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世話焼き侍従と訳あり王子 第九章

6 だれも完璧じゃない

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 ふっと浮き上がるように目が覚めた。なんだろうと耳を澄ますと、ガタガタと窓が揺れる音がする。

「……ただの風だ」

 少しかすれたささやきと、柔らかな感触が頭のてっぺんに降って来る。

「さむい……」

 そうぼやいて体を震わせると、傍らのぬくもりに引き寄せられ、肩まですっぽり毛布に包まれた。

「まだ寒いか?」
「ううん。……あのさ」
「ん?」
「引っ越そうと思うんだけど」

 早いうちに、とあくびを噛み殺しながら言うと、バッシュは枕から頭を浮かせてエリオットを凝視する。

 浮いた毛布の隙間から冷たい空気が入って来て、エリオットは唸り声をあげてバッシュにすり寄り、鎖骨のあたりに額をこすりつけた。

「引っ越し?」
「ん。ほら、ここ記者にバレただろ。口封じ……じゃなかった、口止めしてもどうせ漏れるだろうし」
「ハウスに戻るのか?」
「ううん。あんたのほかに、あとふたつラスからぶん取ってやるつもりなんだ」
「強欲だな、お前」

 目元にかかる髪を、バッシュの指先が払った。そんな他愛もないしぐさでも、愛情が伝わる。

「もらえるもんはもらっとかないと損だろ」

 罪悪感があるうちに、と言うと、バッシュは少し目を伏せた。

「エリオット、殿下のことだけどな」

 静かな声に、エリオットはまばたきした。

「お前がここの階段から落ちたと連絡したとき、病院に駆けつけた殿下に殴られたんだ」
「そう言ってたな。やっぱり一発くらい殴っておけばよかった」
「お前が心配だったんだよ。怒りに任せて、理不尽に手を上げるくらい。あんなに激昂されている様子の殿下は、初めて見た」

 バッシュの口調は慎重だった。兄弟間の、微妙な関係を慮っているのだ。

「今回のことをおれは許せないし、お前も許さなくていいと思ってる。でも、知っておいてほしい。都合のいいことを言ってると分かってるが」
「……うん」

 あんたは、いまもラスの侍従だもんな。

 敬意を持てない相手に、尽くす忠義はないと言ったのはイェオリだったか。

「たぶんさ、ラスは失敗したんだと思う」
「失敗?」
「そう。おれを選帝侯に指名したとき、どのていどの絵を描いてたかは分からない。もしかしたら、もう少し穏便に収める手も考えてたかも」

 でも最終的に選択したのは、エリオットをおとりにすること。その理由は本人も言っていた。

「おれがあのタイミングで髪を染めたのはただの偶然だし、ラスの想定の中になかったことだろ? 間違いなくチャンスだけど、そのためにはおれを切り捨てなきゃならない」

 バッシュの言う通り、サイラスがエリオットを大事にしていたとしたら、それは間違いなく計画の破綻だ。
 けれどそれで、サイラスを軽蔑するかと言う話しにはならない。裏切られたことは事実だけれど、それが彼のすべてではないから。

 エリオットは子どものころの優しかった兄を否定できないし、バッシュは王太子としての責務を果たして来た主人を否定できない。

 人間って複雑だ。

「だから、あんたがラスを嫌いになれないのも分かるし、これが致命的な決裂じゃないなら、まぁ、これからもラスをよろしく」

 でもおれのことも構えよ。

 エリオットがバッシュの頬をつまむと、その手を取られて指先にキスされた。

「お前の、そう言ういじらしいところ可愛いよな。愛してるよ」
「はっ!? か、可愛くねーわ!」
「こう言うときくらい、『おれも愛してる』とは言えないのか」
「バカ!」

 慌てて手を引っ込めると、やれやれと言わんばかりにバッシュが枕に頭を突っ込んだ。

「……それで、どの物件をもらうんだ?」
「ん? あぁ、カルバートン宮殿」
「いいんじゃないか? 静かだし、人の出入りも多くない」
「……会いに来てくれる?」
「たかだか車で三十分くらいだろ。――ここと違って、門番を買収しておく必要があるな」

 忍んでいくには、とささやくので、エリオットの顔に熱が集まる。

「バカ、そう言うお誘いじゃねーよ」
「冗談だよ。ああ。でも……」

 身じろいで、エリオットを腕の中におさめたバッシュが、「残念だな」とつぶやいた。

「なにが?」
「けっこう楽しかった。この部屋で、お前の面倒見るのが」
「ふふ……」

 ひとつ小さなあくびをして、エリオットはとろりとした眠りにいざなわれていった。
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