箱庭の子ども〜世話焼き侍従と訳あり王子〜

真木もぐ

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世話焼き侍従と訳あり王子 第八章

4-2 転落

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 話がある、と前置きされると、悪い内容しか思い浮かばないのはどうしてだろう。
 怒鳴り散らしたことを責められるのか、それとももっと別に、エリオットがなにかしでかしていたことがあるのか。

 数段先を行く革靴のかかとを見ながら、歩き方が綺麗だと底のすり減りも偏らないんだな、と現実逃避のように考える。

 階段を上りきったところで、バッシュが片手を上げた。エリオットが足を止めるのと同時に、硬い声が飛ぶ。

「だれだ」
「あれ、こないだのお付きとは違いますね」

 のぞき込むと、エリオットの部屋の前に男が立っていた。

「ようやくお帰りですか、ヘインズ公爵閣下。先日はどーも」

 デニムシャツにハーフパンツの男。年は四十がらみで、髭とキャップに見覚えがあった。

「記者だ」

 エリオットが言うと、たちまちバッシュの気配が剣呑なものになる。伏せていた体を起こし、敵を観察するオオカミのように。

「以前、街で絡んだのはお前か。ここでなにをしている」
「取材ですよ」

 お邪魔させてもらえます? と部屋を指さすのに、当然バッシュはノーを返す。記者は軽薄そのものと言った風に肩をすくめた。

「記者なら聖堂のほうに行かないのか。メディアがこぞって準備しているぞ」
「あぁ、成婚の儀ですか? そんなものより、こっちのほうがいいネタでしょう? ヘインズ公爵と第二王子の秘密について」

 とっさに言葉が出ず、エリオットは階段の手すりを握りしめた。

 こいつ、フラットの住所どころかそこまで調べたのか?

「いやー、苦労した。なにせ貴族連中ってのは、だれもエリオット・ヘインズが『存在した』ことを直接知らないくせに、『存在しない』ことを疑ってない」

 お気楽なもんだよな。

 記者はにやにやと笑いながら、こちらに歩いてくる。よほど自分の掴んでいる情報に自信があるのか、カエルを前に舌なめずりをするヘビのようだ。

「あんたが叙爵されるまで、だれもあんたのことを知らない。両親はだれで、どこで生まれ育って、どこの学校を出てなにをしてたのか。記録にすら残ってない。なのに『遠縁の相続人だろう』って、そりゃおかしな話だろう? この国の戸籍管理はそんなにガバガバなのかね」
「さっきから、グダグダとなにが言いたい?」
「ヘインズ家を継いだそこの坊ちゃんは、どこから出てきたのかって話だよ。だが見回してみれば、身近にいるじゃないか。十年前に姿を消した、エリオット・ヘインズと同い年の王子さまが」

 この話が帰着する結論はそこだった。心臓を絞り上げられたように、エリオットは震えあがった。この男は真実を掴んでいる。それをこんな形でバッシュに知られてしまうなんて。
 言葉の意味を考えるように、つかの間沈黙したバッシュは、しかしエリオットを振り返りもしなかった。ただ、静かに問い返す。

「ここにいるのが、エリオット王子だと言いたいのか?」

 男は心底楽しんでいるようだった。国民が祝福するロイヤルウェディングの渦中に、王室が隠し続けて来たスキャンダルをさらす。ゴシップ記者として名をあげるかっこうのチャンスだと思っているのが、ぎらぎらした目からにじみ出ていた。

「道理に合わないな。王子を公爵に叙爵したなら、静養中と偽る理由がない」
「十年前の事件を知らないとでも? 王太子が事故で足を折った。思えば、第二王子が離宮へ移ったのもその直後だ。関係がないと思う方がどうかしてる。周りにちやほやされる優秀な兄と、ぱっとしない弟。いくら王族だろうと――むしろ王族だからこそ確執があってもおかしくない。その確執が、『事故』と言う形で現れたとしても」
「よくもそんな侮辱ができるものだな」

 初めて、バッシュの声に怒りが乗った。肩がいかり、両手が握りしめられる。
 このまま記者に殴りかかったらどうしよう。しがみついてでも止めなければと、混乱する頭でできるはずもないことを考えた。

「兄に怪我をさせた第二王子を、おとがめなしの代わりに王宮から追い出す。しかし理由もなく王位継承権は取り上げられないから、とりあえず成人して公爵位を継がせ、自分から権利を返上させる。悪くない筋書きだ」
「学生のお遊び映画でも、もっとマシな脚本家を連れて来るだろうな。さっさと立ち去って、二度と来るな」

 喉の奥から威嚇するようにバッシュが唸る。しかし取材対象に邪険にされているのは慣れているのか、記者は「まあまま」なんて言いながら、へらへらとエリオットを覗き込んできた。

「本当のところ、どうなんです? 毎日のように王宮に通ってるようじゃないですか。ついに王位継承権の返上ですか? それとも、もしかしてお兄さんと和解?」
「いい加減にしろ。ヘインズ公、迷惑行為を受けていると警察へ連絡を」
「あ、そっか」

 えっと、緊急通報って何番だっけ? 九九九? 一一二だっけ?

 エリオットがもたもたとスマートフォンを取り出したが、それを待ってくれるほど記者は紳士的ではなかった。

「まだ話を聞いてないんですがね」
「おい!」

 押しのけようとする記者の胸倉をバッシュが掴み、もみ合いになる。明らかに体格が違うので男はそれ以上踏み込んでこられないのに、往生際悪くスマートフォンを取り上げようと手を伸ばしてきた。

「やめろ!」
「っ――!」

 スマートフォンを両手で抱きしめて、エリオットは後ずさる。
 引いた足の下から、いきなり地面が消えた。

「あっ」

 がくんとブレた視界の中で、青色の目が見開かれるのが、『今度は』やけにゆっくり見えた。体をひねったバッシュが白手袋に包まれた手を伸ばし、エリオットを呼ぶ。

「――殿下!」

 ……なんだって?

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