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訳あり王子と秘密の恋人 第一部 第ニ章
11.保身の何が悪い?
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一時間ほどで、「デート」は終了した。
見送りに来た年配の館長に挨拶して外へ出ると、拡散した情報に引き寄せられた野次馬とパパラッチが、カメラを抱えて待ち構えていた。
歓声を上げる市民に手を振りながら、怪しい空模様を見上げて「夕立が来そう」と言ったキャロルに、「家までもつといいね」と答え、エリオットは玄関に横づけされた車に乗り込む。プライベートだから、カメラへのサービスタイムは無しだ。彼らはツーショットを撮れただけで大喜びだろうが。
イェオリが助手席でシートベルトをつけ、警護チームの車両を引き連れて美術館の敷地から出たところで、エリオットのスマートフォンが鳴った。
「はい」
『ちょっときみ、フラれたにしても乗り換え早すぎじゃないかい?』
「ニール?」
思わず、エリオットは後ろを振り返った。
いやいや、まさか野次馬の中にはいないだろうけど。あまりにタイミングが良すぎて友人が恐ろしくなってくる。
「フラれた覚えも、乗り換えた覚えもないんだけど」
『ふぅん?』
エリオットはくしゃくしゃと頭をかき回した。
「彼女を恋人だって明言することはないし、向こうもおれと付き合ってるなんてことは言わない」
『なるほど、フェイクってわけだね』
「いろいろ、事情があるんだ」
『まぁ、同性の恋人を公表しづらい君の立場には同情するよ』
こちらの思惑など一切話していないのに、正確に言い当てるナサニエルには、毎度のことながら脱帽だ。
現在のシルヴァーナでは、同性同士の結婚も当たり前のように合法だ。だからエリオットとバッシュも、結婚しようと思えば法的な障害は存在しない。この茶番は、バッシュの仕事への影響と、エリオットの第二王子としての「責任」を鑑みた上の保身だった。
たとえば事故や病気、災害など、とにかく起こり得るかぎり最悪の不幸が家族を襲って、父と兄が同時期に世を去ってしまったら。そのとき、まだサイラスに子どもがいなかったら。ゴッド・セイブ・ザ・キング。その日のうちにエリオットは国家元首になってしまう。国民は悲劇を乗り越えるため、新たな希望を乞うだろう。王妃と、次代の王位継承者だ。
エリオットの姓が国名と同一であることから分かるように、シルヴァーナは建国以来、周辺国の王族と姻戚関係を結びながらも、一つの王朝を継いできた稀有な国だ。親から子へ、子から孫へ。その安定的な王位継承に、国民は慣れ切っている。
『同性の配偶者を持つ王がいたっていいと思うけどね。歴史上、子どもを作らずに死んだ王はたくさんいる』
国と結婚した女王とか。
「それを言えるのは、歴史を後追いで見てるからだろ」
ほかに王位継承権を持つ者がいるのと、実際にエリオットが権利を放棄するのはまったくの別問題だ。
王子が戴冠を拒否するなんてこと、だれも夢にも思っていない。国で一番の権力とリッチな生活が保障されているのに、それを望まない人間がいるなんて。
国民の無意識の期待を裏切れるほど、エリオットは強くないし、あるべき個人の幸福や人権という概念は、都合よく忘れられている。王室とは「そういうもの」なのだ。
我ながら、ありもしない未来を、よくそこまで心配できるものだと思う。それでも兄夫婦にひとりかふたり子どもが生まれて、弟王子はどうぞご自由に、という空気ができあがるまで、エリオットは物議をかもすであろうバッシュとの関係を公にするつもりはなかった。
国の意見が割れるような議論の発端になりたくはないし、このまま何事もなく、王冠が自分の横を通り過ぎていくのを心から願っている。
『それで、きみたちの安寧を守るのと引き換えに、彼女が出した条件は?』
「それを聞いて、どうするんだ?」
『影ながら、有益な情報を集めてあげる』
「……彼女のプライバシーに関わる話だから、おれが言うのはフェアじゃないよ」
『そう』
ナサニエルの声は穏やかだった。きっと菫色の瞳にも、温かさを宿している。
『ぼくは常々、きみの高潔であろうとする愚かさを愛おしいと思ってるよ』
「ありがとう」
『じゃあ、きみのハンサムによろしく、シュガーパイちゃん。やきもち焼かれないようにね』
電話口にキスを投げられて、エリオットは笑った。
見送りに来た年配の館長に挨拶して外へ出ると、拡散した情報に引き寄せられた野次馬とパパラッチが、カメラを抱えて待ち構えていた。
歓声を上げる市民に手を振りながら、怪しい空模様を見上げて「夕立が来そう」と言ったキャロルに、「家までもつといいね」と答え、エリオットは玄関に横づけされた車に乗り込む。プライベートだから、カメラへのサービスタイムは無しだ。彼らはツーショットを撮れただけで大喜びだろうが。
イェオリが助手席でシートベルトをつけ、警護チームの車両を引き連れて美術館の敷地から出たところで、エリオットのスマートフォンが鳴った。
「はい」
『ちょっときみ、フラれたにしても乗り換え早すぎじゃないかい?』
「ニール?」
思わず、エリオットは後ろを振り返った。
いやいや、まさか野次馬の中にはいないだろうけど。あまりにタイミングが良すぎて友人が恐ろしくなってくる。
「フラれた覚えも、乗り換えた覚えもないんだけど」
『ふぅん?』
エリオットはくしゃくしゃと頭をかき回した。
「彼女を恋人だって明言することはないし、向こうもおれと付き合ってるなんてことは言わない」
『なるほど、フェイクってわけだね』
「いろいろ、事情があるんだ」
『まぁ、同性の恋人を公表しづらい君の立場には同情するよ』
こちらの思惑など一切話していないのに、正確に言い当てるナサニエルには、毎度のことながら脱帽だ。
現在のシルヴァーナでは、同性同士の結婚も当たり前のように合法だ。だからエリオットとバッシュも、結婚しようと思えば法的な障害は存在しない。この茶番は、バッシュの仕事への影響と、エリオットの第二王子としての「責任」を鑑みた上の保身だった。
たとえば事故や病気、災害など、とにかく起こり得るかぎり最悪の不幸が家族を襲って、父と兄が同時期に世を去ってしまったら。そのとき、まだサイラスに子どもがいなかったら。ゴッド・セイブ・ザ・キング。その日のうちにエリオットは国家元首になってしまう。国民は悲劇を乗り越えるため、新たな希望を乞うだろう。王妃と、次代の王位継承者だ。
エリオットの姓が国名と同一であることから分かるように、シルヴァーナは建国以来、周辺国の王族と姻戚関係を結びながらも、一つの王朝を継いできた稀有な国だ。親から子へ、子から孫へ。その安定的な王位継承に、国民は慣れ切っている。
『同性の配偶者を持つ王がいたっていいと思うけどね。歴史上、子どもを作らずに死んだ王はたくさんいる』
国と結婚した女王とか。
「それを言えるのは、歴史を後追いで見てるからだろ」
ほかに王位継承権を持つ者がいるのと、実際にエリオットが権利を放棄するのはまったくの別問題だ。
王子が戴冠を拒否するなんてこと、だれも夢にも思っていない。国で一番の権力とリッチな生活が保障されているのに、それを望まない人間がいるなんて。
国民の無意識の期待を裏切れるほど、エリオットは強くないし、あるべき個人の幸福や人権という概念は、都合よく忘れられている。王室とは「そういうもの」なのだ。
我ながら、ありもしない未来を、よくそこまで心配できるものだと思う。それでも兄夫婦にひとりかふたり子どもが生まれて、弟王子はどうぞご自由に、という空気ができあがるまで、エリオットは物議をかもすであろうバッシュとの関係を公にするつもりはなかった。
国の意見が割れるような議論の発端になりたくはないし、このまま何事もなく、王冠が自分の横を通り過ぎていくのを心から願っている。
『それで、きみたちの安寧を守るのと引き換えに、彼女が出した条件は?』
「それを聞いて、どうするんだ?」
『影ながら、有益な情報を集めてあげる』
「……彼女のプライバシーに関わる話だから、おれが言うのはフェアじゃないよ」
『そう』
ナサニエルの声は穏やかだった。きっと菫色の瞳にも、温かさを宿している。
『ぼくは常々、きみの高潔であろうとする愚かさを愛おしいと思ってるよ』
「ありがとう」
『じゃあ、きみのハンサムによろしく、シュガーパイちゃん。やきもち焼かれないようにね』
電話口にキスを投げられて、エリオットは笑った。
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