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世話焼き侍従と訳あり王子 第九章
4-2 サイラス
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それきり余計な口を利かない侍従長に案内されたのは、地下にある事務所のひとつだった。
広さはエリオットの書斎と同じくらい。正面の壁にモニターが並び、ハウスのいたるところを映し出している。本来、それを二十四時間監視する警備担当はどこにもおらず、代わりに肘掛けのついた椅子にサイラスが腰かけていた。
ハウスを訪ねた日、居間でソファに座っていた後姿を思い出した。あの時と違い、液晶の冷たい明かりが反射する髪は金属的な輝きをまとっている。
「この数のカメラが十年前にあったなら、話は早かっただろうな」
モニターを見上げたまま、サイラスが言った。そして椅子を回し、エリオットとバッシュに向き直る。
「アレク、やりすぎだ。殺してしまったら、いくらわたしでもかばいきれないぞ」
「殿下、あなたは一体……」
次々と目の前に現れる状況から真実をつかみ取ろうとするバッシュの前に立って、エリオットは兄をにらみつけた。
「ラス、あいつが犯人だって知ってただろ」
「確証はなかったが、可能性を潰していけばおのずと答えは出る」
やっぱりそうか。
エリオットは歯噛みした。
エドゥアルドがDNA検査をさせたのは、使用人だけだった。そこで一致しなかったから、信じがたいけれど外部犯だと判断された。しかし、さらに信じられなくとも、可能性がゼロでない者はいたのだ。使用人ではない男で、ハウスに滞在し自由に出入りできた人物が。
「父さんは、善良であるよう生きて来た。国民と家族を愛する、良き王として。だから醜く人を疑うことができない。雇用主の責任として使用人を疑えても、そこから踏み込んで家族に目を向けるなんてできないんだ。もちろんそれは美点でもある」
しかし、とサイラスは両手を腹の上で組み合わせた。
「わたしは、見えているものを無視することはできない」
「……ラスがあいつを疑ってたのは、DNA検査をすり抜けられたから?」
「そうだな。だが、確信したのは父さんの執務室でお前にかけた言葉だ」
「あいつが?」
「『かわいそうに、怖がらせたかな』」
「言ったような気がする」
でも、それが?
「わたしは、触れられるのが『苦手』と言ったんだ。そう聞いたら、わたしならまず潔癖症を思い浮かべる」
「あいつは、おれを怖がらせた自覚があった?」
「そう判断した」
「じゃあなんで、おれに外部犯だって話をしたんだ」
「お前に彼を警戒されたら、しっぽを掴むチャンスがなくなる」
「おれを、おとりにしたのか」
「侍従を側に置くよう言っただろう」
エリオットは両手を握りしめて、足に力を入れる。そうしないと座り込んでしまいそうだった。
食事に行ったとき、相手がいないのかと尋ねたエリオットに、ヘクターは「長い片思い」だと答えた。あれが自分のことだったのかと思うと、胸が悪くなる。
背中に感じるバッシュの強い視線だけを頼りに、サイラスの前に立ち続けた。
「お前はきょう、あの頃と同じ髪色で現れた。しかも天使のような衣装でめかしこんで。あの日を思い出すような儀式の興奮と、少しの危機感があれば、彼は手を出さずにはいられないだろうと思った」
だからベイカーたちを遠ざけ、ヘクターがエリオットに近付きやすくした。わざと彼がいるところでバッシュの名前を出し、嫉妬をあおって。ゆがんだ執着を愛だと正当化させた。
そして自分はここで、ヘクターが動くのを見物していたのだ。
「ジョージを待機させていたが、アレクのほうが早かったな」
ふざけるなよ。
「ミリーが傷ついた!」
一体どこからがサイラスの筋書きだったのか。
式にヘクターを呼ぶのを嫌がって、喧嘩をしていた。あのときには理由が分からないと言っていたが、それだって本当かどうかあやしい。
サイラスは、ミシェルとヘクターに関係があったと言う噂を一蹴した。「それについては彼女を信頼している」と。なら、彼女がヘクターを嫌う理由が唯一の接点である十年前にあると、この兄なら考えつかないか?
エリオットが叫ぶと、暗い淵の底を覗いていたようなサイラスの瞳に、苛烈な炎が灯った。
「あいつのこと疑いたくなくて、でももしかしたらって自問自答してずっと言えずにいたんだ」
「疑いを持ったとき、話すべきだった」
「怖かったんだよ!」
ミシェルは怖がっていた。幼馴染を傷つけたかもしれないヘクターが。そしてなにより。
「ラスに嫌われるのが怖かったんだ」
なんの証拠もないのに叔父を疑うなんて、と言われるのではないか。信じてもらえたとしても、エリオットが王宮を離れたいまになって事件を蒸し返しても手遅れだと、サイラスに非難されるのではないか。
バッシュに嫌われるのを恐れていたエリオットには、その気持ちが痛いほどよく分かる。
「ならお前は、彼女がひとりで負い目を抱え続けていたほうがよかったと?」
「そうじゃない。でもラスなら、もっとうまくやれただろ」
「優しく話を聞いてすむならそうした。しかしそれで彼女の疑念が晴れるわけではない。だからこそ、彼が無実か否かをはっきりさせなければならなかった」
「じゃあ、ラスがあいつを嵌めたのは……」
おれじゃなく、ミリーのためだった?
どこか噛み合わなかったものが、ようやく腑に落ちた。
ミシェルが抱えた罪悪感は、真実を突きつけて向き合わなければ消化できない。サイラスはミシェルのために、ヘクターの罪を暴こうとしたのだ。
だからエリオットをヘクターから守るのではなく、襲われるように仕向けた。
自分勝手で傲慢で、恐ろしいほど峻烈にミシェルを愛している。
エリオットがため息をついたとき、それまで沈黙を通していたバッシュが一歩、踏み出した。
「殿下、あなたはご自身の策のためになにを犠牲にしたか、自覚しておられますか」
椅子を振り上げたときほどの激しさはないけれど、肌のひりつくような怒りを、彼はサイラスに向ける。
「率直に言え」
「……ミシェルさまのためと言われれば、弟君は納得なさるでしょう。しかしあなたの都合は、彼が傷ついていい理由にはなりません」
「分かっている」
「いいえ、お分かりでない。どれほどの恐怖だったとお思いですか。ジョージを待機させたと、それが言いわけになるとでも? 叔父だけでなく、兄にも裏切られたのですよ」
エリオットは驚いてバッシュを見上げた。
言われた通り、ミシェルのためなら仕方ないな、と言う気にはなっていた。いますぐには無理だろうが、結局はサイラスのことも許しただろう。でも、バッシュは違った。
「今回のこと、あなただけは彼の優しさに甘えないでいただきたい。わたくしは――それを許さない」
ぎゅと眉間に力をこめる。
でないと、泣いてしまいそうだ。
これは、主人への苦言などではない。エリオットを傷付けた相手への挑戦だった。いくら側近だからと言っても、出すぎた発言で不興をかう意味が分からないはずがない。それでもバッシュは、侍従の職をかけてサイラスを糾弾したのだ。
気が遠くなりそうな睨み合いののち、口を開いたのはサイラスだった。
「……そうだな」
椅子から立ち上がったサイラスが、エリオットへと頭を下げる。
「すまないと思っている。心から。償いになるなら、お前が望むことはなんでも受け入れるつもりだ」
大きく息を吸って、エリオットは顎を持ち上げた。
「いいのかよ、そんなこと言って」
「次の王位を寄こせと言うことなら、少し時間をくれると嬉しいかな。立太子後の王位継承権放棄は、手続きが複雑なんだ」
寝言は寝て言えよ、お兄ちゃん。
エリオットは、隣に立ったバッシュに手を差し出した。
ゆっくりと、しかし迷うことなく重ねられた指先を、強く握る。
息をのんだのは、はたして誰だったか。
「これがいい」
はっきりと告げたエリオットに、なかば呆然と奇跡的な光景を見つめていたサイラスだったが、やがて椅子に体を投げ出すと愉快そうに笑った。
「いいだろう。――ただし、気が済んだらわたしの侍従を返してくれ。仕事が山積みだ。エリオット、お前にもな」
「……次にミリーを泣かせたら、ぶん殴るからな」
「誓おう」
しっかりと頷いたサイラスを残し、エリオットは戸口に控える侍従長の脇を通り過ぎた。バッシュの手を握ったままで。
広さはエリオットの書斎と同じくらい。正面の壁にモニターが並び、ハウスのいたるところを映し出している。本来、それを二十四時間監視する警備担当はどこにもおらず、代わりに肘掛けのついた椅子にサイラスが腰かけていた。
ハウスを訪ねた日、居間でソファに座っていた後姿を思い出した。あの時と違い、液晶の冷たい明かりが反射する髪は金属的な輝きをまとっている。
「この数のカメラが十年前にあったなら、話は早かっただろうな」
モニターを見上げたまま、サイラスが言った。そして椅子を回し、エリオットとバッシュに向き直る。
「アレク、やりすぎだ。殺してしまったら、いくらわたしでもかばいきれないぞ」
「殿下、あなたは一体……」
次々と目の前に現れる状況から真実をつかみ取ろうとするバッシュの前に立って、エリオットは兄をにらみつけた。
「ラス、あいつが犯人だって知ってただろ」
「確証はなかったが、可能性を潰していけばおのずと答えは出る」
やっぱりそうか。
エリオットは歯噛みした。
エドゥアルドがDNA検査をさせたのは、使用人だけだった。そこで一致しなかったから、信じがたいけれど外部犯だと判断された。しかし、さらに信じられなくとも、可能性がゼロでない者はいたのだ。使用人ではない男で、ハウスに滞在し自由に出入りできた人物が。
「父さんは、善良であるよう生きて来た。国民と家族を愛する、良き王として。だから醜く人を疑うことができない。雇用主の責任として使用人を疑えても、そこから踏み込んで家族に目を向けるなんてできないんだ。もちろんそれは美点でもある」
しかし、とサイラスは両手を腹の上で組み合わせた。
「わたしは、見えているものを無視することはできない」
「……ラスがあいつを疑ってたのは、DNA検査をすり抜けられたから?」
「そうだな。だが、確信したのは父さんの執務室でお前にかけた言葉だ」
「あいつが?」
「『かわいそうに、怖がらせたかな』」
「言ったような気がする」
でも、それが?
「わたしは、触れられるのが『苦手』と言ったんだ。そう聞いたら、わたしならまず潔癖症を思い浮かべる」
「あいつは、おれを怖がらせた自覚があった?」
「そう判断した」
「じゃあなんで、おれに外部犯だって話をしたんだ」
「お前に彼を警戒されたら、しっぽを掴むチャンスがなくなる」
「おれを、おとりにしたのか」
「侍従を側に置くよう言っただろう」
エリオットは両手を握りしめて、足に力を入れる。そうしないと座り込んでしまいそうだった。
食事に行ったとき、相手がいないのかと尋ねたエリオットに、ヘクターは「長い片思い」だと答えた。あれが自分のことだったのかと思うと、胸が悪くなる。
背中に感じるバッシュの強い視線だけを頼りに、サイラスの前に立ち続けた。
「お前はきょう、あの頃と同じ髪色で現れた。しかも天使のような衣装でめかしこんで。あの日を思い出すような儀式の興奮と、少しの危機感があれば、彼は手を出さずにはいられないだろうと思った」
だからベイカーたちを遠ざけ、ヘクターがエリオットに近付きやすくした。わざと彼がいるところでバッシュの名前を出し、嫉妬をあおって。ゆがんだ執着を愛だと正当化させた。
そして自分はここで、ヘクターが動くのを見物していたのだ。
「ジョージを待機させていたが、アレクのほうが早かったな」
ふざけるなよ。
「ミリーが傷ついた!」
一体どこからがサイラスの筋書きだったのか。
式にヘクターを呼ぶのを嫌がって、喧嘩をしていた。あのときには理由が分からないと言っていたが、それだって本当かどうかあやしい。
サイラスは、ミシェルとヘクターに関係があったと言う噂を一蹴した。「それについては彼女を信頼している」と。なら、彼女がヘクターを嫌う理由が唯一の接点である十年前にあると、この兄なら考えつかないか?
エリオットが叫ぶと、暗い淵の底を覗いていたようなサイラスの瞳に、苛烈な炎が灯った。
「あいつのこと疑いたくなくて、でももしかしたらって自問自答してずっと言えずにいたんだ」
「疑いを持ったとき、話すべきだった」
「怖かったんだよ!」
ミシェルは怖がっていた。幼馴染を傷つけたかもしれないヘクターが。そしてなにより。
「ラスに嫌われるのが怖かったんだ」
なんの証拠もないのに叔父を疑うなんて、と言われるのではないか。信じてもらえたとしても、エリオットが王宮を離れたいまになって事件を蒸し返しても手遅れだと、サイラスに非難されるのではないか。
バッシュに嫌われるのを恐れていたエリオットには、その気持ちが痛いほどよく分かる。
「ならお前は、彼女がひとりで負い目を抱え続けていたほうがよかったと?」
「そうじゃない。でもラスなら、もっとうまくやれただろ」
「優しく話を聞いてすむならそうした。しかしそれで彼女の疑念が晴れるわけではない。だからこそ、彼が無実か否かをはっきりさせなければならなかった」
「じゃあ、ラスがあいつを嵌めたのは……」
おれじゃなく、ミリーのためだった?
どこか噛み合わなかったものが、ようやく腑に落ちた。
ミシェルが抱えた罪悪感は、真実を突きつけて向き合わなければ消化できない。サイラスはミシェルのために、ヘクターの罪を暴こうとしたのだ。
だからエリオットをヘクターから守るのではなく、襲われるように仕向けた。
自分勝手で傲慢で、恐ろしいほど峻烈にミシェルを愛している。
エリオットがため息をついたとき、それまで沈黙を通していたバッシュが一歩、踏み出した。
「殿下、あなたはご自身の策のためになにを犠牲にしたか、自覚しておられますか」
椅子を振り上げたときほどの激しさはないけれど、肌のひりつくような怒りを、彼はサイラスに向ける。
「率直に言え」
「……ミシェルさまのためと言われれば、弟君は納得なさるでしょう。しかしあなたの都合は、彼が傷ついていい理由にはなりません」
「分かっている」
「いいえ、お分かりでない。どれほどの恐怖だったとお思いですか。ジョージを待機させたと、それが言いわけになるとでも? 叔父だけでなく、兄にも裏切られたのですよ」
エリオットは驚いてバッシュを見上げた。
言われた通り、ミシェルのためなら仕方ないな、と言う気にはなっていた。いますぐには無理だろうが、結局はサイラスのことも許しただろう。でも、バッシュは違った。
「今回のこと、あなただけは彼の優しさに甘えないでいただきたい。わたくしは――それを許さない」
ぎゅと眉間に力をこめる。
でないと、泣いてしまいそうだ。
これは、主人への苦言などではない。エリオットを傷付けた相手への挑戦だった。いくら側近だからと言っても、出すぎた発言で不興をかう意味が分からないはずがない。それでもバッシュは、侍従の職をかけてサイラスを糾弾したのだ。
気が遠くなりそうな睨み合いののち、口を開いたのはサイラスだった。
「……そうだな」
椅子から立ち上がったサイラスが、エリオットへと頭を下げる。
「すまないと思っている。心から。償いになるなら、お前が望むことはなんでも受け入れるつもりだ」
大きく息を吸って、エリオットは顎を持ち上げた。
「いいのかよ、そんなこと言って」
「次の王位を寄こせと言うことなら、少し時間をくれると嬉しいかな。立太子後の王位継承権放棄は、手続きが複雑なんだ」
寝言は寝て言えよ、お兄ちゃん。
エリオットは、隣に立ったバッシュに手を差し出した。
ゆっくりと、しかし迷うことなく重ねられた指先を、強く握る。
息をのんだのは、はたして誰だったか。
「これがいい」
はっきりと告げたエリオットに、なかば呆然と奇跡的な光景を見つめていたサイラスだったが、やがて椅子に体を投げ出すと愉快そうに笑った。
「いいだろう。――ただし、気が済んだらわたしの侍従を返してくれ。仕事が山積みだ。エリオット、お前にもな」
「……次にミリーを泣かせたら、ぶん殴るからな」
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