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訳あり王子と秘密の恋人 第一部 第四章
11.衝突
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『初日にしては、ずいぶん落ち着いてるな』
「屋敷の中をひと回りしたし、この部屋が一番おれの匂いがついてんじゃない?」
エリオットは、どの部屋にあるクッションよりも柔らかなルードの毛並みにもたれた。重量級の体は、余裕でそれを受け止めてくれる。
『さてはお前、ルードに無制限立ち入り許可を与えたな?』
バッシュはスマートフォンを持っていないほうの手を頭の後ろに回し、くつろいだ様子だ。ここにいるときにくつろいでないというわけじゃなく、完全な自分のテリトリーだからこそ出る素振り。
「……安心しろ。一例目はあんただし、三例目はない」
カルバートン宮殿はまがりなりにも王子の住まいなので、出入りするスタッフにも来客にもエリア別に立ち入りの制限がある。フリーパスなのが屋敷の主人であるエリオットで、バッシュにも同じ権限を付与していた。そしてルードに対しても、危険がない限りどこにいても叱らないようスタッフに伝えてある。
「これだけ大きな体してんだから、歩き回るくらい自由にさせないとかわいそうだろ」
『ついでに、ルードをベッドに上げないと言ってくれれば安心なんだがな。お前の隣で眠る特権まで奪われるなら、おれはそいつに決闘を申し込むぞ』
「ふーん。おれと同じベッドで寝てくれる気はあるんだ」
キャロルと「デート」しても平気なのに、犬には嫉妬するのか。
エリオットが軽口をたたくと、バッシュの頬は水が凍るようにこわばった。
『……悪い。お前に話すことじゃないな』
座り直したせいで、画面が大きく揺れる。再び映った彼は、腕の長さ分だけしか離れていないはずなのに、ずっと遠ざかっているような気がした。
なぜだか分からないけれど、それが無性に気に食わなかった。どうして、という憤りが、攻撃的な気持ちに転嫁される。
「話せよ」
ルードの首に回した腕に力を込めて、エリオットは唇の間から唸るように言った。
『口が滑ったのは認める。でも、この話は流せ』
「そうやってひとりで余裕ぶって、物分かりがいいふりされるとムカつくんだけど。こういうこと、おれは話題に出すのもダメなわけ?」
剣呑な空気を嗅ぎ取って、床に伏せていたルードがすっと体を起こした。座っただけでも、頭の位置はエリオットより上にある。くんくんと髪に鼻先をこすりつけてくるルードの顎を撫で、怯みそうになる心を奮い立たせた。
『そうじゃないが……。あのとき震えてただろう』
震え?
バッシュの言う「あのとき」思い当たった瞬間、エリオットは反射的に片手で頬を押さえた。ハウスでの、広い背中に隠した秘めやかで濃密な指の動きをなぞり、背中を丸める。
「あ、あれは怖がったんじゃない!」
むしろ期待したのだ。力強い腕に囲われ、上等な生地に覆われた胸に抱き寄せられて、キスされるのを。そして──あんなところで想像するにはふさわしくないことまで。
エリオットは舌をのどに詰まらせて窒息しそうになった。恥よりはマシな死に方かもしれない。よりによって自分のはしたない反応を、バッシュがしっかり観察していただなんて。
あまりに恥ずかしくて、バッシュと目が合わせられない。それがまた事態を悪化させた。
バッシュが暗い声で悪態をつく。
『悪かった。あんな風に、自分の欲でお前に触るべきじゃなかった』
ちょっと待て。
それは聞き捨てならない。エリオットはなんとか自分を取り戻した。
「違うって言ってんじゃねーか。おれの気持ちはどうでもいいってことかよ」
『お前は、気持ちと体が一致しないことがあるだろう。それに言ったはずだ。これでも必死なんだ。側にいると……いないときでも、おれはお前に触れたいと思ってる』
それのなにが悪いんだ。おれだってあんたに触りたい。
エリオットが息巻くと、バッシュは自嘲するように息をついた。
『お前を怖がらせてまで、することじゃない。パニックの発作を起こしてるのを見ると死ぬほど心配になるんだ。おれは、お前を傷つけるものは許せない。それが自分でも』
「……じゃあなにか、この先も一生、あんたおれに触らないつもりか?」
『一生というわけじゃない。でも、いますぐじゃなくていいと言ってるんだ』
冗談だろ?
「おれはティーンの生娘か? あんた、いつから石頭の父親になったわけ?」
『この件に関して、交渉の余地はない』
「ふざけんな。おれのこと、あんたが勝手に決めてんじゃねーよ」
触れられないのも怖がるのもエリオットの都合で、その負い目はエリオットが負うべきなのに。
おかしい。完全に立場が逆転している。
「……おれが王子だから?」
だから、自分自身からも守ろうとしているのか?
『お前が大事だからだ』
返ってきた答えは、ただ真っ正直なものだった。
どういうつもりなのか、分からないわけじゃない。バッシュは、トラウマを刺激するものからエリオットを遠ざけようとしているのだ。エリオットが、自分の精神状態を完全にはコントロールできないから。でもそれは、交通事故に遭うのを心配するあまり、子どもを家の中に閉じ込めるようなものじゃないか。しかも、エリオットに対する自分の気持ちを、まるで「抑えるべき欲求」であるかのようにとらえている。
愛が罪だなんて、どんなメロドラマだよ。
エリオットは奥歯を噛みしめて、ルードの毛並みに顔をうずめた。
「分からずや」
『お前もな』
「頑固者!」
『好きに言え』
「ムッツリ!」
『……それは否定しない』
しねーのかよ!
いくら責め立てても決して声を荒げたりしないバッシュに、最後までエリオットが付け入る隙などあるはずが無かった。
「屋敷の中をひと回りしたし、この部屋が一番おれの匂いがついてんじゃない?」
エリオットは、どの部屋にあるクッションよりも柔らかなルードの毛並みにもたれた。重量級の体は、余裕でそれを受け止めてくれる。
『さてはお前、ルードに無制限立ち入り許可を与えたな?』
バッシュはスマートフォンを持っていないほうの手を頭の後ろに回し、くつろいだ様子だ。ここにいるときにくつろいでないというわけじゃなく、完全な自分のテリトリーだからこそ出る素振り。
「……安心しろ。一例目はあんただし、三例目はない」
カルバートン宮殿はまがりなりにも王子の住まいなので、出入りするスタッフにも来客にもエリア別に立ち入りの制限がある。フリーパスなのが屋敷の主人であるエリオットで、バッシュにも同じ権限を付与していた。そしてルードに対しても、危険がない限りどこにいても叱らないようスタッフに伝えてある。
「これだけ大きな体してんだから、歩き回るくらい自由にさせないとかわいそうだろ」
『ついでに、ルードをベッドに上げないと言ってくれれば安心なんだがな。お前の隣で眠る特権まで奪われるなら、おれはそいつに決闘を申し込むぞ』
「ふーん。おれと同じベッドで寝てくれる気はあるんだ」
キャロルと「デート」しても平気なのに、犬には嫉妬するのか。
エリオットが軽口をたたくと、バッシュの頬は水が凍るようにこわばった。
『……悪い。お前に話すことじゃないな』
座り直したせいで、画面が大きく揺れる。再び映った彼は、腕の長さ分だけしか離れていないはずなのに、ずっと遠ざかっているような気がした。
なぜだか分からないけれど、それが無性に気に食わなかった。どうして、という憤りが、攻撃的な気持ちに転嫁される。
「話せよ」
ルードの首に回した腕に力を込めて、エリオットは唇の間から唸るように言った。
『口が滑ったのは認める。でも、この話は流せ』
「そうやってひとりで余裕ぶって、物分かりがいいふりされるとムカつくんだけど。こういうこと、おれは話題に出すのもダメなわけ?」
剣呑な空気を嗅ぎ取って、床に伏せていたルードがすっと体を起こした。座っただけでも、頭の位置はエリオットより上にある。くんくんと髪に鼻先をこすりつけてくるルードの顎を撫で、怯みそうになる心を奮い立たせた。
『そうじゃないが……。あのとき震えてただろう』
震え?
バッシュの言う「あのとき」思い当たった瞬間、エリオットは反射的に片手で頬を押さえた。ハウスでの、広い背中に隠した秘めやかで濃密な指の動きをなぞり、背中を丸める。
「あ、あれは怖がったんじゃない!」
むしろ期待したのだ。力強い腕に囲われ、上等な生地に覆われた胸に抱き寄せられて、キスされるのを。そして──あんなところで想像するにはふさわしくないことまで。
エリオットは舌をのどに詰まらせて窒息しそうになった。恥よりはマシな死に方かもしれない。よりによって自分のはしたない反応を、バッシュがしっかり観察していただなんて。
あまりに恥ずかしくて、バッシュと目が合わせられない。それがまた事態を悪化させた。
バッシュが暗い声で悪態をつく。
『悪かった。あんな風に、自分の欲でお前に触るべきじゃなかった』
ちょっと待て。
それは聞き捨てならない。エリオットはなんとか自分を取り戻した。
「違うって言ってんじゃねーか。おれの気持ちはどうでもいいってことかよ」
『お前は、気持ちと体が一致しないことがあるだろう。それに言ったはずだ。これでも必死なんだ。側にいると……いないときでも、おれはお前に触れたいと思ってる』
それのなにが悪いんだ。おれだってあんたに触りたい。
エリオットが息巻くと、バッシュは自嘲するように息をついた。
『お前を怖がらせてまで、することじゃない。パニックの発作を起こしてるのを見ると死ぬほど心配になるんだ。おれは、お前を傷つけるものは許せない。それが自分でも』
「……じゃあなにか、この先も一生、あんたおれに触らないつもりか?」
『一生というわけじゃない。でも、いますぐじゃなくていいと言ってるんだ』
冗談だろ?
「おれはティーンの生娘か? あんた、いつから石頭の父親になったわけ?」
『この件に関して、交渉の余地はない』
「ふざけんな。おれのこと、あんたが勝手に決めてんじゃねーよ」
触れられないのも怖がるのもエリオットの都合で、その負い目はエリオットが負うべきなのに。
おかしい。完全に立場が逆転している。
「……おれが王子だから?」
だから、自分自身からも守ろうとしているのか?
『お前が大事だからだ』
返ってきた答えは、ただ真っ正直なものだった。
どういうつもりなのか、分からないわけじゃない。バッシュは、トラウマを刺激するものからエリオットを遠ざけようとしているのだ。エリオットが、自分の精神状態を完全にはコントロールできないから。でもそれは、交通事故に遭うのを心配するあまり、子どもを家の中に閉じ込めるようなものじゃないか。しかも、エリオットに対する自分の気持ちを、まるで「抑えるべき欲求」であるかのようにとらえている。
愛が罪だなんて、どんなメロドラマだよ。
エリオットは奥歯を噛みしめて、ルードの毛並みに顔をうずめた。
「分からずや」
『お前もな』
「頑固者!」
『好きに言え』
「ムッツリ!」
『……それは否定しない』
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