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訳あり王子と秘密の恋人 第一部 第五章
4.イェオリ
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記事は削除して構わないと言われたので、エリオットはすぐに画像をタップしてデリートした。侍従たちの共有フォルダにアーカイブしているだろうから、必要ならそこから見られる。見ることもないだろうが。
「本日の連絡事項は以上となります。ご質問は?」
「特には」
エリオットが端末の電源を落とすと、イェオリも折り返していたネイビーのタブレットケースを閉じた。それからジャケットの袖をずらして、腕時計を見る。ピンクゴールドのフレームに、こげ茶のベルトがクラシカルな印象を受ける。やや大きめの白い文字盤には、デイデイトが施されていて機能的だ。
「そろそろスタッフが到着しますので──」
「その時計」
「はい」
「いつもしてるよな」
バッシュは腕時計をいくつか持っていて、スーツの色味に合わせて変えると言っていた。実用品でありつつ、ファッションアイテムのひとつらしい。けれどエリオットの記憶にある限り、イェオリの手首には、いつも同じ時計が覗いている。
イェオリは風防を指でなぞり、なにか温かいものに触れたようにほほ笑んだ。
「母から贈られた、成人祝いのプレゼントです」
「じゃあ十年も?」
「当時の成人は二十歳でしたので、八年ほどになります」
それにしたって、毎日それだけを使うのに八年は長い。
いいものだろうとは思ったが、そこまで年季が入っているとは。
「ずっと着けてるのか? 親孝行だな」
「いえ、そのようなことは」
「でも喜んでるだろ?」
「残念ながら反応は分かりません。わたし宛の遺品の中から見つけたものなので」
さらりと付け足された言葉に、エリオットは固まった。
「……そう、なんだ」
哀悼の意を、とかそんな外向けの言葉は喉にはりついて出てこない。かろうじて、バカみたいな相槌を絞り出して、頭を抱えたくなった。
エリオットはまだ、ちかしい人を亡くしたことがなかった。いや、亡くしてはいるけれど、父方の祖父母も母方の祖母も、天に召されたのはエリオットが生まれる前だ。だから動揺した。隣に座る青年の、杏色の頬に悲しみが浮かんでいたら。彼が経験した喪失に、なんと言葉をかけていいか分からない。
どうして自分は、ひとに寄り添うのがこんなにへたくそなんだろう。
「すみません。時計について聞かれたときは、ごまかさないと決めているんです。本当に触れてほしくない話題でしたら、そもそも自室の金庫にでも閉じ込めておりますから、お気になさらず」
イェオリはエリオットに微笑みかけた。この話題は、いままで何度も繰り返して来たやりとりなのかもしれない。
「いいかげん古いものですし、そろそろ年齢にあったものをとは思っているのですが……踏ん切りをつけられないだけなんです」
エリオットは顔を上げて、ただ穏やかに語るイェオリへ向き直った。ベンチに置いた右手をぎゅっと握って、ほんの少しだけ彼のほうへ体を傾ける。
「踏ん切りなんてつけなくていいだろ。その時計、イェオリの雰囲気に合ってるよ。どんな色のスーツ着てても、イェオリらしくて。それって、お母さんがイェオリの選ぶものの好みとか、ちゃんと分かってて、浮かないようなものを選んでくれたってことだろ。六十歳になったって、その時計はイェオリに似合ってると思う」
混じりけのない黒い瞳が、エリオットを見て瞬いた。そして、片手で口元をおさえて笑い出す。
「なに?」
「いえ……わたしたちはどちらも、よい主人に恵まれましたと思いまして」
イェオリの視線を追うと、ルードがエリオットのパンツの裾を齧っていた。
「本日の連絡事項は以上となります。ご質問は?」
「特には」
エリオットが端末の電源を落とすと、イェオリも折り返していたネイビーのタブレットケースを閉じた。それからジャケットの袖をずらして、腕時計を見る。ピンクゴールドのフレームに、こげ茶のベルトがクラシカルな印象を受ける。やや大きめの白い文字盤には、デイデイトが施されていて機能的だ。
「そろそろスタッフが到着しますので──」
「その時計」
「はい」
「いつもしてるよな」
バッシュは腕時計をいくつか持っていて、スーツの色味に合わせて変えると言っていた。実用品でありつつ、ファッションアイテムのひとつらしい。けれどエリオットの記憶にある限り、イェオリの手首には、いつも同じ時計が覗いている。
イェオリは風防を指でなぞり、なにか温かいものに触れたようにほほ笑んだ。
「母から贈られた、成人祝いのプレゼントです」
「じゃあ十年も?」
「当時の成人は二十歳でしたので、八年ほどになります」
それにしたって、毎日それだけを使うのに八年は長い。
いいものだろうとは思ったが、そこまで年季が入っているとは。
「ずっと着けてるのか? 親孝行だな」
「いえ、そのようなことは」
「でも喜んでるだろ?」
「残念ながら反応は分かりません。わたし宛の遺品の中から見つけたものなので」
さらりと付け足された言葉に、エリオットは固まった。
「……そう、なんだ」
哀悼の意を、とかそんな外向けの言葉は喉にはりついて出てこない。かろうじて、バカみたいな相槌を絞り出して、頭を抱えたくなった。
エリオットはまだ、ちかしい人を亡くしたことがなかった。いや、亡くしてはいるけれど、父方の祖父母も母方の祖母も、天に召されたのはエリオットが生まれる前だ。だから動揺した。隣に座る青年の、杏色の頬に悲しみが浮かんでいたら。彼が経験した喪失に、なんと言葉をかけていいか分からない。
どうして自分は、ひとに寄り添うのがこんなにへたくそなんだろう。
「すみません。時計について聞かれたときは、ごまかさないと決めているんです。本当に触れてほしくない話題でしたら、そもそも自室の金庫にでも閉じ込めておりますから、お気になさらず」
イェオリはエリオットに微笑みかけた。この話題は、いままで何度も繰り返して来たやりとりなのかもしれない。
「いいかげん古いものですし、そろそろ年齢にあったものをとは思っているのですが……踏ん切りをつけられないだけなんです」
エリオットは顔を上げて、ただ穏やかに語るイェオリへ向き直った。ベンチに置いた右手をぎゅっと握って、ほんの少しだけ彼のほうへ体を傾ける。
「踏ん切りなんてつけなくていいだろ。その時計、イェオリの雰囲気に合ってるよ。どんな色のスーツ着てても、イェオリらしくて。それって、お母さんがイェオリの選ぶものの好みとか、ちゃんと分かってて、浮かないようなものを選んでくれたってことだろ。六十歳になったって、その時計はイェオリに似合ってると思う」
混じりけのない黒い瞳が、エリオットを見て瞬いた。そして、片手で口元をおさえて笑い出す。
「なに?」
「いえ……わたしたちはどちらも、よい主人に恵まれましたと思いまして」
イェオリの視線を追うと、ルードがエリオットのパンツの裾を齧っていた。
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