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訳あり王子と秘密の恋人 第二部 第一章
8.一方通行
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「ただ、助けるかどうかっていってもさ。おれは正直なところ、フォスター女伯爵にあんまりいい感情を持ってないんだよな」
ベイカーは驚いたように、白っぽくなった眉を上げた。
「フォスター女伯爵とご面識が?」
「ないけど、だからこそっていうか……」
紹介されたことはないから、話しだってしたことがない。だから直接聞いたわけではないけれど、ナサニエルが田舎のカントリーハウスで隠居みたいな生活をしている理由に、家族との不仲があるのは察していた。
エリオットの前で、ナサニエルはいつも母親のことを「あのひと」と呼ぶ。
「ではまず、ナサニエルさまとお話しをなさってはいかがですか。もしあの方が助力を求められたなら、あなたさまはそうなさるのでしょう?」
「……うん」
そうしてもいいと言われたことで、少しほっとした。
エリオットは机を見回して、パンツのポケットを叩き、ようやくスマートフォンをどこかへ置きっぱなしにしてきたことに気付いた。たぶん枕の下か、ドローイングルームの肘掛け椅子の上だ。
「ベイカー、ニールに繋げる?」
「あちらの執事を通してよろしければ」
「いいけど、屋敷じゃなくて執事の連絡先知ってるのか?」
「以前、丁寧なごあいさつをいただきました」
「側近同士で『うちの坊ちゃんをよろしく』なんて言い合ってないだろうな」
「めっそうもごさいません。あちらは『若さまを』、わたくしは『殿下を』と」
「いってんじゃねーか!」
ライティングマットをひっくり返す勢いでツッコむエリオットの相手をイェオリに任せ、ベイカーは内ポケットから取り出したスマートフォンで迷いなく番号をタップした。
「──わたくし、リトル・カルバートンのベイカーでございます」
コールを待つわずかな沈黙のあと、ベイカーが名乗る。
「エリオット王子より火急の命にて、ご連絡をいたしました。殿下がナサニエル殿をお召しでございます。お繋ぎいただけますでしょうか」
丁寧ながら、断ることを許さない口調で問いかけたベイカーは、数秒沈黙してから「けっこう」と頷き、スマートフォンを机の天板に置いた。エリオットは手を伸ばし、スピーカーに切り替える。
『やあ、ハニー。侍従を通しての電話なんて初めてじゃない? スマホをなくしたのかい?』
「ニール」
電話口に出たナサニエルは、あまりに普通で、エリオットは数舜言葉に詰まり、尋ねる声は不機嫌になった。
「……どうして最近、電話してこないんだ?」
『寂しかった? ほらきみ、彼と彼女との三角関係で忙しそうだったし』
「言い忘れてたけど、この通話はオープンだ」
『おっと、じゃあ張り切って口説かなきゃね』
「そうじゃないだろ」
いつが最後だ?
しゃべりながら考える。
「ニールから電話もらったの、キャロルと美術館に行った日が最後だ。おれからの電話には出ても、ニールからはかけて来なくなった」
『そうかな』
「とぼけるなよ。貴族会の動きに気付いてたんだろ」
不穏なものを察知していたなら。それが、自分の家の不名誉を予感させるものだったから、ナサニエルはエリオットを巻き込むまいとして、距離を置いたんじゃないのか。
エリオットがさらに質すと、ナサニエルはため息をついた。
『分かった、いうよ。たしかにぼくは、レディ・キャロルの話題集めに貴族会に探りを入れて、執行部の画策を知った。あのひとの危機もね。だから、余計な波風を立てないように、ぼくからきみへは連絡をしなかった。これでいいかい?』
いいわけあるか。
『貴族会のやることは放っておきなよ。そうすれば、きみは委員長なんて厄介な立場から抜けられる。ぼくならそうするね』
「このままじゃ、フォスターの家は貴族会での信用をなくす。疎遠になってるのは分かるけど、それも放っておくの?」
『ぼくは、本邸のことには干渉しないよ。没落しかけているとしてもね』
きっぱりと、ナサニエルが告げた。
冷たささえ感じるかたくなな意志は、エリオットとは関係のないところへ向けられているように思える。
「ニール、おれは友達として、はいそうですかって引き下がれない。うちに来て、その理由をちゃんと話してよ。来ないなら、うちに群がってるパパラッチを引き連れてそっちに乗り込むから」
『そこにいる侍従がさせないよ。それに、きみはそんなことしない』
精いっぱいの脅しも、ナサニエルはどこ吹く風だ。じゃあね、と──こんな状況でさえ──リップ音を残して通話が切れる。
「取り付く島もない、とはこのことですね」
黒くなった画面を見下ろして、眉を寄せたイェオリがいった。彼が不機嫌を表情に出すのは珍しい。
というか、初めて?
貴重だな、とイェオリを眺めていると、スマートフォンを懐にしまったベイカーが「念のために申し上げますが」と忠告した。
「この状況でナサニエルさまをお訪ねになるのは、おやめになったほうがよいでしょう。フォスター家との繋がりがあるとなれば、彼らは手のひらを返してエリオットさまと女伯爵の共謀を主張するかもしれません」
「あくまで被害者でいろって?」
「事実、エリオットさまはご身分を利用されたお立場です。彼らと同じ舞台に立つ必要はございません」
同情票で押し上げてもらっても嬉しくないけど。
「ニールはああいってたけど、おれは放っておきたくない。フォスター女伯爵に落ち度があったなら相応の処分は覚悟する。でもそうじゃないなら、ニールとの付き合いに水を差されるのは嫌だ」
いまのところ、長年の「友人」は彼だけだ。
エリオットが両手を机にのせると、侍従たちはそろって頷いた。
「ベイカーは、執行部の内部が一枚岩なのかそうじゃないのか調べて。だれが中心になってフォスター女伯爵を切ることにしたのか知りたい」
「承知いたしました」
「イェオリは、ニールについて探ってきて」
「フォスター女伯爵ではなく?」
「おれの秘書にならないかって勧誘したとき、ニールはおれの弱みになりたくないって断って来た。あの交友関係のことかと思ってたけど、今回の件を考えるとほかになにかありそうな気がする」
周りをいくら掘り返したところで、真実なんて本人から聞かなければ分からない。でも当の本人がそれを拒否しているなら、できるのはやはり事情を探ることだけだ。ナサニエルはエリオットの十年近くのほとんど──もちろんエリオットが話した分も含めて──を知っているのに、自分のことは秘密だなんてフェアじゃない。
なんて、積極的になったもんだな。
環境がひとを作るとはよくいったものだ。たった数ヶ月、それっぽい扱いをされただけで、自分がいかにも支配階層的で、配慮に欠けた行動をしていることに呆れながら、エリオットは腰を上げた。
仕方ない。ナサニエルがいう「高潔な愚かさ」で押し通せるのは、彼自身のように、それを好んでくれる相手だけだ。
ベイカーは驚いたように、白っぽくなった眉を上げた。
「フォスター女伯爵とご面識が?」
「ないけど、だからこそっていうか……」
紹介されたことはないから、話しだってしたことがない。だから直接聞いたわけではないけれど、ナサニエルが田舎のカントリーハウスで隠居みたいな生活をしている理由に、家族との不仲があるのは察していた。
エリオットの前で、ナサニエルはいつも母親のことを「あのひと」と呼ぶ。
「ではまず、ナサニエルさまとお話しをなさってはいかがですか。もしあの方が助力を求められたなら、あなたさまはそうなさるのでしょう?」
「……うん」
そうしてもいいと言われたことで、少しほっとした。
エリオットは机を見回して、パンツのポケットを叩き、ようやくスマートフォンをどこかへ置きっぱなしにしてきたことに気付いた。たぶん枕の下か、ドローイングルームの肘掛け椅子の上だ。
「ベイカー、ニールに繋げる?」
「あちらの執事を通してよろしければ」
「いいけど、屋敷じゃなくて執事の連絡先知ってるのか?」
「以前、丁寧なごあいさつをいただきました」
「側近同士で『うちの坊ちゃんをよろしく』なんて言い合ってないだろうな」
「めっそうもごさいません。あちらは『若さまを』、わたくしは『殿下を』と」
「いってんじゃねーか!」
ライティングマットをひっくり返す勢いでツッコむエリオットの相手をイェオリに任せ、ベイカーは内ポケットから取り出したスマートフォンで迷いなく番号をタップした。
「──わたくし、リトル・カルバートンのベイカーでございます」
コールを待つわずかな沈黙のあと、ベイカーが名乗る。
「エリオット王子より火急の命にて、ご連絡をいたしました。殿下がナサニエル殿をお召しでございます。お繋ぎいただけますでしょうか」
丁寧ながら、断ることを許さない口調で問いかけたベイカーは、数秒沈黙してから「けっこう」と頷き、スマートフォンを机の天板に置いた。エリオットは手を伸ばし、スピーカーに切り替える。
『やあ、ハニー。侍従を通しての電話なんて初めてじゃない? スマホをなくしたのかい?』
「ニール」
電話口に出たナサニエルは、あまりに普通で、エリオットは数舜言葉に詰まり、尋ねる声は不機嫌になった。
「……どうして最近、電話してこないんだ?」
『寂しかった? ほらきみ、彼と彼女との三角関係で忙しそうだったし』
「言い忘れてたけど、この通話はオープンだ」
『おっと、じゃあ張り切って口説かなきゃね』
「そうじゃないだろ」
いつが最後だ?
しゃべりながら考える。
「ニールから電話もらったの、キャロルと美術館に行った日が最後だ。おれからの電話には出ても、ニールからはかけて来なくなった」
『そうかな』
「とぼけるなよ。貴族会の動きに気付いてたんだろ」
不穏なものを察知していたなら。それが、自分の家の不名誉を予感させるものだったから、ナサニエルはエリオットを巻き込むまいとして、距離を置いたんじゃないのか。
エリオットがさらに質すと、ナサニエルはため息をついた。
『分かった、いうよ。たしかにぼくは、レディ・キャロルの話題集めに貴族会に探りを入れて、執行部の画策を知った。あのひとの危機もね。だから、余計な波風を立てないように、ぼくからきみへは連絡をしなかった。これでいいかい?』
いいわけあるか。
『貴族会のやることは放っておきなよ。そうすれば、きみは委員長なんて厄介な立場から抜けられる。ぼくならそうするね』
「このままじゃ、フォスターの家は貴族会での信用をなくす。疎遠になってるのは分かるけど、それも放っておくの?」
『ぼくは、本邸のことには干渉しないよ。没落しかけているとしてもね』
きっぱりと、ナサニエルが告げた。
冷たささえ感じるかたくなな意志は、エリオットとは関係のないところへ向けられているように思える。
「ニール、おれは友達として、はいそうですかって引き下がれない。うちに来て、その理由をちゃんと話してよ。来ないなら、うちに群がってるパパラッチを引き連れてそっちに乗り込むから」
『そこにいる侍従がさせないよ。それに、きみはそんなことしない』
精いっぱいの脅しも、ナサニエルはどこ吹く風だ。じゃあね、と──こんな状況でさえ──リップ音を残して通話が切れる。
「取り付く島もない、とはこのことですね」
黒くなった画面を見下ろして、眉を寄せたイェオリがいった。彼が不機嫌を表情に出すのは珍しい。
というか、初めて?
貴重だな、とイェオリを眺めていると、スマートフォンを懐にしまったベイカーが「念のために申し上げますが」と忠告した。
「この状況でナサニエルさまをお訪ねになるのは、おやめになったほうがよいでしょう。フォスター家との繋がりがあるとなれば、彼らは手のひらを返してエリオットさまと女伯爵の共謀を主張するかもしれません」
「あくまで被害者でいろって?」
「事実、エリオットさまはご身分を利用されたお立場です。彼らと同じ舞台に立つ必要はございません」
同情票で押し上げてもらっても嬉しくないけど。
「ニールはああいってたけど、おれは放っておきたくない。フォスター女伯爵に落ち度があったなら相応の処分は覚悟する。でもそうじゃないなら、ニールとの付き合いに水を差されるのは嫌だ」
いまのところ、長年の「友人」は彼だけだ。
エリオットが両手を机にのせると、侍従たちはそろって頷いた。
「ベイカーは、執行部の内部が一枚岩なのかそうじゃないのか調べて。だれが中心になってフォスター女伯爵を切ることにしたのか知りたい」
「承知いたしました」
「イェオリは、ニールについて探ってきて」
「フォスター女伯爵ではなく?」
「おれの秘書にならないかって勧誘したとき、ニールはおれの弱みになりたくないって断って来た。あの交友関係のことかと思ってたけど、今回の件を考えるとほかになにかありそうな気がする」
周りをいくら掘り返したところで、真実なんて本人から聞かなければ分からない。でも当の本人がそれを拒否しているなら、できるのはやはり事情を探ることだけだ。ナサニエルはエリオットの十年近くのほとんど──もちろんエリオットが話した分も含めて──を知っているのに、自分のことは秘密だなんてフェアじゃない。
なんて、積極的になったもんだな。
環境がひとを作るとはよくいったものだ。たった数ヶ月、それっぽい扱いをされただけで、自分がいかにも支配階層的で、配慮に欠けた行動をしていることに呆れながら、エリオットは腰を上げた。
仕方ない。ナサニエルがいう「高潔な愚かさ」で押し通せるのは、彼自身のように、それを好んでくれる相手だけだ。
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