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世話焼き侍従と訳あり王子 第九章

最終話 約束をきみに

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「エリオット! おい、起きろ」

 片目を開けると窓の外が白んでいて、早朝であることが知れた。

「んん……うるさい」

 ベッドまで紅茶を運んでほしいとは言わないが、初めてーーまぁそう言う意味でーーの朝を迎えたにしては、情緒ってものがなさすぎるんじゃないか。

「見てみろよ、凄いぞ」

 籠城しようとした毛布を剥ぎ取られ、七月にしては肌寒い室温に顔をしかめた。

 なんだよ朝っぱらから。

 しぶしぶ起き上がると、寝癖のついた頭で窓から身を乗り出す、上半身裸のバッシュを見つけた。
 いつだったか、ベストの下に隠された生き物を想像した。それはとても情熱的で、触れた手に馴染むしなやかな筋肉を持つ、優しい獣だった。

 いい眺め、と思いながら、エリオットはバッシュの隣に立つ。そして、同じように首を突き出した。

「うわ、すご……」

 街は白い海の中にあった。

 ライトアップ用の灯りが消え、朝日が昇る時間。通りは数十メートル先が見えず、真下の歩道を行く人の影もおぼろ。無味無臭の煙が充満しているようだ。
 姿は見えないが、同じように窓からこの光景を眺めているらしいひとたちのざわめきが、砂浜をさらう波の音のように聞こえた。

「霧だ。こんなの初めて見た」
「雲海みたいだ」
「これだけ視界がきかないと、交通は混乱するだろうな」
「日曜だから大ごとにはならないだろ。巻き込まれたくないし、うちで大人しくしてればいい」

 手で宙をかいたら水がすくえそうなほどしっとりした空気を吸い込んで、エリオットは部屋の中を振り返る。

 寝乱れたベッドと、見慣れた壁紙。サイドチェストには、いつだったか持ち帰った、お守り代わりのデファイリア・グレイが一株、黒いポットの中で萎れていた。
 こんなことなら、この花も花壇に植えてやればよかった。

「――あ!」

 エリオットはその場で跳ね上がった。
 脱ぎ散らかした服を拾い集めて適当に身につけ、バッシュにもシャツを投げ渡す。

「それ着て!」
「どうした」
「早く!」

 どたどたと足踏みするエリオットに、バッシュは怪訝な顔をしながらシャツに袖を通した。
 ボタンを留める時間も惜しい。エリオットはバッシュの背を押して外階段を上がり、屋上の庭へ出た。

 そんなことがあるだろうか。いやでも、もしかして。

 心臓が全力でジャンプしているみたいに、口から飛び出そうだ。

 ラウンドする遊歩道。終わりかけのラベンダーやデルフィニウムが霧の中から姿を現し、瑞々しい匂いに引き寄せられるように歩いて行くと、バラのアーチの手前に白い群れがある。――はずだった。

「これ……」

 バッシュが息をのんで立ち止まる。

 おそるおそる、エリオットは彼の背中から「それ」を覗き込んだ。

「ガラスの、花……?」

 指先で触れても、雨粒に打たれても散ってしまう繊細な花。何年かけても願う形を見せてくれなかったデファイリア・グレイが、たった一夜、庭を覆った霧に触れて、ガラスのように透き通る花びらを誇らしげに広げていた。

「なんなんだよ」

 なんてタイミングだ。

 こんな奇跡、あってたまるか。

 泣き笑いでつぶやくエリオットを、夢から覚めたよな顔でバッシュが見下ろした。

「まさか、お前がこの花の研究をしてたのは……」

 ようやく、デファイリア・グレイの正体に気付いたのか。

 遅いんだよ。

 厚さ一ミリにも満たない花弁。割れないようにそっと摘み取った一輪を、ようやく霧のベールから顔を出した朝日が、祝福するように輝かせる。

 眩しさに目を細めながら、エリオットは跪いた。
 綿あめの髪を持つ唯一のひとへ、ガラスの花を差し出すために。

 ヒスイカズラ色の瞳が、エリオットとデファイリア・グレイだけを映して瞬いた。

「あのとき、アニーが欲しいって言ったガラスの花だ」

 子どものころの約束は、もう同じ形ではないけれど、伝えたいことは変わらずにあるから。

 寝癖だらけで、シャツなんかヨレヨレ。笑ってしまうくらい格好のつかない告白を、きみに。

「好きだよ、アニー。いままでもこれからもずっと、アレクシア・バッシュを愛してる」



























箱庭の子ども~世話焼き侍従とワケあり王子~
fin








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