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訳あり王子と秘密の恋人 第一部 第五章
6.キッチンガーデン
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ローズガーデンを抜けると、土を踏み固めた遊歩道は石畳の小道に変わる。六十センチ四方の大きなものから、十センチ四方の小さな石を並べたものまで、歩くのに支障がないくらいには整えられているものの、隙間にはこぼれ種から芽吹いたグリーンが這っている。両サイドからは、赤い頭のペルシカリア、ブルーに群れるニーレンベルギア、黄色のフロミスフルティコサなど、色とりどりの宿根草が小道を侵食しそうな勢いで咲いている。
色合いはもう秋だ。かすかに鼻にあたる風も、水を含んだように甘い夏の匂いがしなくなっていた。
花のあいだに顔を突っ込むルードが変なものを食べないように見張りもしながら、乾いた敷石の上を歩く。屋敷のほうへ十分ほど行くと、小道はふたつに分かれた。左へ行くとメドウガーデンを回り込んで正面の庭へつながる。右に折れると緑のトンネルがあって、潜り抜けた先がキッチンガーデンだ。
「これ、ゴールデンチェーンだな」
アーチの骨組みに誘引され見事なトンネルを作る植物に顔を寄せて、エリオットは呟いた。
「鎖ですか?」
「そう。マメ科の黄色い花で、藤みたいに垂れるんだ。こんだけの密度だったら、花の時期は見ものだろうな」
「あぁ、ですからゴールデンチェーンと」
「そう」
たぶん、このへんまで垂れる、とエリオットが自分の頭上数センチのところで手を振ると、イェオリは感心したように陽が差し込む緑の天井を見上げた。
「いつごろ咲くお花なのですか?」
「残念ながら、今年はもう終わってるよ。見られるのは来年の五月くらい」
「では、来年が楽しみですね」
「そういう言葉が出て来るイェオリの前向きさ、いいよな」
「腕時計ひとつ変えられない人間ですよ、わたしは。エリオットさまこそ、ガーデナーでいらっしゃるのですから、『この先』を楽しむ才をお持ちでしょう」
散った花を惜しむより、次の季節のために枝を切り、種をまくのが庭づくりだから。
「わたしは、お花についてお話されるような、生き生きとしたエリオットさまを、とても好ましく思っておりますよ」
「あ、ありがと……」
エリオットは、ぎくしゃくと顎を引く。
イェオリはいつもの微笑を口の端にのせているけれど、言葉の裏に含んだ意図を察するのはたやすかった。ゆううつを抱えて、食事も喉を通らないようなストレス要因は看過できませんよ、と。それでも、エリオットが自分で解決できる力があると信じてくれている。わざわざ遠回りを薦めたのも、それを伝えるためだろう。
まるで満開のゴールデンチェーンが揺れるように、差し込む木漏れ日がイェオリの頬や肩に落ちた。そういえば、あの花もバッシュの髪によく似た色をしている。
じゃなくて。
問題はそう、あいつの石頭が何色をしているかじゃなく、どういう回路でものを考えて喋ってるかってことだ。
せっかく抱きしめたい相手ができたのに、そしてそれが許されるはずの関係なのに、なぜよりによって自分の都合で相手がしり込みしなければならないのか。
「駄目だったとき」に実害があるのはエリオットだけだ。だったら試してみるくらいいいじゃないか。
ふつふつと湧き出る不満を散らすために、エリオットはいつもの倍くらいの歩幅でゴールデンチェーンのトンネルを抜け出した。
アーチの先にはフラワーメドウのようにレンガを積んだ壁があって、開放された木製の扉から向こう側のキッチンガーデンが見える。
ゲートを越え芝生へと変わった小道が、わずかに沈む靴底を柔らかく受け止めた。
菜園は木の枠でいくつかの区画に分けられ、ところどころに白樺の枝を組んだ支柱が立っている。西側はつるが絡みついたキュウリやトマトのネットなど、まだ夏の跡が残っていたけれど、東側はすでに土がならされたり畝たてが終わっていて、葉物野菜っぽいひょろひょろとした苗が等間隔に並んでいた。ガーデンの奥のほうでは、ネルシャツ姿の男がふたり、車輪のついた椅子に座って移動しながら、なにかを植え付けている。
なんだろう、玉ねぎの小種かジャガイモ?
いいな、おれもやりたい。
近くで見ようと、エリオットが収穫後のトウモロコシの株の横を通り過ぎようとしたとき、黄色く枯れた茎のあいだから、ぬっと大鎌が突き出された。
死神でも出たのかと驚いて足を止めたエリオットの尻に、よそ見をしていたルードがぶつかって目を丸くする。
「せいっ!」
威勢のいい掛け声とともにひらめいた大鎌は、エリオットの首ではなく茶色く枯れたトウモロコシの茎をばっさり刈り取った。そして倒れた株の跡から現れた見知らぬ青年も、小道に立ち尽くす闖入者たちに驚いたようだった。
「うわ、殿下」
うわ?
色合いはもう秋だ。かすかに鼻にあたる風も、水を含んだように甘い夏の匂いがしなくなっていた。
花のあいだに顔を突っ込むルードが変なものを食べないように見張りもしながら、乾いた敷石の上を歩く。屋敷のほうへ十分ほど行くと、小道はふたつに分かれた。左へ行くとメドウガーデンを回り込んで正面の庭へつながる。右に折れると緑のトンネルがあって、潜り抜けた先がキッチンガーデンだ。
「これ、ゴールデンチェーンだな」
アーチの骨組みに誘引され見事なトンネルを作る植物に顔を寄せて、エリオットは呟いた。
「鎖ですか?」
「そう。マメ科の黄色い花で、藤みたいに垂れるんだ。こんだけの密度だったら、花の時期は見ものだろうな」
「あぁ、ですからゴールデンチェーンと」
「そう」
たぶん、このへんまで垂れる、とエリオットが自分の頭上数センチのところで手を振ると、イェオリは感心したように陽が差し込む緑の天井を見上げた。
「いつごろ咲くお花なのですか?」
「残念ながら、今年はもう終わってるよ。見られるのは来年の五月くらい」
「では、来年が楽しみですね」
「そういう言葉が出て来るイェオリの前向きさ、いいよな」
「腕時計ひとつ変えられない人間ですよ、わたしは。エリオットさまこそ、ガーデナーでいらっしゃるのですから、『この先』を楽しむ才をお持ちでしょう」
散った花を惜しむより、次の季節のために枝を切り、種をまくのが庭づくりだから。
「わたしは、お花についてお話されるような、生き生きとしたエリオットさまを、とても好ましく思っておりますよ」
「あ、ありがと……」
エリオットは、ぎくしゃくと顎を引く。
イェオリはいつもの微笑を口の端にのせているけれど、言葉の裏に含んだ意図を察するのはたやすかった。ゆううつを抱えて、食事も喉を通らないようなストレス要因は看過できませんよ、と。それでも、エリオットが自分で解決できる力があると信じてくれている。わざわざ遠回りを薦めたのも、それを伝えるためだろう。
まるで満開のゴールデンチェーンが揺れるように、差し込む木漏れ日がイェオリの頬や肩に落ちた。そういえば、あの花もバッシュの髪によく似た色をしている。
じゃなくて。
問題はそう、あいつの石頭が何色をしているかじゃなく、どういう回路でものを考えて喋ってるかってことだ。
せっかく抱きしめたい相手ができたのに、そしてそれが許されるはずの関係なのに、なぜよりによって自分の都合で相手がしり込みしなければならないのか。
「駄目だったとき」に実害があるのはエリオットだけだ。だったら試してみるくらいいいじゃないか。
ふつふつと湧き出る不満を散らすために、エリオットはいつもの倍くらいの歩幅でゴールデンチェーンのトンネルを抜け出した。
アーチの先にはフラワーメドウのようにレンガを積んだ壁があって、開放された木製の扉から向こう側のキッチンガーデンが見える。
ゲートを越え芝生へと変わった小道が、わずかに沈む靴底を柔らかく受け止めた。
菜園は木の枠でいくつかの区画に分けられ、ところどころに白樺の枝を組んだ支柱が立っている。西側はつるが絡みついたキュウリやトマトのネットなど、まだ夏の跡が残っていたけれど、東側はすでに土がならされたり畝たてが終わっていて、葉物野菜っぽいひょろひょろとした苗が等間隔に並んでいた。ガーデンの奥のほうでは、ネルシャツ姿の男がふたり、車輪のついた椅子に座って移動しながら、なにかを植え付けている。
なんだろう、玉ねぎの小種かジャガイモ?
いいな、おれもやりたい。
近くで見ようと、エリオットが収穫後のトウモロコシの株の横を通り過ぎようとしたとき、黄色く枯れた茎のあいだから、ぬっと大鎌が突き出された。
死神でも出たのかと驚いて足を止めたエリオットの尻に、よそ見をしていたルードがぶつかって目を丸くする。
「せいっ!」
威勢のいい掛け声とともにひらめいた大鎌は、エリオットの首ではなく茶色く枯れたトウモロコシの茎をばっさり刈り取った。そして倒れた株の跡から現れた見知らぬ青年も、小道に立ち尽くす闖入者たちに驚いたようだった。
「うわ、殿下」
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