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訳あり王子と秘密の恋人 第二部 第二章
2.意外な友人の顔
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再開発区といえば、キャロルと初めてデートした美術館のあたりだ。あそこがフォスターの所有だということは知っていたが、ナサニエル個人の管理下にあるとは初耳だった。
現代貴族の収入は、格が高い家ほど土地──過去の栄光を偲んでいえば領地──や建物といった不動産が大部分を占めている。そしてもちろん、ヘインズも例外ではない。本邸のあるカーシェの町や山、エリオットが住んでいたフラットがある旧市街の一等地などもヘインズ家の所有で、その賃借料は莫大だ。エリオットが祖父から譲り受けたフラットなど、資産のほんの一部でしかない。
「それで、オープンの予定はいつごろ?」
「数年は先です。整備する範囲が広い分、一気には進みませんし、トラムの延線計画も持ち上がっているようで」
実際に建設に着手できるのはいつになるやら、とローウェル夫人は肩をすくめた。
「トラムが走れば、旧市街との行き来も便利になると思うのだけど、うまくいっていないの?」
「えぇ。ただでさえ関わる事業団体が多いうえに、最寄りの駅から再開発区までのあいだに住む住民が、道路の拡張工事に反対しているらしくて」
「区画の整備事業は、そういったことが避けられないわね。計画通りにいかないとなると、あなたも大変でしょう」
「ぼくはただの地権者ですから。ひとつひとつのトラブルに口は出しません」
ソーサーをテーブルに戻したナサニエルは、いかにも鷹揚な貴族っぽく腹の上で指を組んだ。それを見たローウェル夫人が、いたずらっぽく首を傾ける。
「わたしの耳が遠くなった? どうも興味がないみたいに聞こえるけれど。あそこでギャラリーを開く条件に、取り壊しになった美術館の収蔵品を引き取るよう条件を付けたのはあなたでしょう?」
エリオットは失礼ながら、友人が意外とまともなビジネスに取り組んでいたことに驚いた。
「本当に? よかったわ。あそこの作品がどこへ移されるのか気になっていたの」
それについては、エリオットもフェリシアに同意だ。キャロルとの議論のタネになった湖畔のスケッチはポストカードになっていなかったから、あの絵が市場に出るなら買おうかと思っていたくらいだから。
「美術館にあった絵は、すべてあなたのギャラリーで見られるんですか?」
「えぇ。殿下の初デートの思い出は責任もって保管していますから、オープンしたらぜひレディ・キャロルといらしてください」
「楽しみにしています」
ローウェル夫人はキャロルについてまだなにか聞きたそうだったが、エリオットは笑顔で目を伏せてその要望を拒否する。フェリシアが友人のほうへ身を乗り出した。
「ずっとこの調子。何も教えてくれないのよ」
「まあ」
「男の子ってそういうものかしら。上の子もそうだったわ」
「覚悟しておきます」
フェリシアの興味が恋人について話してくれないつまらない息子ではなく、友人のそれに移らなければ、エリオットは反抗期の子どもみたいに叫んでいただろう。
恥ずかしいからやめてよママ!
「フィリップはいくつに?」
「十一歳です」
「まだ手がかかる歳ね。忙しいんじゃなくて?」
「仕事のほうは義母や夫の妹たちが手伝ってくれるので、それほどでもありません」
話題が逸れて安堵したエリオットは、カップの底に残ったシロップ並みに甘い紅茶の処理に取りかかった。
視線を動かすと、ナサニエルも優雅なしぐさでカップを傾けながら、楽し気に話すローウェル夫人を見つめている。エリオットなど、ここにはいないかのようだ。もちろん、ローウェル夫人の手前、ふたりは初対面という体で紹介をされたから、彼の態度は不思議でもなんでもない。それに、ナサニエルは友人に対して誠実なのだ。きょうは夫人のエスコートとして王妃に招かれた以上、彼女に恥をかかせるような振る舞いはしないだろう。
などと油断していたところへ、不意にナサニエルが菫色の瞳を向けてきたので、エリオットは飲み込みそこなったお茶に咳き込んだ。
「大丈夫ですか?」
好青年風の顔をしたナサニエルが、胸ポケットからチーフを抜いてエリオットのカップの横に置く。直接差し出さない気づかいはありがたいが、その心内が読めずおっかなびっくり受け取る。
おれは餌を見せられた野良猫か。
自身に突っ込みを入れながら手を拭いていると、フェリシアがしきりに目配せしているのに気付いた。このお茶会の目的をバッシュから聞いていて、「チャンスよ」と教えてくれているのかもしれない。もしくはなんの裏もなく「友達になってもらいなさい」という意味で。
エリオットはハンカチを畳むと、「少し外の空気を吸って来ても?」と女性陣にお伺いを立てた。
「その、よければきみも」
ぎこちない誘いを無邪気に喜んだのはローウェル夫人だった。
「そうしていただいたら? 女同士の話は退屈でしょう」
「ぼくはお役御免ですか?」
「ちゃんと連れて帰ってあげるわよ」
ローウェル夫人に腕を叩かれて、ナサニエルは「では安心して」と腰を上げる。
現代貴族の収入は、格が高い家ほど土地──過去の栄光を偲んでいえば領地──や建物といった不動産が大部分を占めている。そしてもちろん、ヘインズも例外ではない。本邸のあるカーシェの町や山、エリオットが住んでいたフラットがある旧市街の一等地などもヘインズ家の所有で、その賃借料は莫大だ。エリオットが祖父から譲り受けたフラットなど、資産のほんの一部でしかない。
「それで、オープンの予定はいつごろ?」
「数年は先です。整備する範囲が広い分、一気には進みませんし、トラムの延線計画も持ち上がっているようで」
実際に建設に着手できるのはいつになるやら、とローウェル夫人は肩をすくめた。
「トラムが走れば、旧市街との行き来も便利になると思うのだけど、うまくいっていないの?」
「えぇ。ただでさえ関わる事業団体が多いうえに、最寄りの駅から再開発区までのあいだに住む住民が、道路の拡張工事に反対しているらしくて」
「区画の整備事業は、そういったことが避けられないわね。計画通りにいかないとなると、あなたも大変でしょう」
「ぼくはただの地権者ですから。ひとつひとつのトラブルに口は出しません」
ソーサーをテーブルに戻したナサニエルは、いかにも鷹揚な貴族っぽく腹の上で指を組んだ。それを見たローウェル夫人が、いたずらっぽく首を傾ける。
「わたしの耳が遠くなった? どうも興味がないみたいに聞こえるけれど。あそこでギャラリーを開く条件に、取り壊しになった美術館の収蔵品を引き取るよう条件を付けたのはあなたでしょう?」
エリオットは失礼ながら、友人が意外とまともなビジネスに取り組んでいたことに驚いた。
「本当に? よかったわ。あそこの作品がどこへ移されるのか気になっていたの」
それについては、エリオットもフェリシアに同意だ。キャロルとの議論のタネになった湖畔のスケッチはポストカードになっていなかったから、あの絵が市場に出るなら買おうかと思っていたくらいだから。
「美術館にあった絵は、すべてあなたのギャラリーで見られるんですか?」
「えぇ。殿下の初デートの思い出は責任もって保管していますから、オープンしたらぜひレディ・キャロルといらしてください」
「楽しみにしています」
ローウェル夫人はキャロルについてまだなにか聞きたそうだったが、エリオットは笑顔で目を伏せてその要望を拒否する。フェリシアが友人のほうへ身を乗り出した。
「ずっとこの調子。何も教えてくれないのよ」
「まあ」
「男の子ってそういうものかしら。上の子もそうだったわ」
「覚悟しておきます」
フェリシアの興味が恋人について話してくれないつまらない息子ではなく、友人のそれに移らなければ、エリオットは反抗期の子どもみたいに叫んでいただろう。
恥ずかしいからやめてよママ!
「フィリップはいくつに?」
「十一歳です」
「まだ手がかかる歳ね。忙しいんじゃなくて?」
「仕事のほうは義母や夫の妹たちが手伝ってくれるので、それほどでもありません」
話題が逸れて安堵したエリオットは、カップの底に残ったシロップ並みに甘い紅茶の処理に取りかかった。
視線を動かすと、ナサニエルも優雅なしぐさでカップを傾けながら、楽し気に話すローウェル夫人を見つめている。エリオットなど、ここにはいないかのようだ。もちろん、ローウェル夫人の手前、ふたりは初対面という体で紹介をされたから、彼の態度は不思議でもなんでもない。それに、ナサニエルは友人に対して誠実なのだ。きょうは夫人のエスコートとして王妃に招かれた以上、彼女に恥をかかせるような振る舞いはしないだろう。
などと油断していたところへ、不意にナサニエルが菫色の瞳を向けてきたので、エリオットは飲み込みそこなったお茶に咳き込んだ。
「大丈夫ですか?」
好青年風の顔をしたナサニエルが、胸ポケットからチーフを抜いてエリオットのカップの横に置く。直接差し出さない気づかいはありがたいが、その心内が読めずおっかなびっくり受け取る。
おれは餌を見せられた野良猫か。
自身に突っ込みを入れながら手を拭いていると、フェリシアがしきりに目配せしているのに気付いた。このお茶会の目的をバッシュから聞いていて、「チャンスよ」と教えてくれているのかもしれない。もしくはなんの裏もなく「友達になってもらいなさい」という意味で。
エリオットはハンカチを畳むと、「少し外の空気を吸って来ても?」と女性陣にお伺いを立てた。
「その、よければきみも」
ぎこちない誘いを無邪気に喜んだのはローウェル夫人だった。
「そうしていただいたら? 女同士の話は退屈でしょう」
「ぼくはお役御免ですか?」
「ちゃんと連れて帰ってあげるわよ」
ローウェル夫人に腕を叩かれて、ナサニエルは「では安心して」と腰を上げる。
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