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訳あり王子と秘密の恋人 第二部 第一章
1.休日びより
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「つくづく思うが、よくあの数の植物を枯らさず管理できるな」
テレビを見ていたバッシュがそういうので、エリオットはラップトップから顔を上げた。
六十五インチの壁掛けテレビには、『秋のお出かけスポット特集』というテロップとともに、来月開催されるガーデンフェアの紹介が映し出されている。ハープダウン地区の住人が移転した学校の跡地で始めた小さなイベントは、だんだんとひとを集めるようになり、いまでは秋に行われるフェアとしては最大の規模になっているのだ。その年のテーマにそって作られるガーデンブースをメインに、大手ナーセリーが出店する鉢物の販売コーナーや市場もあり、屋内の会場では日替わりでトークショーやパネルディスカッションなどが行われるお祭りだ。
バッシュが指したのは、テントいっぱいに並べられた鉢物のブースだった。参考映像として流れた、去年の会場の様子らしい。
「あれはプロの業者だからな。鉢植えくらいなら、だれだって育てられるだろ」
丸いクッションの上にあぐらをかいたバッシュは、哲学的な表情を浮かべた。
「置いたことはあるが、長持ちしたためしがない」
「えぇ? 意外。かいがいしく世話しそうなのに」
「だからだよ」
「だから?」
「水をやりすぎて、根腐れさせる。やりすぎはよくないって分かってるのに、つい水をやりたくなる悪い癖だ」
「心配性だな」
エリオットは長椅子の上から身を乗り出し、床のクッションに座るバッシュの、休日であろうと剃り残しのないさらりとした顎にキスをした。
ふたりは近くにいながら、それぞれ別のことをしていた。バッシュはテレビをザッピングしながら気になったコーナーを眺め、エリオットは端末で期限の迫った作業中。そしてバッシュの膝に頭をのせ、ルードが午睡にふけっている。
数日前のぎくしゃくした空気がうそのようだ。
開き直ったバッシュは、カバディみたいに間合いをはかることに固執しなくなった。フラットでの事故以来、静かに近付いてエリオットを驚かさないよう、足音を殺さなくなったのに続く進歩だ。それに、カルバートンへ来る頻度が増えた。いままでは休日を一緒にすごすのがなんとなくの習慣だったけれど、食事だけして帰ったり、遅くなった日はそのまま泊まって行ったりするから、三日に一回くらいは顔が見られる。
一方エリオットのほうは、まだ絶対に怖くないとは言えないけれど、そこはもう「事故ったらごめん」ですませることにした。
どうしてそんな簡単なことができなかったんだろうと呟けば、カッコつけたいお年頃だったんだよ、と返される。
かわいいな。
エリオットはずっと、自分は何者にもなれないと思っていた。ヘインズの屋敷で鉢植えを眺めていたときも、フラットの屋上でデファイリア・グレイを育てていたときも。世界はいつだってエリオットの外側にあった。でもそんなのは言い訳だ。感傷的で、悲観的な。
そのふたつがエリオットを育てたといっても過言ではないけれど、いい加減、すぐその腕の中にエリオットを閉じ込めようとするナニーとは決別するときだろう。自分から飛び込む勇気さえあれば、もっとすばらしい腕に抱きしめてもらえるんだから。
「安心しろ。おれはどれだけ甘やかしても腐らない」
「自慢げにいうことじゃない」
ぴしっと額を指で弾かれる。
「それで、さっきから何やってるんだ?」
「デファイリア・グレイの、育成権の申請書を書いてる」
「論文じゃないのか?」
「そっちもまだ。この審査がヘタすると何年もかかるから、とりあえず先に申請しようって話になった……のは、けっこう前なんだけど」
昨日オンラインで進捗の確認をしたゴードンから、必要書類はそろったかと聞かれて思い出し、こうして慌てて作っているわけだ。
「もっと早く片付けておけよ」
「はぁ? だれのせいで気が散ったと思ってんだよ」
「はいはい、おれのせいおれのせい」
「誠意がない!」
両腕を振り回すエリオットの膝に頭を預け、バッシュがラップトップを覗き込んだ。
「申請者、『E・イルシュ・アルバート』?」
「まさかエリオット・W・シルヴァーナで提出できるはずないだろ」
どんな忖度がされるか分かったものじゃない。
「論文も、学会に出すときはそっち。ネタばらしするなら、審査が終わってからのほうがいいって、教授が」
「たしかにな。肝心の論文のほうの進み具合は?」
「ようやく前提と定義をまとめたところ」
「お前、前にレポートは書いてただろう」
「教授に見せたやつなら書いてたけどさぁ」
エリオットは情けない声を出す。
ゴードンの課題図書を読んで分かったのは、自分のレポートが論文の体をなしていないということだ。最初に目を通したときは褒めてくれたけれど、彼にはそれこそ子どもが書いた観察日記に思えただろう。あの先行研究の山は、エリオットにそれを分からせる目的もあったに違いない。
「容赦ない教授だな」
「その道では、名の通った研究者だからな。ハープダウンのガーデンフェアにも、パネリストで呼ばれてるんだって。都市の再開発と生態系の保護とかなんとかについて」
「そんなひとに個人授業が受けられるなんて贅沢じゃないか。まぁ、頑張って勉強しろ」
「うぅ」
共同研究だなんてカッコいいことを口にした手前、ものすごく恥ずかしいのだけれど。
テレビを見ていたバッシュがそういうので、エリオットはラップトップから顔を上げた。
六十五インチの壁掛けテレビには、『秋のお出かけスポット特集』というテロップとともに、来月開催されるガーデンフェアの紹介が映し出されている。ハープダウン地区の住人が移転した学校の跡地で始めた小さなイベントは、だんだんとひとを集めるようになり、いまでは秋に行われるフェアとしては最大の規模になっているのだ。その年のテーマにそって作られるガーデンブースをメインに、大手ナーセリーが出店する鉢物の販売コーナーや市場もあり、屋内の会場では日替わりでトークショーやパネルディスカッションなどが行われるお祭りだ。
バッシュが指したのは、テントいっぱいに並べられた鉢物のブースだった。参考映像として流れた、去年の会場の様子らしい。
「あれはプロの業者だからな。鉢植えくらいなら、だれだって育てられるだろ」
丸いクッションの上にあぐらをかいたバッシュは、哲学的な表情を浮かべた。
「置いたことはあるが、長持ちしたためしがない」
「えぇ? 意外。かいがいしく世話しそうなのに」
「だからだよ」
「だから?」
「水をやりすぎて、根腐れさせる。やりすぎはよくないって分かってるのに、つい水をやりたくなる悪い癖だ」
「心配性だな」
エリオットは長椅子の上から身を乗り出し、床のクッションに座るバッシュの、休日であろうと剃り残しのないさらりとした顎にキスをした。
ふたりは近くにいながら、それぞれ別のことをしていた。バッシュはテレビをザッピングしながら気になったコーナーを眺め、エリオットは端末で期限の迫った作業中。そしてバッシュの膝に頭をのせ、ルードが午睡にふけっている。
数日前のぎくしゃくした空気がうそのようだ。
開き直ったバッシュは、カバディみたいに間合いをはかることに固執しなくなった。フラットでの事故以来、静かに近付いてエリオットを驚かさないよう、足音を殺さなくなったのに続く進歩だ。それに、カルバートンへ来る頻度が増えた。いままでは休日を一緒にすごすのがなんとなくの習慣だったけれど、食事だけして帰ったり、遅くなった日はそのまま泊まって行ったりするから、三日に一回くらいは顔が見られる。
一方エリオットのほうは、まだ絶対に怖くないとは言えないけれど、そこはもう「事故ったらごめん」ですませることにした。
どうしてそんな簡単なことができなかったんだろうと呟けば、カッコつけたいお年頃だったんだよ、と返される。
かわいいな。
エリオットはずっと、自分は何者にもなれないと思っていた。ヘインズの屋敷で鉢植えを眺めていたときも、フラットの屋上でデファイリア・グレイを育てていたときも。世界はいつだってエリオットの外側にあった。でもそんなのは言い訳だ。感傷的で、悲観的な。
そのふたつがエリオットを育てたといっても過言ではないけれど、いい加減、すぐその腕の中にエリオットを閉じ込めようとするナニーとは決別するときだろう。自分から飛び込む勇気さえあれば、もっとすばらしい腕に抱きしめてもらえるんだから。
「安心しろ。おれはどれだけ甘やかしても腐らない」
「自慢げにいうことじゃない」
ぴしっと額を指で弾かれる。
「それで、さっきから何やってるんだ?」
「デファイリア・グレイの、育成権の申請書を書いてる」
「論文じゃないのか?」
「そっちもまだ。この審査がヘタすると何年もかかるから、とりあえず先に申請しようって話になった……のは、けっこう前なんだけど」
昨日オンラインで進捗の確認をしたゴードンから、必要書類はそろったかと聞かれて思い出し、こうして慌てて作っているわけだ。
「もっと早く片付けておけよ」
「はぁ? だれのせいで気が散ったと思ってんだよ」
「はいはい、おれのせいおれのせい」
「誠意がない!」
両腕を振り回すエリオットの膝に頭を預け、バッシュがラップトップを覗き込んだ。
「申請者、『E・イルシュ・アルバート』?」
「まさかエリオット・W・シルヴァーナで提出できるはずないだろ」
どんな忖度がされるか分かったものじゃない。
「論文も、学会に出すときはそっち。ネタばらしするなら、審査が終わってからのほうがいいって、教授が」
「たしかにな。肝心の論文のほうの進み具合は?」
「ようやく前提と定義をまとめたところ」
「お前、前にレポートは書いてただろう」
「教授に見せたやつなら書いてたけどさぁ」
エリオットは情けない声を出す。
ゴードンの課題図書を読んで分かったのは、自分のレポートが論文の体をなしていないということだ。最初に目を通したときは褒めてくれたけれど、彼にはそれこそ子どもが書いた観察日記に思えただろう。あの先行研究の山は、エリオットにそれを分からせる目的もあったに違いない。
「容赦ない教授だな」
「その道では、名の通った研究者だからな。ハープダウンのガーデンフェアにも、パネリストで呼ばれてるんだって。都市の再開発と生態系の保護とかなんとかについて」
「そんなひとに個人授業が受けられるなんて贅沢じゃないか。まぁ、頑張って勉強しろ」
「うぅ」
共同研究だなんてカッコいいことを口にした手前、ものすごく恥ずかしいのだけれど。
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