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世話焼き侍従と訳あり王子 第八章
1-2 サムライこわい
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数回瞬きをすると、視界は良好だった。
日の暮れかかった箱庭。あとわずかできょうの命を終える西日が、ガゼボの中にも射し込んで石柱をオレンジ色に染めている。
温かいなと思ったら、仕立てのいいジャケットがかけられていた。誰のだろう。
体を起こしかけて、ぎょっと動きを止めた。
「イェ……オリ?」
ベンチの座面に横になるエリオットの足元で、シャツにベストと言う見慣れない格好のイェオリがガゼボの床に正座していた。そう、正座だ。ぴしっと背を伸ばして肘を引き、腿の上に手を置いて。日本の映画で見たことはある姿勢だが、足が痛くないのだろうか。
って言うか、座ってんのにスゲー圧が強いんだけど。
ほったらかして寝こけてたの怒ってる?
「体調はいかがですか」
「だ、大丈夫」
「では、そのままお聞きください」
顎を引いたイェオリは、真っ黒な目でエリオットを見据えた。逆らってはいけない圧力に、エリオットは手の中のジャケットを握りしめる。
あ、これイェオリのか。
「ヘインズさま、兄君の期待に応えようとなさるのはご立派です。しかしまずは御身を第一になさいませ」
「いや、あのな、たしかに寝不足だけど、ちょっと寝たらだいぶよくなったし……」
「そう言う問題ではございません」
ぴしゃりと言われ、肩をすくめる。
「侍従と申しますのは、ときに主人をお諫めするのも役目と心得ております」
「うん」
「そして古来、日本の貴人に仕える侍と言う者は、しばしば己の命をもって主人への戒めとして参りました」
「命?」
「その手段として用いられてきたのが、切腹――つまりハラキリです」
「待って!」
バネが跳ね返るような勢いで飛び起きた。
「待て待て待て待て早まるな! こんなところでハラキリするつもりとか、冗談じゃねーぞ! まさか実家から刀を取り寄せたりしてないだろうな!」
「と、申しますのは冗談ですが」
「怖いわ!」
自殺を盾に主人を脅すとかどんな従者だよ。
「わたくしは、ヘインズさまがご身分を明かされたとき、多大なるご信頼をいただいたと思っておりました。いざとなれば、その秘密を墓場まで持って行く覚悟でお仕えしております。しかしながら、御身を顧みようとなさらない主人に尽くす忠義を、わたくしは持ち合わせておりません」
強く誠実なイェオリの声と視線が、エリオットを打擲した。ただの文句ではない。エリオットがその言葉を受け止めると言う、信頼のもとに叱責している。
「わたくしどもが聞きたいのは、強がりの『大丈夫』ではありません。『疲れた』でも『つらい』でも構わないのです」
「わがままになれって?」
「えぇ、そうです。大事なお約束がある日に『きょうは気分が乗らないから出かけない』と言ってくださったほうが、十分でシャツを百枚手配しろと言われるより、よほどわたくしは仕事のし甲斐があるでしょう」
いや、十分でシャツ百枚は無理だろう。と言うのは黙っていた。賢明にも。
「ヘインズさま、無理をすれば調子を崩すのは当たり前です。誰しもそうであって、それはあなたへの罰ではありません」
「罰……」
ハッとしてイェオリを見た。
以前、バッシュに言ったことがある。人に触れることが怖いのは、エリオットへの罰だと。そんなやり取りを知っているわけではあるまいに、苦言をていするほどエリオットが自罰的に見えたのか。
「でも、努力するって決めたんだ」
「ヘインズさまが努力なさっていることは、わたくしも存じております。しかし間違った方向への努力は、無謀と同義ではないでしょうか」
「…………」
目の奥が熱くなる。慌てて唇をかみしめたから、不細工な顔になっているのだろう。イェオリの目が優しく緩んだ。
「わたくしどもは、あなたに手を差し出すことができません。ですがともに考え、話し、道を探すことはできます。そうありたいと思っております。あなたが努力なさりたいことを、わたくしどもにサポートさせてください」
「……うん」
うつむくようにうなずくと、ようやくイェオリは立ち上がってスラックスの汚れを払う。
どれだけ若く見えても、彼はエリオットよりずっと大人だった。
ハウスへと戻る道すがら、獣道のように細い遊歩道を歩いていたエリオットは、ワイルドベリーの実を見つけて手に取った。子どもたちの目につくような場所にあれば、実がつくそばから狩り尽くされてしまうだろうが、この株はついばみに来る鳥すらいないのか、ギザギザの葉の下に真っ赤な実をいくつも隠していた。
たしかバラ科だよな。なら相性は悪くないか。実がなる木が一本二本あってもいいし……あ、でも、あとが面倒か。
収穫しても生食しかしないし余るな、と考えていると、エリオットがブランケット代わりにしていた上着をきっちり着込んだイェオリから、「空腹ですか?」と尋ねられた。
「別に、食べようと思ったわけじゃないからな。こんなところでも、よく手入れされてるなと思っただけで……」
「さようですか。しかし、まともにお食事をされていないとお聞きしましたので、こちらで夕食を手配いたしたく存じます。召し上がれそうなものはございますか?」
「そんな、わざわざいいよ。帰って適当に……」
家にあるもので、と言おうとしたエリオットは、イェオリの微笑みを見て口をつぐんだ。
「ちなみに、わたくしの申し出をお受けいただけない場合」
「…‥場合?」
「ここしばらくの不摂生について、母君にご報告申し上げます」
「卑怯だぞ!」
なんなのさっきから!
イェオリって「生真面目でからかいがいのある初心な青年」って設定じゃねーのかよ。これじゃまるで、あいつみたい……。
「……イェオリ」
「はい、ヘインズさま」
「あいつに、なにを吹き込まれた?」
やりくちがバッシュにそっくりだ。
業務連絡などと言って、わがままな主人を丸め込む方法でも教えたに違いない。あの無駄にハンサムなドヤ顔が容易に思い浮かんで、エリオットは想像上のバッシュを五人くらいぶっ飛ばしておいた。
「あいつの前では耳をふさいでろって言っただろ!」
苦笑するイェオリを置いて、エリオットは地団駄を踏むようにその場を離れる。手の中に持て余したベリーを口に入れると、バッシュが買ってきたイチゴよりずっと薄くて物足りない味がした。
日の暮れかかった箱庭。あとわずかできょうの命を終える西日が、ガゼボの中にも射し込んで石柱をオレンジ色に染めている。
温かいなと思ったら、仕立てのいいジャケットがかけられていた。誰のだろう。
体を起こしかけて、ぎょっと動きを止めた。
「イェ……オリ?」
ベンチの座面に横になるエリオットの足元で、シャツにベストと言う見慣れない格好のイェオリがガゼボの床に正座していた。そう、正座だ。ぴしっと背を伸ばして肘を引き、腿の上に手を置いて。日本の映画で見たことはある姿勢だが、足が痛くないのだろうか。
って言うか、座ってんのにスゲー圧が強いんだけど。
ほったらかして寝こけてたの怒ってる?
「体調はいかがですか」
「だ、大丈夫」
「では、そのままお聞きください」
顎を引いたイェオリは、真っ黒な目でエリオットを見据えた。逆らってはいけない圧力に、エリオットは手の中のジャケットを握りしめる。
あ、これイェオリのか。
「ヘインズさま、兄君の期待に応えようとなさるのはご立派です。しかしまずは御身を第一になさいませ」
「いや、あのな、たしかに寝不足だけど、ちょっと寝たらだいぶよくなったし……」
「そう言う問題ではございません」
ぴしゃりと言われ、肩をすくめる。
「侍従と申しますのは、ときに主人をお諫めするのも役目と心得ております」
「うん」
「そして古来、日本の貴人に仕える侍と言う者は、しばしば己の命をもって主人への戒めとして参りました」
「命?」
「その手段として用いられてきたのが、切腹――つまりハラキリです」
「待って!」
バネが跳ね返るような勢いで飛び起きた。
「待て待て待て待て早まるな! こんなところでハラキリするつもりとか、冗談じゃねーぞ! まさか実家から刀を取り寄せたりしてないだろうな!」
「と、申しますのは冗談ですが」
「怖いわ!」
自殺を盾に主人を脅すとかどんな従者だよ。
「わたくしは、ヘインズさまがご身分を明かされたとき、多大なるご信頼をいただいたと思っておりました。いざとなれば、その秘密を墓場まで持って行く覚悟でお仕えしております。しかしながら、御身を顧みようとなさらない主人に尽くす忠義を、わたくしは持ち合わせておりません」
強く誠実なイェオリの声と視線が、エリオットを打擲した。ただの文句ではない。エリオットがその言葉を受け止めると言う、信頼のもとに叱責している。
「わたくしどもが聞きたいのは、強がりの『大丈夫』ではありません。『疲れた』でも『つらい』でも構わないのです」
「わがままになれって?」
「えぇ、そうです。大事なお約束がある日に『きょうは気分が乗らないから出かけない』と言ってくださったほうが、十分でシャツを百枚手配しろと言われるより、よほどわたくしは仕事のし甲斐があるでしょう」
いや、十分でシャツ百枚は無理だろう。と言うのは黙っていた。賢明にも。
「ヘインズさま、無理をすれば調子を崩すのは当たり前です。誰しもそうであって、それはあなたへの罰ではありません」
「罰……」
ハッとしてイェオリを見た。
以前、バッシュに言ったことがある。人に触れることが怖いのは、エリオットへの罰だと。そんなやり取りを知っているわけではあるまいに、苦言をていするほどエリオットが自罰的に見えたのか。
「でも、努力するって決めたんだ」
「ヘインズさまが努力なさっていることは、わたくしも存じております。しかし間違った方向への努力は、無謀と同義ではないでしょうか」
「…………」
目の奥が熱くなる。慌てて唇をかみしめたから、不細工な顔になっているのだろう。イェオリの目が優しく緩んだ。
「わたくしどもは、あなたに手を差し出すことができません。ですがともに考え、話し、道を探すことはできます。そうありたいと思っております。あなたが努力なさりたいことを、わたくしどもにサポートさせてください」
「……うん」
うつむくようにうなずくと、ようやくイェオリは立ち上がってスラックスの汚れを払う。
どれだけ若く見えても、彼はエリオットよりずっと大人だった。
ハウスへと戻る道すがら、獣道のように細い遊歩道を歩いていたエリオットは、ワイルドベリーの実を見つけて手に取った。子どもたちの目につくような場所にあれば、実がつくそばから狩り尽くされてしまうだろうが、この株はついばみに来る鳥すらいないのか、ギザギザの葉の下に真っ赤な実をいくつも隠していた。
たしかバラ科だよな。なら相性は悪くないか。実がなる木が一本二本あってもいいし……あ、でも、あとが面倒か。
収穫しても生食しかしないし余るな、と考えていると、エリオットがブランケット代わりにしていた上着をきっちり着込んだイェオリから、「空腹ですか?」と尋ねられた。
「別に、食べようと思ったわけじゃないからな。こんなところでも、よく手入れされてるなと思っただけで……」
「さようですか。しかし、まともにお食事をされていないとお聞きしましたので、こちらで夕食を手配いたしたく存じます。召し上がれそうなものはございますか?」
「そんな、わざわざいいよ。帰って適当に……」
家にあるもので、と言おうとしたエリオットは、イェオリの微笑みを見て口をつぐんだ。
「ちなみに、わたくしの申し出をお受けいただけない場合」
「…‥場合?」
「ここしばらくの不摂生について、母君にご報告申し上げます」
「卑怯だぞ!」
なんなのさっきから!
イェオリって「生真面目でからかいがいのある初心な青年」って設定じゃねーのかよ。これじゃまるで、あいつみたい……。
「……イェオリ」
「はい、ヘインズさま」
「あいつに、なにを吹き込まれた?」
やりくちがバッシュにそっくりだ。
業務連絡などと言って、わがままな主人を丸め込む方法でも教えたに違いない。あの無駄にハンサムなドヤ顔が容易に思い浮かんで、エリオットは想像上のバッシュを五人くらいぶっ飛ばしておいた。
「あいつの前では耳をふさいでろって言っただろ!」
苦笑するイェオリを置いて、エリオットは地団駄を踏むようにその場を離れる。手の中に持て余したベリーを口に入れると、バッシュが買ってきたイチゴよりずっと薄くて物足りない味がした。
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