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世話焼き侍従と訳あり王子 第九章

5 その熱に触れる(※)

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 ドアが閉まるより先に、キスをした。

 自分はおよそ情熱とか情欲とか、そう言うものとは疎遠だと思っていた。――事実、いままではそうだった。でもこの瞬間、目の前の男に触れることしか考えられない。

 ヘクターの処遇も晩餐会も、後のすべてを棚上げしフラットへ帰りついたエリオットは、片腕で腰を支えるバッシュと何度も唇を合わせた。
 柔らかな唇を食み、歯列をなぞる舌を絡めて吐息さえ逃さないよう飲み込む。そうしながら、バッシュはもう片方の手で玄関扉の鍵を閉める。そして――そのまま立ち尽くした。

「……おい、なんであんたがビビってんだよ」

 逆だろ。

「ビビるよ。おれはただの侍従で、お前は王子だぞ」

 意志の強そうな眉が、悪戯をして叱られる犬のように情けなく下がっている。

「クソニート呼ばわりしたくせに」
「王子だって知ってたら、もっとお行儀よくしてたよ」

 バッシュが完璧な侍従としての顔しか見せなかったなら、エリオットだってもう少ししおらしくしていた。でもそうじゃなかったから友人になれたし、この関係に辿り着くことができたのだ。

「ニールのありがたい言葉を教えてやる」
「なんだ?」
「国王も娼婦も、服を脱げばただの人。――脱がせてよアニー」

 少しだけ背伸びをしてキスをすると、片手で髪をぐしゃぐしゃにかき回したバッシュが舌打ちした。

「くそ。かっこいいなお前」
「白馬に乗って迎えに行ってやるよ」
「それは今度な」

 今度? それは迎えに来てほしい願望があるってこと?

 くだらないことを考えているうちに、バッシュはエリオットを軽々と抱えて寝室へ運ぶと、そっとベッドに下ろした。

 シャツを脱がせ、スラックスからベルトを抜く。
 片足ずつ持ち上げて、うやうやしく脱がせた靴下をベッドの下に落とすと、さらされた足の甲に口付けた。

「うわ……」

 かかとを掴まれたまま、エリオットは両手で顔を覆う。

「なんだその色気のない反応は」
「だって、あんたそれ……」

 本職の侍従にされると、倒錯的な気分になる。

「変な性癖に目覚めたらどうしてくれるんだ」
「それは悪かったな、王子さま」

 うそぶきながら、バッシュがマットレスを沈ませてベッドに上がった。口元は笑っているが、その目は冷静にエリオットを観察している。

 この期に及んで、まだ怯えると思ってるのか。

 もちろん怖さはある。ある意味で暴力と似た行為に、自分がどんな反応をするかと言う不安も。でもそれ以上に、バッシュに触れたいし触れられたかった。

 エリオットは手を伸ばし、禁欲的に首元を戒めるボウタイからバッシュを解き放つ。

 そこで初めて、彼がモーニングから燕尾服に着替えていたことに気付いた。
 晩餐会へ同行するための衣装をためらいなく脱ぐバッシュから目をそらして、エリオットはサイドチェストへと手を伸ばす。

「えっと……これ使う?」

 ジェルのチューブを取り出して振り返ると、そこには張りのある胸板。明るい蛍光灯のもとで晒される逞しい体つきは健康的でありながら、腹筋から引き締まったウエストへと続くラインがひどく欲を煽った。

 こくりと唾を飲んだエリオットに、なぜか険しい顔つきでバッシュが尋ねる。

「非常にプライベートなことをお尋ねしてもよろしいでしょうか、殿下」

 え、ここで侍従モードなの?
 てか、この状況以上にプライベートなことがあるのか?

「なんだよ」
「それを、どなたとご使用に?」
「使ってねーよ! よく見ろ新品だろうが!」

 ビニールに包まれたままのチューブを投げつける。

「あんた、おれの友人がだれだか忘れたのか」

 易々とキャッチしたバッシュが、親の仇でも見るような顔つきでチューブの包装を破り捨てた。
 仕事中には絶対に見せない、粗雑で余裕のない手つきだ。

「……あのフォスターか」
「そのフォスター」

 先週ここを訪ねて来たとき、ナサニエルからお土産と称して渡されたショコラトリーの袋。中身はチョコではなく、つまりそう言ったあれこれだった。
 こうなることを本気で予想していたかどうかは分からない。だが、「なんでこんなものを」とうろたえるエリオットにナサニエルは言った。

『愛されるチャンスが訪れたとき、きみが恐怖以外で逃げ出す理由を奪ってあげるよ』

 なんと言う悪魔のささやき。

 そしてまさに、退路は断たれた。

 いや、愛されることを選んだのだ。

 ゆっくりベッドに押し倒され、裸の胸が触れ合った。強靭でありながらも、繊細な気遣いを秘めた鼓動が伝わって来る。

「あのクソ野郎が、お前にのしかかってるのを見たとき」
「ん……なに?」

 啄むようなキスの合間に、バッシュが呟いた。

「気が狂うかと思った。おれのものに触られたって」

 唇の心地よさに酔っていたエリオットは、はっと目を開く。ゼロ距離で、青い瞳がきらめいた。

「言ってもいいか?」
「……なにを?」
「お前を愛してるって」
「うん……うん、言って」

 バッシュの髪をかき上げ、額から頬を両手で撫でる。その形を覚え込むように。忘れないように。
 じわりとにじんだ目じりに、キスをされた。

「愛してる。どうしようもなく、お前を」

 あんなに触れるのが怖かった、のぼせそうに熱い体温が、いまは泣けるほど愛おしい。

 唇で首から肩をなぞったバッシュが、エリオットの薄い胸元に歯を立てる。それが合図になった。

 開いた脚の間に、バッシュが体を割り込ませる。
 ジェルで濡れた互いの体を愛撫し、上下する胸や柔らかな腹に唇で火をつけて。

「大丈夫か?」

 この行為にエリオットがあまりにも「協力的」だったからか、見下ろしたバッシュがまた世話焼きの顔を覗かせる。

「……ここで吐いてほしいわけ?」
「いや。けど、セックスは愛情表現のひとつであって、全てじゃない。お前が辛いなら……」

 ああもう、勘弁してくれ。

 エリオットはバッシュの頭を引き寄せ、つまらないことを言う唇に噛みついた。

「おれだって聖人じゃない。人並みに知識も欲もあるよ。でも、誰でもいいんじゃない。あんたを選んだんだ」

 おそれることはなにもない。いま、このベッドの上の小さな世界には、エリオットを傷付けるものはひとつだってありはしないのだ。

 先に、エリオットがバッシュに触れた。
 ゆるく勃ち上がり、手の中で更に存在を増す昂りを、ジェルのぬめりを借りて根元から先端までを何度も扱いた。
 技巧なんて知らない、ただひたむきなだけの動きに応えるように、バッシュはふたりのものを一緒に包む。
 余裕ぶって見せても、いまはここまでが精いっぱいだと互いに分かっていた。それで十分だと言うことも。

 硬くなったものがジェル以外のもので濡れるころには、身を寄せ合ったふたりの息遣いは激しい吐息に変わっていた。

 力強い指に追い立てられ、エリオットはシーツを乱してのけぞる。そうすると、いっそうバッシュの熱に溶かされるようで、知らず声を上げていた。

「いいな、その声」

 息を弾ませながら、バッシュが耳元で唸る。
 腰の辺りで生まれた甘い疼きが、背骨を貫き次々と弾けた。そのたびに、全身が痙攣したように震える。エリオットはたまらず、覆い被さるバッシュの背中に腕を回し、縋りついた。

「だめ、もう――」

 解放なのかとどめを刺されたのか分からないくらい、強烈な絶頂。達する瞬間、エリオットは張り詰めた肌に爪を立てた。
 その刺激が、バッシュを限界へ導く。
 低くかすれた声は、押し上げられた快感に喘ぐエリオットを、この上なく喜ばせた。
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