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訳あり王子と秘密の恋人 第一部 第四章

1.リバーハウス

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 あれから一週間ほど、バッシュとはタイミングが合わずにメッセージアプリで日常の短いやり取りしかしていない。ただ近いうちに、時間を取って話をしようと決めていた。ナサニエルに励まされたこともあるが、やはりバッシュのほうから触れてくれたというのが大きい。手を繋いだわけでもキスをしたわけでもないけれど、それだけで周りを覆っていた靄が晴れていくような気分だった。

 そして目の前に広がる芝生の広場には、転げまわる多種多様な犬、犬、犬。

「天国だな……」

 エリオットはうっとりと呟いた。

 九月最初の週末。ミシェルとともに訪れたリバーハウスは、保護犬のシェルターだった。

「こちらはドッグランです。ここを囲むように建ってるのが、南から動物病院、犬舎、スタッフの事務所、そしてグッズを売るショップです」

 施設の名前がプリントされたポロシャツ姿の女性スタッフが、ミシェルとエリオットにてきぱきと説明する。

「当施設の受け入れ可能数は二十五頭。通常は十五頭から二十頭ていどを保護しています」
「通常と言うのは?」

 ミシェルが尋ねる。ファッションアイコンだという王太子妃は、動物相手を意識してカジュアルな出で立ちだった。深緑に白いドットのブラウスと、細身のデニム。シンプルな装いが、国中の女性が憧れるスマートなスタイルを引き立たせている。
 しかしエリオットの視線は傍らの義姉ではなく、芝生でじゃれ合うダックスフントと、コーギーっぽいミックス犬にくぎ付けだった。ここにキャロルがいたら、また呆れられたかもしれない。

 思い付きのようにエリオットを伴って来たミシェルだったが、義弟の厄介な事情を忘れてはいなかった。
 出迎えた大勢のスタッフたちは期待に満ちていた。有名人を生で見て、あわよくば握手ができるかもしれないとうずうずして。けれどミシェルは、花が咲くような笑顔でスタッフたちに声をかけながらも、体の前に抱えた小さなハンドバッグから両手を離さなかった。それがあまりに自然だったから、手ぶらのエリオットがその後ろを歩いていても、だれも握手を求めて身を乗り出したりすることはなかったのだ。

 周囲に悟らせることなくエリオットを守ってくれたミシェルに感謝しかないが、ナサニエルが提唱した「高嶺の花作戦」の手本を見たようで、内心、感心し通しだった。

「残念ながら、年度末から初めにかけては、ここへ来る子が増える傾向があります」
「年度末と保護犬に、どう言った関係があるの?」
「新生活が始まって、引っ越しで飼えなくなったとか。逆に、新居で飼ってみたけど手に余ったなどの理由で持ち込まれる件数が増えるんです」
「そんな理由で?」

 ありえない、とエリオットが振り返ると、犬好きであろうスタッフも大きくうなずいた。ブロンドを束ねたポニーテールが、激しく宙を舞う。思わず悪態をつこうと口を開くより先に、さりげなく側に控えていたイェオリが咳払いをした。

 危ね。仕事だ。

 エリオットはシャツの襟を直すふりをしながら、ドッグランのフェンス前に並ぶマスコミを盗み見た。取材には王室担当記者しか入れていないので、撮影不可の場所ではお行儀よくしていてくれる。けれど目と耳はしっかりこちらの動向を窺っているから、なかなか気が抜けなかった。

「えっと……ここの運営はどのように?」
「立ち上げには行政の協力がありましたが、現在はほとんが支援者からの寄付金です。スタッフは有償と無償のボランティアで、もちろん資金も人手も潤沢とは言えません」
「努力なさっているんですね」

 ここへ犬を連れて来たやつから、養育費を強制徴収する制度を作ればいいのに。

 でもそうすれば、金を払いたくない飼い主から、施設外に捨てられる犬を増やすだけなのだろう。

「ここへ来た子には去勢と避妊手術、そして基本的なしつけを行います」
「しつけまで?」
「以前は、ただ保護して譲渡するという体制でした。けれど残念ながら、ここへ戻って来る子も一定数いたんです。そこで、しつけまで行ったうえで譲渡する試みを始めました」
「新しい家族の負担を軽くするためね」
「はい」

 ここを訪れる中には、犬を飼うのが初めてという人も大勢いる。無駄吠えをせず、トイレトレーニングができているだけでも、格段に扱いやすくなるだろう。事実、譲渡されたものの「やっぱり無理だった」とシェルターへ戻されることは、まずなくなったとスタッフは胸を張った。

 犬たちにとってもいいことだと理解しながら、自分たちに都合よく訓練された相手じゃないと愛せない人間がいることに、エリオットは苦いものを感じた。

「では、犬舎をご案内します」

 ふわふわのしっぽを振りながら、小さな牙で甘噛みしあう犬たちに後ろ髪ひかれながら、エリオットはぞろぞろと移動する一団とともにドッグランをあとにした。
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