しかしそんな衝動も、ナサニエルの言葉で不発となった。
「きみは、自分の人生を捻じ曲げた相手に、復讐したいと思うかい?」
世界の端っこにぎりぎり立っていたエリオットを孤独に突き落とした生ぬるい手の感触が蘇り、エリオットは握りしめていた両手でぎゅっと膝を抱えた。こみ上げた苦いものがそのまま重しとなって胸をふさぐ。力なく頭を振った。
ごめんね、とナサニエルが優しく囁く。
「ぼくも思わない。関わりたくないからね。だからもちろん、ぼくからあちらに干渉はしないし、きみに助けてくれなんて恥知らずなことも言わない」
「……それが、ニールの気持ちなんだな?」
「そうだよ」
「分かった」
それきり、どちらもしばらく黙っていた。
エリオットには友人が背負わされた理不尽や悲しみを受け止める時間が必要だったし、ナサニエルも無遠慮に引っ張り出された大切なものを、自分の内の深くに沈める時間が。気持ちを整理できたあとに、この関係が変わらないことを願っているけれど。
やがて、枕木の小道にベイカーが現れ、ティータイムの終わりを告げる。
エリオットは立ち上がり、ナサニエルに向き直った。
「無理やり呼びつけてごめん」
「話せてよかった、とは言わないよ。きみが知りたがったことだ」
「うん」
この真実も聞いてしまった罪悪感も、エリオットが負っていくべきものだ。
「きみの高潔さのひと握りでも、ぼくにあったらよかったのにって、ときどき思うよ」
「それはニールの幻覚だと思うけど、仮にそんなものを持ち合わせてなくたって、ニールはこれ以上ない友達だよ」
「ごめん、さきに確認だけさせて」
「どうぞ?」
「おれの認識では、フォスター女伯爵はひとり娘だったと思うんだけど?」
「母はあのひとと年子の夢見がちな女性で、売れない画家と駆け落ちした。前伯爵である父親からは勘当同然でね。当時はそこそこの噂になったらしいよ」
「当時って?」
「三十年くらい前」
そりゃ知らねーよ。
「生まれてもないよ、おれたち」
顔を上げると、ナサニエルは宗教画のガブリエルが浮かべるような慈愛とも皮肉ともとれる微笑みを口の端にのせていた。
「苦労知らずで夢見がちな令嬢も、子どもができたことで、やっと現実が見えたのかもね。飛び出した家に戻ってこようとしたらしい。でも残念ながらそのころには、それを歓迎できないひとがいた」
「女伯爵か」
「きみに教授するまでもないけど、現在の貴族法において爵位の継承は長子優先だ。もしぼくを姉の息子として認めたら、女伯爵にとって甥ができてしまう」
自分より優先で爵位を継ぐ甥がね。
「姉がいなくなったせいで、いきなり家を継がなければならなくなって、──それがあったとして──思い描いていた人生設計が崩れてしまった。家格で選んだ夫とは馬が合わない。唯一の支えである息子も、次期伯爵として育てなければいけないから、それだってプレッシャーだ」
そんなところに、いまさら赤ん坊を抱えて戻って来られても、受け入れられない心情は理解できる。
「あのひとにとって幸運だったのは、自分の父親がぼくの存在を知る前に世を去ったことだ。おかげで、なんとでも対処できた」
姉とその夫が、生活に困らないだけの金銭的援助を約束する。ただし、自分の地位を脅かす存在である甥は、なにも知らない養子として手元に置いた。
「……いつ、それを?」
「きみに出会う少し前かな。母が書いた誓約書を見つけた。今後の生活を保障するかわりに、ぼくの出生については生涯他言しないと。おかしいなと思ったんだよ。そのころには、屋敷のスタッフはみんなぼくを親の分からない捨て子だと知っていたからね。だから、両親を探した」
「誓約書のサインだけで?」
「スタッフの中にも、ぼくを不憫に思ってくれるひとがいてね。力になってくれた」
なんとなく、カントリーハウスの執事かな、とエリオットは思った。
「それで母と父に会って、ことの真相を聞いたというわけさ」
「口外しないって誓ったのに」
「まぁ、ぼくも当事者みたいなものだし。感謝してるよ。おかげでぼくはあのひとを脅し、真実に口をつぐんでいることと引き換えに自由を手に入れた」
そしてフォスター女伯爵は、甥に小さな屋敷と使う当てのない土地を与え、あとのことは見て見ぬふりすることで爵位と資産を引き継いだ。
「あのひとも必死だったんだろうね。姉やぼくが一言でも漏らせば、息子が受け継ぐはずだったものはすべて奪われてしまうんだから」
「それでいいの? 自分のために勝手にひとの人生捻じ曲げて、許せないだろ」
エリオットは両手を握りしめる。
息子よりも自分たちの生活を選んだ彼の両親にも、甥から親も権利も取り上げた女伯爵にも。
しかしそんな衝動も、ナサニエルの言葉で不発となった。
「きみは、自分の人生を捻じ曲げた相手に、復讐したいと思うかい?」
世界の端っこにぎりぎり立っていたエリオットを孤独に突き落とした生ぬるい手の感触が蘇り、エリオットは握りしめていた両手でぎゅっと膝を抱えた。こみ上げた苦いものがそのまま重しとなって胸をふさぐ。力なく頭を振った。
ごめんね、とナサニエルが優しく囁く。
「ぼくも思わない。関わりたくないからね。だからもちろん、ぼくからあちらに干渉はしないし、きみに助けてくれなんて恥知らずなことも言わない」
「……それが、ニールの気持ちなんだな?」
「そうだよ」
「分かった」
それきり、どちらもしばらく黙っていた。
エリオットには友人が背負わされた理不尽や悲しみを受け止める時間が必要だったし、ナサニエルも無遠慮に引っ張り出された大切なものを、自分の内の深くに沈める時間が。気持ちを整理できたあとに、この関係が変わらないことを願っているけれど。
やがて、枕木の小道にベイカーが現れ、ティータイムの終わりを告げる。
エリオットは立ち上がり、ナサニエルに向き直った。
「無理やり呼びつけてごめん」
「話せてよかった、とは言わないよ。きみが知りたがったことだ」
「うん」
この真実も聞いてしまった罪悪感も、エリオットが負っていくべきものだ。
「きみの高潔さのひと握りでも、ぼくにあったらよかったのにって、ときどき思うよ」
「それはニールの幻覚だと思うけど、仮にそんなものを持ち合わせてなくたって、ニールはこれ以上ない友達だよ」
17
お気に入りに追加
436
あなたにおすすめの小説
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
ある少年の体調不良について
雨水林檎
BL
皆に好かれるいつもにこやかな少年新島陽(にいじまはる)と幼馴染で親友の薬師寺優巳(やくしじまさみ)。高校に入学してしばらく陽は風邪をひいたことをきっかけにひどく体調を崩して行く……。
BLもしくはブロマンス小説。
体調不良描写があります。
横暴な幼馴染から逃げようとしたら死にそうになるまで抱き潰された
戸沖たま
BL
「おいグズ」
「何ぐだぐだ言ってんだ、最優先は俺だろうが」
「ヘラヘラ笑ってんじゃねぇよ不細工」
横暴な幼馴染に虐げられてはや19年。
もうそろそろ耐えられないので、幼馴染に見つからない場所に逃げたい…!
そう考えた薬局の一人息子であるユパは、ある日の晩家出を図ろうとしていたところを運悪く見つかってしまい……。
横暴執着攻め×不憫な受け/結構いじめられています/結腸攻め/失禁/スパンキング(ぬるい)/洗脳
などなど完全に無理矢理襲われているので苦手な方はご注意!初っ端からやっちゃってます!
胸焼け注意!
狂宴〜接待させられる美少年〜
はる
BL
アイドル級に可愛い18歳の美少年、空。ある日、空は何者かに拉致監禁され、ありとあらゆる"性接待"を強いられる事となる。
※めちゃくちゃ可愛い男の子がひたすらエロい目に合うお話です。8割エロです。予告なく性描写入ります。
※この辺のキーワードがお好きな方にオススメです
⇒「美少年受け」「エロエロ」「総受け」「複数」「調教」「監禁」「触手」「衆人環視」「羞恥」「視姦」「モブ攻め」「オークション」「快楽地獄」「男体盛り」etc
※痛い系の描写はありません(可哀想なので)
※ピーナッツバター、永遠の夏に出てくる空のパラレル話です。この話だけ別物と考えて下さい。
瞳の代償 〜片目を失ったらイケメンたちと同居生活が始まりました〜
Kei
BL
昨年の春から上京して都内の大学に通い一人暮らしを始めた大学2年生の黒崎水樹(男です)。無事試験が終わり夏休みに突入したばかりの頃、水樹は同じ大学に通う親友の斎藤大貴にバンドの地下ライブに誘われる。熱狂的なライブは無事に終了したかに思えたが、……
「え!?そんな物までファンサで投げるの!?」
この物語は何処にでもいる(いや、アイドル並みの可愛さの)男子大学生が流れに流されいつのまにかイケメンの男性たちと同居生活を送る話です。
流血表現がありますが苦手な人はご遠慮ください。また、男性同士の恋愛シーンも含まれます。こちらも苦手な方は今すぐにホームボタンを押して逃げてください。
もし、もしかしたらR18が入る、可能性がないこともないかもしれません。
誤字脱字の指摘ありがとうございます
無気力令息は安らかに眠りたい
餅粉
BL
銃に打たれ死んだはずだった私は目を開けると
『シエル・シャーウッド,君との婚約を破棄する』
シエル・シャーウッドになっていた。
どうやら私は公爵家の醜い子らしい…。
バース性?なんだそれ?安眠できるのか?
そう,私はただ誰にも邪魔されず安らかに眠りたいだけ………。
前半オメガバーズ要素薄めかもです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる