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訳あり王子と秘密の恋人 第一部 第一章

8.研究者で教育者

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 ゴードンがレポートを読むあいだに、エリオットはお茶を二杯飲み、タルトタタンを一切れたいらげた。香ばしいカラメルが絡むリンゴと、少し硬めの生地は絶品で、夕飯のデザートに残しておいてもらえるように頼もうと決める。

「素晴らしいレポートです」

 タブレットをテーブルに置いて、フランツがいれなおしたお茶を飲んでから、ゴードンは満足そうにうなずいた。

「あなたの研究が、このように実を結んだことを嬉しく思います」
「わたしたちの研究です。教授のお力添えがなければ、とても続けられませんでした」

 もしその価値があるなら、共同研究として発表したい。

 返されたタブレットを叩いてエリオットが言うと、ゴードンはひげを撫でながらしばし考え込んだ。

「指導教授ではいけませんか?」
「わたしは学生ではありませんから、あくまで共同研究者としてお願いしたいのです」
「殿下、わたしは『花を育てたい』と連絡をくれた、とある少年の手助けをしただけです」
「あなたはいつもそう言って、けっきょく一度も謝礼を受け取ってくれなかった」
「私的な楽しみですから」
「だからこそです」

 エリオットは食い下がる。

 私的な交流だからこそ、最後まで大学とは切り離した関係でなければいけない。誓って大学の設備を使用したことはないけれど、指導として学内で私塾を開いていたと疑われるのは避けたかった。

「もちろん、わたしの名前が横に載ることで、あなたの研究の妨げになるのは本意ではありません。ですが、デファイリア・グレイは教授がいなければ咲かなかった。その存在の大きさは、たった一文の謝辞で表せるものではないと思っています」
「……かないませんな。わたしの研究室の学生は、だれもそんなことを言いませんよ」

 謝辞など、ただの定型文としか思っていない。
 ゴードンは苦笑いした。

「たいへん恐れ多いことですが、片隅でけっこうですので、わたしの名前を載せていただけますか」
「ありがとうございます」

 エリオットはほっと息をつく。

 いくつか確認事項を挙げたゴードンは、「失礼ですが」と尋ねた。

「A2レベルの資格はお持ちでしたね?」
「十九のときになんとか」

 進学するつもりはなかったエリオットだが、大学入学に必要な共通試験だけはパスしている。ヘインズ家にいる間、植物にかまう以外は勉強くらいしかやることがなかったし、学べる環境にあるのであれば、それを放棄するべきでないことは、子どものころから理解していた。

「では、審査に出す資格は十分でしょう。論文については、いつから取り掛かりましょうか」
「いますぐに、と言いたいところですが……」

 首を巡らせると、イェオリがひとつ頷いた。

「恐れ入ります、ゴードン教授。殿下はこのあとご予定がございますので、今後につきましては、別途ご相談いただいてもよろしいですか」
「あぁ、もちろん」

 ゴードンはグローブのように大きな手を広げてこすり合わせると、ぱちんと両膝を叩いた。

「長々と居座ってお引き止めし、申し訳ありません。お忙しいでしょうに」
「いえ。本当は、庭づくりだけしていたいんですけど」

 エリオットは、軽く肩を上げて見せる。

「……教育者の端くれとしてお尋ねしますが、なにかお悩みでも?」

 カジュアルなしぐさの中にゆううつを読み取った大学教授は、床に置いたバッグ──どう見てもフィールドワーク用のナイロンザック──を持ち上げながらたずねた。

「引きこもって花を育てることしかしてこなかったので、わたしはものを知らないんです。人前に出て恥をかかないかと心配で」

 この先も、公務ではないけれど、昨日のコンサートのように非公式な予定がいくつか詰まっていて、そのいずれにもメディアが貼りついて来る。政治家の失言ひとつ一面トップで伝える彼らの餌食にはなりたくなかった。

「専門的な知識なら、これから増やせばよいでしょう。殿下はまだお若い。学ぶ時間はいくらでもあります」

 それと、とゴードンは続けた。

「知識を持つ人物との交流を増やすのもひとつですよ。助言をくれる友は貴重です」
「そっちのほうが難しそうですね」
「あなたはとても聡明で、相手を思いやれる素晴らしい資質をお持ちだ。そう言った方には、周囲にひとが集まるものです」

 おお、本当に教育者っぽいな。

「よろしければ、同じ大学の知り合いをご紹介しましょうか。まだ三十そこそこの研究者ですが、優秀な男です。私と並ぶとヒグマと白クマのようだと、学生からは言われておりまして」
「教授、待ってください」

 感心している場合ではなかった。忘れていたが、相槌を打っているといつまででもしゃべり倒す男だ。

 エリオットは扉を開けて待つイェオリのほうへ、ゴードンを促す。

「いまは、あまり気軽にひとに会える立場ではなくて……」
「いや失礼、また余計なことを。以前のくせが抜けずについ」
「ご心配くださってありがとうございます。いろいろ、考えてみます」
「ぜひそうしてください」

 玄関ホールまで歩いて行くと、扉の前にベイカーが立っていた。
 エリオットが子どものころから仕えている筆頭侍従は、柔和な印象のまま一礼する。

「ゴードン教授、大変恐縮ですが、裏手にお車をご用意しておりますので、ご足労願えますでしょうか」

「なんで?」と聞いたのはエリオット。

「表が少々、騒がしくなっておりまして」

 視線で示され、エリオットとゴードンは玄関わきの窓から外を覗いた。

 カルバートン宮殿のアプローチは、意外と短い。リムジンが転回できるだけの広さはあるものの、正面の門から玄関扉までは真ん中に鎮座する噴水以外に障害物はない。そのため、ジューンベリーの木に沿って巡らされた柵の向こうに、両手の指に余るほどの人が並んでいるのもじつによく見えた。

「観光客ではなさそうですね」
「脚立まで準備する観光客は、まずいないでしょう」

 エリオットは侍従を振り返って、表を指さす。

「なにあれ」
「殿下に関する記事が出たようです」
「そんなの毎日だろ」

 ベイカーは笑みを浮かべたが、それ以上は答えなかった。

 嫌な予感しかしねーわ。

「教授、報道陣にもみくちゃにされたくなければ、裏から出ることをお勧めします」
「そうしましょう」
「ベイカー、裏までご案内して」
「かしこまりました」

 察しよく頷いてくれたゴードンをその場で見送って、エリオットは控えていたイェオリと顔を見合わせる。

 一体、何を書かれたのやら。

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