296 / 334
番外編 重ねる日々
恋人に好かれたい男の奮闘
しおりを挟む
バッシュの恋人は猫に似ている。
いつも居心地のいいお気に入りの場所にいるし、人見知りで警戒心が強いのに、気を許すと甘えん坊で、ごろごろと懐いて来る。そして、気になったものはまず匂いを嗅ぐ。
エリオットはしばしば、つんと鼻先を上げるしぐさをすることがあった。気取っているわけではなく、匂いを嗅いでいるのだと気付いたのは最近だ。
匂いフェチ、とはちょっと違う。元から嗅覚が敏感なタイプらしい。
庭の草花を始め、洗い立てのシーツや初めて飲む酒、外に出たとき。とにかく、匂いで異常を探る猫のように、エリオットは折に触れて鼻をひくつかせる。
となると当然ながら、バッシュも嗅がれているということだ。
香りで余計な印象を残さないために、侍従は強い香水をつけない。バッシュもこの習慣に従って来た。清潔さには特に気を遣っているし、嗅がれても問題はない。はず。
しかし人間、一度気になりだすとなかなか不安を払しょくできないものだ。加齢臭を心配する歳ではないが、おりしも季節は夏。万が一、汗臭いとハグを拒否されたら、さすがに立ち直れない。
そこでバッシュは手始めに、カルバートンに商品を納めている業者を確認し、同じラインのヘヤケア用品を使うことにした。馴染みのある匂いなら、ひとまず警戒を抱かせなくて済むだろう。
次に目をつけたのはシャワージェル。いままでは特に気にせず石けん系の香りのものを使っていたが、せっかくなら自分の匂いとして認識してもらいたい。一種のマーキングだ。
しかし各社がしのぎを削る商品はそれこそピンキリで、バッシュのリサーチ能力をしても、なかなかこれといったものが見つからなかった。
こういうとき、頼りになるのは同僚だ。ひとりでは限界があるものも、集合知で乗り越えられる。
日々、様々なことを見聞きし調査している侍従たちは、世の中の流行や「いいもの」の情報を山ほど持っている。それを頼りに事務所で声をかけると、引継ぎ後の暇を持て余した侍従と侍女が集まり、プレゼンが始まった。
三十手前のバッシュも侍従職の中では新参──イェオリはカルバートン勤務なのでノーカウント──で、彼らは末っ子の「恋人」に関する話題に興味津々なのだ。もちろん、尻尾を出すことは絶対にしないが。
「ムスクやマリン系は好き嫌いが分かれるから、避けたほうが無難だな」
「かといってフルーティーなものは、ちょっと安っぽいというか、子どもっぽいと思われそう」
「いえてる。ハーブ系なら、天然の精油を使ってるもの以外は問題外ね」
「最終的には相手との相性もあるだろうから、数日ずつ試すのがいいんじゃないか?」
香りはそこそこ強いけど長持ちするタイプや、毎日使っているうちに自然と馴染むタイプ。
ブランドから香りの種類まで、強いこだわりで議論は白熱した。
五つまで絞られた候補から、エリオットの反応を慎重に観察してバッシュが選んだのは、ユーカリの香りがほのかに残る程度のシャワージェルだった。
この涙ぐましい工夫が功を奏してか、エリオットはバッシュの匂いがお気に召したらしい。
ハグをするたびに、すんと息を吸う。嗅がれていると思うと少しくすぐったさもあるけれど、そのあと薄い肩から力が抜けるのが、抱きしめた手のひらで分かるのだ。
落ち着く場所のひとつにカウントされている。その事実は、バッシュに安堵とほんの少しの優越感を与えてくれる。
いつも居心地のいいお気に入りの場所にいるし、人見知りで警戒心が強いのに、気を許すと甘えん坊で、ごろごろと懐いて来る。そして、気になったものはまず匂いを嗅ぐ。
エリオットはしばしば、つんと鼻先を上げるしぐさをすることがあった。気取っているわけではなく、匂いを嗅いでいるのだと気付いたのは最近だ。
匂いフェチ、とはちょっと違う。元から嗅覚が敏感なタイプらしい。
庭の草花を始め、洗い立てのシーツや初めて飲む酒、外に出たとき。とにかく、匂いで異常を探る猫のように、エリオットは折に触れて鼻をひくつかせる。
となると当然ながら、バッシュも嗅がれているということだ。
香りで余計な印象を残さないために、侍従は強い香水をつけない。バッシュもこの習慣に従って来た。清潔さには特に気を遣っているし、嗅がれても問題はない。はず。
しかし人間、一度気になりだすとなかなか不安を払しょくできないものだ。加齢臭を心配する歳ではないが、おりしも季節は夏。万が一、汗臭いとハグを拒否されたら、さすがに立ち直れない。
そこでバッシュは手始めに、カルバートンに商品を納めている業者を確認し、同じラインのヘヤケア用品を使うことにした。馴染みのある匂いなら、ひとまず警戒を抱かせなくて済むだろう。
次に目をつけたのはシャワージェル。いままでは特に気にせず石けん系の香りのものを使っていたが、せっかくなら自分の匂いとして認識してもらいたい。一種のマーキングだ。
しかし各社がしのぎを削る商品はそれこそピンキリで、バッシュのリサーチ能力をしても、なかなかこれといったものが見つからなかった。
こういうとき、頼りになるのは同僚だ。ひとりでは限界があるものも、集合知で乗り越えられる。
日々、様々なことを見聞きし調査している侍従たちは、世の中の流行や「いいもの」の情報を山ほど持っている。それを頼りに事務所で声をかけると、引継ぎ後の暇を持て余した侍従と侍女が集まり、プレゼンが始まった。
三十手前のバッシュも侍従職の中では新参──イェオリはカルバートン勤務なのでノーカウント──で、彼らは末っ子の「恋人」に関する話題に興味津々なのだ。もちろん、尻尾を出すことは絶対にしないが。
「ムスクやマリン系は好き嫌いが分かれるから、避けたほうが無難だな」
「かといってフルーティーなものは、ちょっと安っぽいというか、子どもっぽいと思われそう」
「いえてる。ハーブ系なら、天然の精油を使ってるもの以外は問題外ね」
「最終的には相手との相性もあるだろうから、数日ずつ試すのがいいんじゃないか?」
香りはそこそこ強いけど長持ちするタイプや、毎日使っているうちに自然と馴染むタイプ。
ブランドから香りの種類まで、強いこだわりで議論は白熱した。
五つまで絞られた候補から、エリオットの反応を慎重に観察してバッシュが選んだのは、ユーカリの香りがほのかに残る程度のシャワージェルだった。
この涙ぐましい工夫が功を奏してか、エリオットはバッシュの匂いがお気に召したらしい。
ハグをするたびに、すんと息を吸う。嗅がれていると思うと少しくすぐったさもあるけれど、そのあと薄い肩から力が抜けるのが、抱きしめた手のひらで分かるのだ。
落ち着く場所のひとつにカウントされている。その事実は、バッシュに安堵とほんの少しの優越感を与えてくれる。
39
お気に入りに追加
448
あなたにおすすめの小説



どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。



ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる