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訳あり王子と秘密の恋人 第一部 第三章

7.持つべきものは友

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 こういうとき、エリオットが電話を掛けられる相手は、ひとりしかいない。

「反則じゃない? スーツ着てると思ったら一瞬でパンイチとかさ!」
『あっははは!』

 夜遅くだというのに、ナサニエルは昼間のような明るさで遠慮なく笑った。もっとも、彼にとってはまだ宵の口かもしれないが。

 寝室の扉をぴっちり閉め切ったエリオットは、ベッドの影で自分が受けた衝撃的なスキンシップについて滔々と愚痴をこぼす。

『きみたち、本当におもしろいよね。実はそういうプレイを楽しんでるんじゃないか、なんて気までしてくるよ』
「そんな趣味ないんだけど!」
『でも、興奮した?』
「……危うくベイカーの前で人権を失うところだった。どうしよう、恥ずかしすぎる。お婿に行けない」
『大丈夫。きみのオムツを取り換えてたベイカー相手に、いまさら恥もなにもないよ。それにきみが婿に行かなくても、彼を婿養子にすればいいじゃない』

 なるほど。

 じゃねーわ。

 エリオットは膝のあいだに頭を落とし、深いため息をつく。

「……自分が嫌になる」
『あれ? ひょっとして深刻な話?』

 ちょっと待ってて、とナサニエルが言った。

 もしかしてお取込み中だったかとエリオットは身構えたが、スピーカーの向こうから聞こえるのは冷蔵庫かクーラーを開け閉めする音と、ガラスがぶつかる音。それから炭酸飲料の栓を抜いた時の、しゅぽんっという間抜けな音。

『──お待たせ、ハニー』

 エールかコーラか、とにかく飲み物を手にしたらしいナサニエルが、エリオットに懺悔を促した。

『こんどは、どんなことで落ち込んでるのさ」
「ラスと話してて……あいつが気を遣ってるんじゃないか、もっとあいつを尊重するべきじゃないかって思ってたんだ。でも、あいつに触られたらそんなの全部吹っ飛んで、次の瞬間にはもっとほしいって思うんだよ。指先から噛みついて、あいつのぜんぶを食べちゃえたらいいのにって」
『熱烈な恋だね』
「おれ、こんなわがままじゃなかった」
『きみが理性と欲望のはざまで苦悩しているのは分かったよ。でも、いい傾向じゃない?』
「なにが?」
『今回は、セクシャルな触れ方をしても怖くなかったんだよね?』

 まぁ、びっくりはしたけど。

「でも、次はだめだったら?」
『だから、そこは話し合いだよ。少なくとも、食べてしまいたいくらいに、きみが彼を愛してることは、いつも伝えなくちゃ』

 エリオットは、スマートフォンを右から左に持ち替える。空いた手で、毛足の長いラグを撫でた。ほこりも立たないほど徹底的に掃除されたグレーの毛羽立ちが、行き来する手のひらの下で裏、表、裏、と陰影で模様を作る。

「それは……気持ちの押し付けにならない?」
『エリオット』

 ナサニエルが呼びかけた。

『こうしたら嫌がられないかな、とか、どこまで踏み込むのが許されてるのかなんて、相手に確かめてみないと分からないよ。反対に、きみはオープンにしてるつもりでも、相手にはぜんぜん伝わってないことだってあるんだ。そういうのは、少しずつ積み重なって不満になる』

 そして気付いたときには、大きな溝となって横たわっているのだ。

「……脅さないでくれる?」
『ぼくだって、こんな説教じみたことを言って、きみに電話を切られやしないかと恐れてる。だからといって黙ってうなずいてるだけじゃ、ぼくの愛は伝わらないだろう?』
「ニールは、一番の友達だよ」
『ありがとう』

 エール──もしくはコーラ──のビンを傾け、喉を鳴らす気配がする。
 美術館の帰り道、誘惑を断ったエリオットが、ナサニエルの変わらない態度にほっとしたように、彼もまた安堵したのかもしれない。
 違うのは、ナサニエルは恐れを伝えられる強さを持っていること。うじうじと考えてばかりいるエリオットとの間に溝ができないのは、彼がそうやっていつも歩み寄ってくれるからだ。

 靴の先をこすり合わせて、エリオットは膝を抱え込んだ。

 言葉なんて必要としない、本能だとか運命だとか、そんな理由で一緒にいられればいいのに。でもそうじゃないから、分かり合うためには言葉を尽くさなくてはならない。

 分からないと思ってるのは、エリオットだけかもしれないけど。

『そうだな……きみはまず、ご立派な家庭教師から教わったであろう、ものごとを無駄に客観視する「王子の思考」を、彼との間に持ち込むのをやめなよ』

 エリオットは驚いた。

「おれが、客観的に自分を見てると思う?」

 自分の都合で、バッシュを振り回した覚えしかないのに。

『自分の性的指向が国民にどう影響するか考える時点で、主観的じゃあないよね。きみ、言うほどわがままでもないし、冷静だよ。ちょっとバグが発生して、パニックになってるだけでね』

 恋愛はバグか。

 エリオットが深いため息をつくと、カウンセリングは終わりとばかりに、ナサニエルの声が軽くなった。

『ところで、お休みのキスはどうだった?』
「カメラが何百台もあるハウスだよ。キスなんてできるわけないだろ」

 あれは、疑似的なキスといってもいいかもしれないけど。

 意気地なしめ、とナサニエルがブーイングを飛ばす。

『そうすると、頬をつつかれただけで反応しちゃったの? 初心だねぇ』
「不意打ちだったんだよ! あんな触り方、外でされたことないし!」

 もうあと三秒長く触れていたら、あの手に頬を摺り寄せるくらいしたほどだ。エリオットなんて、いまだに「恋人、ボディタッチの仕方」でグーグル検索をしているというのに。

『よかったじゃない。きみの「男性機能」に問題はなさそうで』

 思ってもみないところでそのネタを持ち出され、エリオットはベッドの側面にもたれた。めいっぱい首をそらして、頭をシーツに突っ込みながらシャンデリア風の照明が照らす天井を見上げる。

「『パレード』を読んだ?」
『きみの記事は、ひとつ残らずチェックしてるよ。いかにも下世話だったけど』
「あいつがキレてた」
『でも、ゴシップとして目の付け所は悪くない。実際、注目度は「デイリー・ニュー」の次に高い。続報があれば、もっと売れるだろうね』
「カルテのセキュリティ強化を申請しておく」
『妥当だね』

 答えが出たようで出ていない会話。当たり前だ。これはエリオットとバッシュの問題なんだから。それでも、ひとりで悶々としているより、ずっと気が楽になった。
 さしあたっての効果は、布団に潜って自分を慰めなくても眠れそうなことだ。
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