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訳あり王子と秘密の恋人 第一部 第五章
13.子はかすがい?
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エリオットはひとり、メドウガーデンに座っていた。刈り込み前の少し伸びた芝生のせいで、チクチクと落ち着かない。そばでは、ルードがひょろりと伸びた草に鼻を寄せている。わずかに残る色褪せた花ガラが、秋を歓迎するように揺れた。
不意にルードの耳が持ち上がり、侵入者の足音を捉える。首を回すと、倒れかかる緑の波をかき分けるように、バッシュが砂利の小道を歩いて来るのが見えた。
覚えているより少しだけ高くこわばった肩に、彼が緊張しているのが分かる。自分だけじゃなくてよかった。
ふと、映画のワンシーンが浮かんだ。グレイテスト・ショーマンだ。バーナムが、妻チャリティのところへ帰って来る場面。ミュージカルなら、思い出の歌をふたりで歌い出すところだ。でもエリオットはそんなロマンチストじゃないし、バッシュの歌声はヒュー・ジャックマンに遠く及ばない。
フラットの屋上で聞いた「もうすぐ十七歳」を思い出して口元を緩ませたエリオットのわきを、白い毛玉がすり抜ける。
「ルード?」
エリオットは目を見張った。
驚いたことに、ルードが軽い足取りでバッシュへと寄って行ったのだ。イェオリたちのこともエリオットのうしろから眺めているのに、控えめながらしっぽまで振っているとはどういうことだ。
おい浮気か。
抱えた膝に頬杖をついて、エリオットはバッシュの周りをぐるぐる回りながら匂いを嗅ぐルードと、その毛並みをわしわし撫でるバッシュを眺めて目を細めた。
「こいつ、思ってたよりデカいな」
じゃれつくルードをなだめながら、バッシュが近くまでやって来た。
その朗らかな表情に、エリオットの緊張も解ける。
「かわいいだろ」
「あぁ」
「グッズになるんだぞ」
「知ってる。稟議と写真のデータも見た。お前が撮ったんだな」
「そうだよ」
例の投稿は、「犬」「新しい家族」「ロイヤルファミリー」というハッシュタグのせいで、英国皇太子の広報アカウントにシェアされるというミラクルが起き、お気に入り登録をしたユーザーが倍に跳ね上がった。彼らの「もっと見たい」というコメントの嵐を受けて、広報は急きょ公式ホームページに特設の写真コーナーを作ったが、それもURLつきの告知をした途端にアクセスが殺到してサーバーダウンしたらしい。サイラスの結婚式の写真がアップされたとき以来だそうだ。
ルードの人気は留まるところを知らず、新聞やテレビに次々と取り上げられ、取材の依頼も絶えないと聞いた。そしてついに、広報部はルードをグッズに使用してもいいかと打診してきたのだ。
ロイヤルファミリーの一員として、観光客向けの売店や公式オンラインショップで売られるポストカード、マグカップ、クッキーなどに肖像がプリントされる。そのデータは、エリオットのカメラロールから提供された。
自分のはどうでもいいが、ルードの写真となれば話は別。スマートフォンとタブレットに保存された数百枚から候補の三枚を絞るのに、半日はかかった。最終的に選んだのは、不思議そうに小首をかしげたルードと、名前を呼ばれて振り向いたルード、そして舌を出して笑っているように見えるルード。
「グッズができあがったら、見本でワンセットくれるんだって」
「なら、マグカップがあったら知らせてくれ。事務所で使う用に買う」
座っても? とバッシュが隣を指すので、エリオットは左手で芝生を叩いた。
「ルード、おいで」
そこにジャーキーでも隠していると思っているのか、執拗にバッシュのベストのすそを食い破ろうとするルードを呼んで、エリオットは自分の右側に座らせると、その背中に腕を回してがっちり捕まえる。
「頼もしいセコンドだな」
「ほかに気を取られなきゃな」
ジャケットを脱いだだけの仕事終わりにも関わらず、疲れた様子ひとつ見せずにバッシュは腰を下ろした。
「触ってもいい?」
「……あぁ」
エリオットは左腕を伸ばして、バッシュの膝に手をのせた。スラックスの生地の下に、丸い骨の形を感じる。手のひらから伝わったエリオットの体温が、硬い膝でバターみたいに溶けてバッシュの熱と混ざり合った。
「散々だよ。あんたとケンカすると食欲なくなるし、ひと晩中そのことが頭から離れないし」
もっとゆっくり、穏やかに話すつもりだったのに、胸に迫った叫びたくなるような衝動のまま、エリオットはまくし立てた。
「おれは、話すのが得意じゃないんだよ。自分のことも、だれかのことも。その、無口ってことじゃなくてさ。自分を、だれかに分かってもらうためのトークが。だって……分かるだろ? なにも話さなくたって、みんなおれのことを知ってるんだ」
家族、名前、誕生日、生まれた病院、おくるみのブランド、初めて喋った言葉、歩いた日、好きなおやつ、お気に入りのおもちゃ。学校の成績、作文の中身。知られたくないこともぜんぶ。
「四、五歳のころ、『こんにちは、エリオット王子』って挨拶してきたおばあさんがいた。だれだったと思う? アメリカの大統領だ。有名で得してるって思われるかもしれないけどさ、自分の名前もろくに言えないころから、国民どころか違う大陸のひとまで自分のことを知ってるなんて普通に恐怖だろ。──待って、何が言いたいのか分からなくなってきた」
大きな手が、エリオットの手に重なった。
「エリオット、ゆっくりでいい」
あぁ、くそ。
エリオットは目を閉じて、震える息を吐く。
「……どこへ行っても、知らないひとからじろじろ見られて名前を呼ばれるのが、すごく怖かった」
「それで、透明マントがほしかったんだな」
「嫌なやつが来たら、隠れて話さなきゃいいだろ」
どうせ自分のことは知られているから話さなくていいと思ってたし、他人のこともその気持ちや内面にまで踏み込んで、根掘り葉掘りは聞きたくなかった。
だって、おれだったら聞かれたくないから。
不意にルードの耳が持ち上がり、侵入者の足音を捉える。首を回すと、倒れかかる緑の波をかき分けるように、バッシュが砂利の小道を歩いて来るのが見えた。
覚えているより少しだけ高くこわばった肩に、彼が緊張しているのが分かる。自分だけじゃなくてよかった。
ふと、映画のワンシーンが浮かんだ。グレイテスト・ショーマンだ。バーナムが、妻チャリティのところへ帰って来る場面。ミュージカルなら、思い出の歌をふたりで歌い出すところだ。でもエリオットはそんなロマンチストじゃないし、バッシュの歌声はヒュー・ジャックマンに遠く及ばない。
フラットの屋上で聞いた「もうすぐ十七歳」を思い出して口元を緩ませたエリオットのわきを、白い毛玉がすり抜ける。
「ルード?」
エリオットは目を見張った。
驚いたことに、ルードが軽い足取りでバッシュへと寄って行ったのだ。イェオリたちのこともエリオットのうしろから眺めているのに、控えめながらしっぽまで振っているとはどういうことだ。
おい浮気か。
抱えた膝に頬杖をついて、エリオットはバッシュの周りをぐるぐる回りながら匂いを嗅ぐルードと、その毛並みをわしわし撫でるバッシュを眺めて目を細めた。
「こいつ、思ってたよりデカいな」
じゃれつくルードをなだめながら、バッシュが近くまでやって来た。
その朗らかな表情に、エリオットの緊張も解ける。
「かわいいだろ」
「あぁ」
「グッズになるんだぞ」
「知ってる。稟議と写真のデータも見た。お前が撮ったんだな」
「そうだよ」
例の投稿は、「犬」「新しい家族」「ロイヤルファミリー」というハッシュタグのせいで、英国皇太子の広報アカウントにシェアされるというミラクルが起き、お気に入り登録をしたユーザーが倍に跳ね上がった。彼らの「もっと見たい」というコメントの嵐を受けて、広報は急きょ公式ホームページに特設の写真コーナーを作ったが、それもURLつきの告知をした途端にアクセスが殺到してサーバーダウンしたらしい。サイラスの結婚式の写真がアップされたとき以来だそうだ。
ルードの人気は留まるところを知らず、新聞やテレビに次々と取り上げられ、取材の依頼も絶えないと聞いた。そしてついに、広報部はルードをグッズに使用してもいいかと打診してきたのだ。
ロイヤルファミリーの一員として、観光客向けの売店や公式オンラインショップで売られるポストカード、マグカップ、クッキーなどに肖像がプリントされる。そのデータは、エリオットのカメラロールから提供された。
自分のはどうでもいいが、ルードの写真となれば話は別。スマートフォンとタブレットに保存された数百枚から候補の三枚を絞るのに、半日はかかった。最終的に選んだのは、不思議そうに小首をかしげたルードと、名前を呼ばれて振り向いたルード、そして舌を出して笑っているように見えるルード。
「グッズができあがったら、見本でワンセットくれるんだって」
「なら、マグカップがあったら知らせてくれ。事務所で使う用に買う」
座っても? とバッシュが隣を指すので、エリオットは左手で芝生を叩いた。
「ルード、おいで」
そこにジャーキーでも隠していると思っているのか、執拗にバッシュのベストのすそを食い破ろうとするルードを呼んで、エリオットは自分の右側に座らせると、その背中に腕を回してがっちり捕まえる。
「頼もしいセコンドだな」
「ほかに気を取られなきゃな」
ジャケットを脱いだだけの仕事終わりにも関わらず、疲れた様子ひとつ見せずにバッシュは腰を下ろした。
「触ってもいい?」
「……あぁ」
エリオットは左腕を伸ばして、バッシュの膝に手をのせた。スラックスの生地の下に、丸い骨の形を感じる。手のひらから伝わったエリオットの体温が、硬い膝でバターみたいに溶けてバッシュの熱と混ざり合った。
「散々だよ。あんたとケンカすると食欲なくなるし、ひと晩中そのことが頭から離れないし」
もっとゆっくり、穏やかに話すつもりだったのに、胸に迫った叫びたくなるような衝動のまま、エリオットはまくし立てた。
「おれは、話すのが得意じゃないんだよ。自分のことも、だれかのことも。その、無口ってことじゃなくてさ。自分を、だれかに分かってもらうためのトークが。だって……分かるだろ? なにも話さなくたって、みんなおれのことを知ってるんだ」
家族、名前、誕生日、生まれた病院、おくるみのブランド、初めて喋った言葉、歩いた日、好きなおやつ、お気に入りのおもちゃ。学校の成績、作文の中身。知られたくないこともぜんぶ。
「四、五歳のころ、『こんにちは、エリオット王子』って挨拶してきたおばあさんがいた。だれだったと思う? アメリカの大統領だ。有名で得してるって思われるかもしれないけどさ、自分の名前もろくに言えないころから、国民どころか違う大陸のひとまで自分のことを知ってるなんて普通に恐怖だろ。──待って、何が言いたいのか分からなくなってきた」
大きな手が、エリオットの手に重なった。
「エリオット、ゆっくりでいい」
あぁ、くそ。
エリオットは目を閉じて、震える息を吐く。
「……どこへ行っても、知らないひとからじろじろ見られて名前を呼ばれるのが、すごく怖かった」
「それで、透明マントがほしかったんだな」
「嫌なやつが来たら、隠れて話さなきゃいいだろ」
どうせ自分のことは知られているから話さなくていいと思ってたし、他人のこともその気持ちや内面にまで踏み込んで、根掘り葉掘りは聞きたくなかった。
だって、おれだったら聞かれたくないから。
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