箱庭の子ども〜世話焼き侍従と訳あり王子〜

番外編 重ねる日々

椅子

　リビングの真ん中に立って、エリオットはぐるりと室内を見回した。

　園芸に関する本や雑誌が詰め込まれていた棚は空になり、テーブルに乱立していたカップも見当たらない。テレビの前に積まれたＤＶＤのケースもまとめて運び出され、ヘインズ家から派遣されてきたスタッフが清掃まですませたおかげで、部屋はエリオットがここへ越して来たときより更にもぬけの殻となっていた。ここだけではない。寝室のクローゼットには、もうジャージ一枚かかっていないし、洗面台のキャビネットにカラーリング剤の箱はない。

　日光が石畳を焼く真夏だと言うのに、このフラットだけ寒々しく感じた。

　さみしい、のだろうか。

　そりゃ、五年も住めば愛着もわくか。

　いつものくせで座ろうとして、肘掛け椅子がないのを思い出す。
　備え付けの家具の中で、唯一わがままを言って持ち出したのが、こげ茶のクッションを張った肘掛け椅子だった。

　おそらくここにいるあいだ、もっとも長く時間を過ごした椅子を、手放す気にはなれなかった。丁寧に梱包され、ふたりがかりで抱えられていった肘掛け椅子は、ひと足先に新居でエリオットを待っている。

　引っ越しは、スタッフと侍従たちが段取りから荷造り、運搬まですべて取り計らってくれた。エリオットはカルバートンの準備が整うまで一時的にハウスに間借りしていて、きょうは最終の確認に訪れたのだ。

　この部屋は、マイルズの友人の息子夫婦に貸し出すことが決まっている。屋上の庭も一緒に。庭づくりが趣味だそうだから、大事にしてくれるだろうと言っていた。だから、もうあのガゼボで花の盛りを眺めることもない。

　エリオットは深呼吸して、戸口で待つイェオリに向き直った。

「忘れ物はないと思う。出てきても、マイルズ宛てに送ってくれればいいや」

　そもそも、エリオットが確認しなくても、その身元につながるようなものを、侍従たちが見落としているはずがない。

「では、参りましょう」
「うん」

　足を踏み出したとき、視界の端にあるものがかすめた。
　キッチンのシンクに立てかけられた、折り畳み椅子。

「これ持って行っていい？」
「もちろんです」

　イェオリが「お持ちしましょうか」と申し出るのを断って、エリオットは安物のパイプ椅子を両手で抱えた。

「これは、おれのだから」

　おれのだから、ちゃんと自分で持って行く。








椅子
fin.