箱庭の子ども〜世話焼き侍従と訳あり王子〜

真木もぐ

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訳あり王子と秘密の恋人 第一部 第四章

10.名付け

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 ありがたいことに、シロクマと見紛うばかりの大型犬が示したエリオットへの興味は、一過性のものではなかったらしい。

 予定通り陽が沈む前にカルバートンにやってきたラッキードッグは、施設を案内した女性スタッフが裏口に停めた車の中で、迎えに出たエリオットにしっぽを振りたくった。そしてハッチが開くと、今回は障害物に邪魔されることなく、五十キロオーバーの巨体で思う存分エリオットにじゃれつき、服を抜け毛まみれにした。

 顔中舐め回されたエリオットはくすぐったさに笑い転げたが、助け起こすわけにもいかないイェオリは、いまにも圧し潰されそうな王子と大きすぎる犬をハラハラと見守り、シェルターのスタッフは「ぬ、抜け毛が多い犬種で……」と消え入りそうな声で言うのがやっとだった。離宮を毛玉で埋め尽くすのを恐れたのかもしれない。

「──だからさ、うちの掃除機の性能をこれでもかってくらいにアピールしておいた」
『スタッフはさぞ安心しただろうな。それで、わが国の高貴なる王子を地面に転がした不届きものはどこだ?』

 椅子から床におりたエリオットは、笑いながらスマートフォンを傾けると、両脚に顎をのせて寝そべるピレニアンにカメラを向ける。

『よう、ラッキードッグ。お前は人を見る目があるな』

 自分に話しかけられたのが分かるらしい。顔に埋まっていた耳が前を向き、スマートフォンに黒いつやつやの鼻先を押し付けてふすふすと返事をした。ミシェルやスタッフには見向きもしなかったのを思えば、かなり友好的だ。

 挨拶がすむと、エリオットはふたたび画面を自分に向ける。

 映っているバッシュはグレーのTシャツ姿だった。シャワーのあとなのか、髪が濡れて血色のいい頬がいつもより赤い。もたれているのは木目のベッドボードで、壁に貼っているポスターが肩の上に見切れていた。スパイダーマンだ。おそらくマーベルじゃないほうの。

「……あのさ、名前考えて」

 初めて見るバッシュの私的な空間にどきどきして、口から出た言葉はややぶっきらぼうになった。

『名前?』
「あした、こいつとの写真を撮って広報のSNSに載せるんだって。そこに名前も入れるから、考えておいてくれって」

 体に比べて毛が短い額を、指の関節でマッサージしてやった。目の上に数本生えている黒い毛が、ぴくぴくと動く。これは眉毛なんだろうか。

 犬にも眉毛ってあるのか?

『お前の犬だろう?』
「だったら、あんたの犬でもある」
『なるほど』

 頷いたバッシュは、映画の悪役がするように唇の端を吊り上げる。何を企んでいるか知らないが、ろくなことじゃないはずだ。

『じゃあ、ケルベロ──』
「却下!」

 案の定、真っ白な毛並みと愛嬌のある顔とはかけ離れた名づけを一蹴する。

 バッシュは「冗談だ」と肩をすくめたあと、首筋をさすりながら視線を斜め上に投げた。こんどこそ本気で考えているのだろう。

 べつに、マックスでもチャーリーでも構わない。ケルベロスはさすがに論外だけれど、重要なのはバッシュが名付け親になること。このふわふわであたたかい生き物に、愛着を持ってほしかった。エリオットが飼っているというだけの理由ではなくて、だ。

 意図を察したのか、それともこだわりがあるのか、バッシュはしばらく沈黙してから真剣な顔をカメラに向けた。

『ルード』
「ルード?」

 ルードヴィッヒかルドルフ?

 またたいそうな名前だな。

「王子が飼ってるのが皇帝ってどうなんだ」
『だから、ただの「ルード」だ』

 なるほど。

 とにかく大きくて威厳があるところは皇帝っぽいし、好きだと決めたら一心不乱に甘えて来るところは愛称で呼ぶのが合っている。

「ルード」

 新しい家族に呼びかければ、頭を上げてエリオットの手をひとなめし、ボリュームのあるしっぽで応えた。

「おいちょっと見たか? ちゃんと自分のことだって分かってる。ルードは天才だな」

 エリオットが感動して言うと、バッシュは呆れたように目を回した。

『もう親ばかか?』

 うるさい、事実だろ。
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